『交通事故鑑定人 環倫一郎』作者・樹崎聖の『オートモビルカウンシル2024』見聞録「後編:エンジンとスポーツカーよ、永遠なれ」

2024年4月12~14日にかけて千葉市美浜区にある幕張メッセ・ホール9/10を会場に『オートモビルカウンシル2024』が開催された。今回は『交通事故鑑定人 環倫一郎』(原作:梶研吾)や『Eunos』『ZOMBIEMEN』(共著:岡エリ)などの作品を執筆している漫画家の樹崎 聖さんとショーを回った。オートモビルカウンシルの会場で内外の様々なヒストリックカーを堪能した筆者と樹崎さんは解散前に暫しのコーヒーブレイク。イベントの感想のほか、ヒストリックカーから見えてくる現代のクルマについて疑問点について意見を交換することになった。
REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

『交通事故鑑定人 環倫一郎』で人気のクルマ好き漫画家・樹崎聖の『オートモビルカウンシル2024』見聞録「前編:なにはなくともガンディーニ追悼」

メーカーやインポーターによるニューモデルやヘリテージカーの出品、全国のスペシャルショップによる車両の展示販売、ライブ演奏、トークセッション、アート作品や自動車関連商品の販売など、内容盛りだくさんのオートカウンシル2024。今回は『交通事故鑑定人 環倫一郎』や『Eunos』『R2』などマニアックな車種が多数登場する作品を執筆する漫画家の樹崎聖さんと回った。漫画家ならではのユニークな視点でのショーリポートの前編をお送りしよう。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

『交通事故鑑定人 環倫一郎』で有名な漫画家・樹崎聖の『オートモビルカウンシル2024』見聞録「中編:ロータリーエンジンとロードスターと自動車文化」

2024年4月12~14日にかけて千葉市美浜区にある幕張メッセ・ホール9/10を会場に『オートモビルカウンシル2024』が開催された。前回に引き続き『交通事故鑑定人 環倫一郎』(原作:梶研吾)や『Eunos』、『ZOMBIEMEN』(共著:岡エリ)などの作品を執筆している漫画家の樹崎 聖さんとショーを回ったので、その様子をリポートする。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

ヒストリックカーはなぜノーズが低く、
現代のクルマはなぜフロントエンドが厚くなったのか?

会場をひと通り回ったところで、解散前に休憩スポットでコーヒーブレイク。飲み物を片手に初来場となった樹崎さんにオートモビルカウンシル2024の感想を聞いてみることにした。

オートモビルカウンシル2024

「いや~、面白かったですね。入場料がちょっと高め(※)ですが、古今東西の名車がたっぷりと見られて、ライブ演奏やトークセッション、アート作品展や自動車関連商品の販売など内容が盛り沢山なので、クルマ好きなら1日楽しめるイベントだと思いますね」
(※初日が6500円〈前売り〉/7000円〈当日〉、2/3日目が4300円〈前売り〉/5000円〈当日〉)

樹崎聖(きさき・たかし)
1965年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪芸大卒業後、週刊少年ジャンプにてプロデビュー。同誌で『ハードラック』『とびっきり!』を連載後、スーパージャンプで『交通事故鑑定人 環倫一郎』を連載。現在は執筆活動のほか、国内外での後進の育成、「漫画元気発動計画」の主宰として漫画文化振興のために活動を続ける。

「ヒストリックカーはとくにスタイリングが美しいですね。最近のクルマはウェストラインが妙に腰高で、フロントエンドがボテッと厚ぼったいところがどうにも気に入りません。1960~1990年代に作られたクルマはノーズが低くてカッコ良く、精悍な印象を受けます」

クルマのウェストラインが高くなり、フロントエンドが厚みを増したのは2003年からわが国のJNCAP(自動車アセスメント)に歩行者頭部保護性能試験が追加されてからだ。これにより日本車はもちろんのこと国内で販売される輸入車も歩行者事故の際に、頭部の衝撃を和らげるためにエンジンとボンネットの間にクラッシャブルゾーンを設けなければならず、昔のように低いノーズのクルマを作ることができなくなった。一応、衝突を感知してボンネットが持ち上がるポップアップフードやボンネットエアバッグ、あるいはエンジンをドライサンプ化することで搭載位置を下げるなどの方法を取ればフロントエンジン車でも低いノーズにできなくはないのだが、パッケージングやコストの制約もあるのでなかなか難しい。

