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■11年ぶりにトゥデイで軽事業に復活したホンダ
1985(昭和60)9月11日、1974年の「ライフ」の生産中止以来、軽自動車の生産を中断していたホンダが、11年ぶりとなる軽「トウディ」を発売した。トウディは、当時流行っていた軽ボンネットバンで、乗用車のようなスタイルの商用車だった。
シビックの世界的な大ヒットを受けて軽事業から一時撤退
ホンダの軽自動車は、1967年にデビューした「N360」から始まった。軽自動車の常識を覆す低価格と高性能を達成したN360は大ヒットし、それまで10年間トップを独走していた「スバル360」からトップの座を奪取した。
その後、1971年に本格的な軽自動車を目指した「ライフ」が登場。スタイリッシュなデザインと優れた性能、水冷エンジンへの変更によって、静かで広々した室内空間を実現したライフも人気を集めた。
ところが、ホンダは1974年に軽自動車事業の生産から一時撤退することを英断。それは、米国の厳しい排ガス規制“マスキー法”をクリアしたCVCCエンジンを搭載した「シビック」が1972年にデビューし、世界的な大ヒットとなり、生産・開発ボリュームが追いつかなくなったためである。
小型乗用車の生産を始めたばかりのホンダにとって、人気のシビックとライフの両方の生産を行うことは困難であり、軽自動車でなく収益の大きい小型車を優先したのだ。
11年ぶりに復活した軽自動車はトゥデイ
小型車で成功してリソースに余裕ができたホンダは、1985年に「トゥデイ」で軽事業の復活を果たした。11年ぶりに復活したトゥデイは、当時一大ブームとなっていた商用車の軽ボンネットバンだった。軽ボンネットバンとは、1979年にデビューしたスズキの「アルト」が開拓した、軽商用車でありながら乗用車のようなスタイルのクルマである。商用車にすることで、物品税が非課税となるので車両価格が下げられるのだ。
トゥデイは、現在も継承されているホンダのクルマづくりの基本である「M・M思想(Man-Maximum、Mecha-Minimum:人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に)」をコンセプトに開発された。全高は低く、軽としてはロングホイルールベースでワイドレッド、タイヤは可能な限り4隅に配置して広い室内空間を確保しているのが特徴である。
外観は、愛らしい丸いヘッドライトを組み込んだ大胆なスラント&ショートノーズのフォルムを採用。パワートレインは、最高出力31psの550cc直2 SOHCエンジンと、4速MTおよび3速ATの組み合わせ。駆動方式は基本FFだが、後に4WDも用意された。
Fグレード(54.8万円)/Mグレード(62万円)/Gグレード(67万円)の3つのグレードがあり、好調な販売を記録した。当時