1974年型フェラーリ365BB。

現実問題としてJNCAPの歩行者保護がどの程度効果があるのか筆者は疑問に感じるところではある。ボンネットのないワンボックス車やトラックではまったく効果を期待できないし、ハイトワゴンやミニバンなどの短いノーズの車での効果は限定的なものとなるだろう。なんともなれば、これらの車両が歩行者事故を起こせば頭部は硬いフロントガラスにぶつかることになる。しかも、国内で販売される新車の4割を占めるのが軽自動車、そしてその主力となるのはノーズの短いハイトワゴンだ。登録車でも販売の主力はコンパクトカーやミニバンが人気となっており、歩行者保護が十全に機能する車高が低くボンネットの長いセダンやワゴンの販売は近年極めて低調となっている。そもそも歩行者事故が発生した場合、歩行者は跳ね飛ばされて地面と接触するケースがもっとも多い。

限定的な効果しか期待できない歩行者頭部保護性能がJNCAPに取り入れられた背景にあるのは、じつのところ政治的な要請で決められた……という説もある。アメリカ主導のCAFE(corporate average fuel economy:企業別平均燃費)規制、欧州主導の自動車排出規制に対し、自動車大国としてわが国も欧米に対する交渉カードとして日本発の規制を立ち上げるべく、歩行者頭部保護を持ち出してきた……という話だ。

365BBのインテリアを撮影する樹崎さん。

筆者がこのように述べると「理由は何であれ事故の死傷者が減るのは良いことではないか」と言う人がいるかも知れない。たしかに日本の交通事故死者数のうち31%は歩行中によるものだが、アメリカやドイツ、フランス、イタリアなどの欧米主要国の歩行中の事故の割合は11~13.4%に留まる(ともに1999年のデータ)。すなわち、日本政府は歩行者保護という正面切っては反対できない錦の御旗を掲げたのを良いことに、歩車分離も十分にできていない交通インフラの脆弱さという国内事情を世界に押し付けたのだ。どの程度の効果があるかもわからない規制を強化する前に、インフラの整備や幼少期からの交通教育など、もっと国はやるべきことがあっただろう。

ミドシップやRR、フロントエンジン車でもREのようなコンパクトなエンジンの搭載車はボンネットを低く抑えることができる。写真はMAZDA ICONIC SP。

まあ、過ぎたことを今更言っても詮無いことだ。だが、結果として歩行者頭部保護要件のせいで自動車メーカーの開発負担を増やし、負担増により新車コストが引き上げられたことでユーザーのデメリットとなり、美しいスタイリングを作りにくくなったことで世界中のカーデザイナーの頭を悩まし、カッコ良いクルマが減ったことでファンを嘆息させることとなった。燃費規制や排ガス規制もそうなのだが、政治的なくだらない理由でユーザーを振り回さないでほしい。

安全性を向上させた電子装備の功罪
『正しく運転を楽しめる』クルマが減っているのではないか?

閑話休題。樹崎さんに続けて話を聞く。
「オートモビルカウンシルのようなイベントで古今東西の名車がずらりと並んだ姿を見ると、思わずヒストリックカーが欲しくなってしまいますね。現実問題として良いコンディションで旧車を保つためには保管場所の問題もありますし、維持する上で相応の苦労がありますので、現在のボクの生活環境では旧車は選びにくいのですが……。でも、見るだけでも充分に楽しいですし、満足できました」

大阪のフォルクスワーゲン専門店GAKUYAのID.BUZZカーゴ。2~3人乗りのEV商用車だ。

「今のクルマは性能的には飛躍的に進化していますし、自動ブレーキや車線逸脱機構、トラクションコントロールなどの電子装備の恩恵もあって安全性も高まっています。こうした技術が発展することで、将来的にはレベル5の自動運転へと結びつくのでしょう。ですが、性能面でも快適性でも安全面でも原始的で、現代のクルマとは比べ物にならないヒストリックカーのはずなのに、なぜかずっと魅力的に見えてしまいます。ひとつには先程のスタイリングの違いがあるのかもしれません。ですが、何と言うか……スポーツカーと同じく旧車はクルマとしての根源的な魅力に溢れていますね。商業主義とは隔絶したところで作り手が自分の理想を追い求めてカタチとする。それはあくまでも走るための機械であって、エアコンやオーディオなどの快適性のための機器や、おせっかいを焼く電子装備がついてない。クルマを操るのに頼れるのが自分自身しかないというところがなんとも潔いですね」

因みに僕は旧車にしかない三角窓が大好きです!走ることで流れてくる風の気持ちよさは走りに一体感も与えるし、冷房のように体を冷やしすぎることもなく最高です。 現代の車にもぜひ再現してほしいものです」

1967年型アルファロメオ・ジュリア・スプリント1600GTV。筆者が所有する1300GTジュニアの同型車だ。

たしかにそうだ。会場で並んでいたのはヒストリックカーの多くは「自分の理想のクルマ作りたい」という技術者やスタイリストの夢の結晶であって、そこにはマーケティング屋の浅知恵だの、販売サイドの口出しだのが介在する余地がはない。
それに電子制御にも功罪がある。ドライバーをアシストすべく黒子に徹してくれるのなら文句はないのだが、最近では生意気にも前面にしゃしゃり出てきて「クルマとの対話」を邪魔をする例が増えている。

樹崎さんが所有していたホンダ・ビート。ABSすら備わらない時代のクルマだが、ミドシップらしくコーナー手前で荷重移動をしっかり行うことでドライバーの意図通りに操ることができる。

以前こんなことがあった。あれは2015年にS660がデビューした際に、ホンダから借りた広報車を当時樹崎さんが所有していたビートと乗り比べたときのことだ。両車を樹崎さんと交代で運転してみると、S660はアジャイラルハンドリングアシストの恩恵でどんなにラフな運転操作をしてもキレイにコーナリングを決める一方で、電子制御の入っていないビートはコーナー進入時にしっかりと荷重移動を行わないとアンダーを出して曲がってくれなかったのだ。同じ64psの最高出力を持つ両車だが、S660はターボエンジンということで動力性能は高く、車体剛性や足廻りについても24年分の進化をはっきりと感じられた。だが、樹崎さんと筆者の共通した見解は「ビートの方が運転して楽しい」というものだった。

一方で筆者と樹崎さんが試乗したビート後継者のS660は、アジャイラルハンドリングアシストの恩恵で荷重移動を意識せずともクルマが勝手に曲がって行く印象だった。

「あのとき、山崎さんはたしかこう言ってましたよね。『誰が打席に立っても必ずホームランが出るバット、スイングすれば絶対にホールインワンが打てるクラブで、野球やゴルフをやって楽しいか? レーシングカーならレギュレーションに反しない限り勝つためのあらゆる手段は正当化される。だけど、スポーツカーはスポーツをするための道具だ。その目的は勝ち負けではなく楽しむことにある。正しい操作をしたときに正しいフィードバックを返さないスポーツカーなど、スポーツの道具として不適切だし、第一そんなもので走っても面白くもなんともない』って。正鵠を射た言葉だったのでまだ覚えてますよ。ボクもまったくそう思います。だから、試乗前には興味はあったけど実際にはS660を買わず、のちにND型ロードスターを買いました。ロードスターにも現代車として必要な電子制御が入っていましたが、あくまでも主体はドライバーにあり、いかに『正しく運転を楽しめるか』に軸足をおいてクルマ作りがなされているように感じられました

「正しく操作すれば正しく動き、 正しく操作しなければ、思い通りには動かない… それが本来良い車であり そうでなければ、物理的に正しい運転を身につけてゆくことはできないし 運転が上手くなる喜びもないでしょう。 コーナー前でしっかりブレーキングすることで前輪に荷重をかけて やらねば車は狙った通り綺麗に曲がらない… それを体で理解できるのがスポーツカーの魅力であって 車を操る喜びであると思います」

クルマの進化により人間が退化する悪循環
クルマ好きのために選択肢は多く残してほしい

もちろん、技術の進化、クルマの進化を否定するつもりはない。つもりはないのだが、どうにも最近はイージードライブばかりを重視したクルマが増えている。それに拍車をかけているのが電子制御技術になるのなのだろう。もちろん、コンピューターも使い方によっては走行性能やクルマの魅力を高めることもできるのだが、現実にはそうしたクルマはむしろ少数派で、快適性や安全性の向上と引き換えに運転という行為を希薄化させたクルマが幅を利かせている。だが、結局のところ完全自動運転が実現しない限り、運転に責任を負うのはドライバーだ。ひとつ操作を誤れば楽しく便利な自動車は「走る凶器」となってしまう。

2011年型アルテガGT。同社はドイツの自動車サプライヤー「パラゴン」が立ち上げたスポーツカーメーカーで、スタイリングはヘンリック・フィスカーが担当。アルミ製スペースフレームのボディにVWパサート用の3.6L V型6気筒エンジンをミドに搭載する。

「道路を走っていると『クルマに乗る』のではなく『クルマに乗せられてる』ドライバーを見かけることが最近増えましたよね。自動車の安全性能が高まったのは良いことなのですが、反面、道路を走っていると散漫な運転のクルマや運転技術にあきらかに問題のあるドライバーを見かけることが多くなった印象です。電子制御によるイージードライブ化も結構ですが、運転という行為を希薄化させることにはボクも反対です。刻々と変化する交通環境の中で、使い方次第で危険な道具にもなる自動車を人間の理性とスキルでコントロールするからクルマの運転は面白いわけですし、ある程度の難易度があるから『上手くなろう』と向上心を持ってスキルを磨こうとするわけです。そう考えると、いたずらに安易な方向に流れてしまった現在のクルマの進化の方向性が、果たしてこれで本当に正しかったのかと疑問に思います。オートモビルカウンシルの会場で一切の操作をドライバーが行っていた時代のヒストリックカーを見ていると、ますますそうした思いが強くなりました」

1964年型アルファロメオ・ジュリア・スプリント・スペチアーレ。

結局、安全に対する意識の低い人間、基本的なドライビングスキルを持ち合わせていないばかりか、運転テクニックを向上させようという意思すら持ち合わせていない人間……つまりはユーザーの中でもボトムに合わせて法律や規制を作り、メーカーも唯々諾々とそれに従った結果、底辺のユーザーは電子制御におんぶに抱っこで安全意識がさらに低下し、ますます安全意識の欠如したひどい運転をすることになる。規制が強化され、技術が進化することで人間がますます退化する悪循環。これでは状況が一向に良くなるはずがない。規制や装備を充実させるよりも、モータースポーツを普及させたり、安全講習に力を入れるなどしてユーザーを啓蒙することで、ドライバーのスキルとクルマに対する意識を高めて行くことが大切だと思うのだ。

1953年型ジャガーXK120ドロップヘッドクーペ。

「ずいぶん昔、山崎さんは『MT車はクルマの運転の基本。MT車も満足に運転できない人間を量産することは危険である』とAT限定免許に対して憤っていましたが、今やMT車の運転ができる人間のほうが少数派ですよ。さらに最近では様々な電子デバイスやアクセサリーの装備が義務化されています。その結果、新車価格は年々高額化しています。ですが、これも時代の流れかもしれません。それは仕方がないことなのでしょうけど、幅広いユーザーに対して多くの選択肢を残してほしい。たとえば、それらの安全装置をワンタッチでカットできるようにするとかですね。今のクルマも機能をオフにできるクルマが多いですが、操作が複雑なものが多く、おまけにエンジンを切って再始動させると設定が元に戻ってしまいます。また、安全デバイスの話とは少し話がズレますが、欲するユーザーが少数でもいる以上、MTやガソリンエンジンは絶対残すべきですよ。今の過剰なエミッションコントロールや燃費規制もそうですが、国が強権を発動して「〇〇年までにガソリン車の製造禁止する」などと規制をかけることには反対です。地球環境を盾に他人の権利や楽しみを奪うことは、とても民主的とは言えません」

現在、各国は補助金を使ってでもBEVの普及に乗り出して入るが、笛吹けど踊らずで多くの国で販売は低調なままだ。それどころか最近は補助金が打ち切られたり、ハイブリッド車を含む内燃機関へ回帰する動きすら見られる。自動車技術の普及は経済利得や利便性も絡んで個人の選択に任せるべきことだと思うのだ。断じて国が国民の選択に干渉してはならないと思うのだ。

1965年型アルファロメオ・ジュリア・スプリント1600GTC。スパイダーのモデルチェンジに間隔が生まれたため、ジュリアクーペをベースにオープン化したモデルがごく短期間製造された。総生産台数1000台の希少車。

「昨今、どうやら風の流れが少々変わったようで、BEVを強制的に普及させようという圧力は弱まってきているようですが、またいつ規制圧力が高まってガソリン車販売が禁止しようという動きが活発化するかわからないので、『ガソリンエンジンを積むスポーツカーを変えるのはこれが最後かもしれないから』と妻を説得してボクはアルピーヌを買いました。スポーツカーの魅力はやはりエンジンに寄るところが大きいと思います。モーター駆動でも走りは楽しめるのでしょうけど、エンジンのフィーリングを楽しめるのは内燃機関車だけです。これが最後になるかもしれないと思いまして。法律には不遡及の原則があるから大丈夫かとは思いますが、石原都政の頃のディーゼル規制で泣く泣く愛車のランクルやジープを手放した人もいるから安心はできません。万が一、ガソリン車の製造だけでなく、保有まで禁止されたら……と思うと今後が心配です」

そんなことはないと筆者も信じたいが、菅前首相は欧州のトレンドと環境省の口車に乗って現実を直視しないまま「2035年までに新車販売をすべてEVにする」と宣った。日本の政治家のほとんどが庶民の生活など興味も関心もなく、現実と乖離した思いつきで政策を決めてしまいがちだ。そうなると将来、ガソリン車の保有まで禁止されるということもあながち”無い”とは言い切れないかもしれない。なにせこの国の政府は「古いクルマなどとっとと手放して経済貢献のために新車を買え」と言わんがばかりに13年超のクルマに重課税を課すような真似をしてくるのだ。しかも、「エコ」という錦の御旗に振りかざして。そうした悪辣な負担を国民に押し付けるてくるのだからまったく始末が悪い。

バーンファインド(納屋から見つかったという意味)された1990年型日産マーチRニスモ。そのまんま発見された状態での展示で、埃や凹んだ当時物のタイヤ込みで価値がある。

「ボクが愛してやまないスポーツカーですが、日本という国は自動車を利便性や経済性ばかりで評価し、環境面から悪者扱いされることの多いガソリン車の中でも、とりわけ不要なもののように見えるかもしれません。ですが、『運転という楽しさ』ということにおいては、走りに関係ない要素を切り捨たスポーツカーに勝るものはありません。別に万人に理解されなくてもかまいませんが、社会がクルマ好きの『駆け抜ける喜び』を力づくで奪い去るようなことだけはしてほしくないですね」

経済の低迷によりクルマを楽しむ余裕がなくなりつつある
残された時間と資産……“お楽しみ”は今だけかもしれない

ここでオートモビル・カウンシルについて話を戻す。イベント自体は展示内容や催し物を含めて充実していたが、来場客が年配の人たちばかりということがちょっと引っかかったが……。

「真っ当な社会人なら仕事で忙しい平日の日中に来場しにくいこともありますし、入場料が高額ということもあるのでしょう。土曜や日曜の開催日に訪れていたら事情は少し状況は変わったかもしれません。それに富裕層向けのヒストリックカーの展示即売会という性格の強いイベントですしね。ただ、幕張メッセ周辺は結構な数の学校もありますし、時間に余裕のある大学生などに向けて学割など安価に入れるチケットを設定するのも良いかもしれません。たとえ出展した業者にとって今はお客でなかったとしても、未来の顧客を開拓することに繋がりますしね。それに絵画でも音楽でも、あるいはボクの仕事である漫画にしても、若い頃に素晴らしい作品に巡り合うことで、その後の人生が大きく変わることもありますから。旧車イベントは各地で開催されていますが、アルヴィスやブリストルのように他のイベントではなかなかお目にかかれないクルマも出展していますし、主催者展示も内容が大変良かったです」

ベック550スパイダー。1954年に登場したポルシェ550スパイダーのレプリカ。

たしかに学割チケットで若い人にも名車を見てもらおうというアイデアは素晴らしい。ただそれで彼らが本当に来るかだが……。乗り物の趣味の中でもクルマはファンが高齢化している印象がある。昨今は若者を巻き込んでのバイクブームがあったし、鉄道は老若男女問わずに人気、各地で開催される航空ショーには幅広い世代のファンが押し寄せる。それに比べて自動車は「若者のクルマ離れ」が指摘されるようになってから久しい。

「どうなんでしょうね。ウチの嫁はボクよりずっと年が若いのですが、あまりクルマに興味はないみたいです。理由を尋ねると「コスパが悪い」って言うんですね。ちょっと良いものを買おうとすると新車は高価だし、中古車にはどうしても故障リスクがつきまとう。所有していればたしかに便利で楽しいですけど、免許取得にもカネが掛かるし、走れば高速代やガソリン代、維持するだけでも様々な税金がかかる。都市部なら駐車場代だけで安いアパートが借りられるほどの金額になることも珍しくはない。若者の収入事情は一向に良くなる気配はないですし、費用対効果の意識が高い彼らからすると『クルマは高くてとても気軽に買えないし、どうしても必要なら軽自動車を選ぶ。買えないものに興味や関心を持つだけ無駄』という考えなのかもしれません」

1933年型ウーズレー・ホーネット・スペシャル。

だが、バイクこそ乗って楽しんでナンボの世界だが、鉄道ファンで鉄道車両を購入する人は稀だし、自宅に線路を施設して列車を走らせる人などさらに稀だ。航空機やミリタリーの趣味も同様で、自分の所有物にならない飛行機のあれこれを調べたり、写真を取って航空ファンは結構楽しんでいる。戦車や銃器などのミリタリー趣味の世界では、国内では見たり触れたりできないものが興味の対象なわけで、本物を見る機会もないまま「ケーニヒス・ティーガーと大戦に間に合わなかったJS-3重戦車が戦ったらどっちが強い」だの「M16とAK47のどちらが優秀な銃か」などと同好の士どうしで過去何度も繰り返された論戦をしては楽しんでいる。実際に所有できなくても、運転することがなかったとしても、クルマだけがそうした趣味の対象にならなっていないのはどうしたわけか。

「そう言われればそうなんですけど、やはりクルマは存在として身近すぎるのかもしれませんね。ヒストリックカーやスーパーカーはたしかに遠い存在なのでしょうが、それでも大枠で括れば『自動車』なわけです。若い人にとってはバイクほど維持が現実的ではないし、鉄道や飛行機、ミリタリーほど実生活から離れてはいない。その絶妙な距離感から実用の道具としては高嶺の花であり、趣味の対象としては日常に有り触れたものになっているのでしょう。まあ、誰でもクルマを買って維持できるくらいに景気を回復させれば話は違ってくるのでしょうけど、もはや収入は上がらず、物価ばかりが高くなるのがデフォルトの世の中ですからねぇ……」

1980年型アルファロメオ・アルファスッド・スプリント1.5ヴェローチェ。

長期の経済低迷と物価の高騰で、原付やバイクならなんとか手に届くが、クルマは高嶺の花で新車でなんとか買えるのは軽自動車だけというのでは、とてもではないが若者がクルマを趣味にすることは難しいだろう。バブル崩壊後の「失われた30年」で経済的に日本は半世紀くらい時計の針が巻き戻ってしまったような感覚である。若い人が気兼ねなくクルマを楽しむくらいには豊かさを取り戻してもらいたいものではある。

上質工具の専門店『ファクトリーギア』は今回も出店。
工具の販売のほか、飲み物を提供するツールバーもオープン。

「このまま景気が停滞し、若い世代がクルマに関心を向けられないような世相が続けば、やがてはカーマニアもいなくなり、オートモビルカウンシルに出展されるヒストリックカーもすべて海外に流出してしまうかもしれません。すでに空冷ポルシェや平成のGT-Rはだいぶ国外へと流れてしまいました。海を渡った名車たちはもう二度と再び日本の地を踏むことはないでしょう。こうした流れが続けば、それこそ日本の自動車文化の危機ですよ」

オートモビル・カウンシルではクルマに纏わるアートも展示・販売される。

とは言え、昨今は政治も経済もまったく良いニュースが聞こえてこない。高度経済成長期の頃は「今日より明日、明日より明後日は生活が良くなる」と無邪気に信じることができたが、今やその反対に将来に対しては不安しかない。ただ、幸いなことに日本が豊かだった時代の文化資産はまだ残っている。旧車の世界で言えば、名車と呼ばれるクルマはかなり値上がりしたものの、まだまだ安価に手に入れられて充分に楽しめる中古車はいくらでもある。

当時物のポスターを修復、レストアして販売するPOSTERSTUDIO-FRANCEのブース。フランスの業者で、普段はネットでの販売も行っている。

とは言え、我々に残された時間と資産には限りがある。生活が困窮しない程度にゆとりがある人は、思い切って楽しめるうちに楽しんだほうが良いだろう。これはクルマに限らず、あらゆるジャンルの趣味に言えることかもしれない。ひょっとすると今後この国は趣味を楽しむ余裕すらなくなるほど酷いことになるやもしれないのだから。

精巧に作られたガレージのジオラマ。こうしたクルマに関連したグッズの展示・販売もこのイベントの魅力のひとつだ。

キーワードで検索する

著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…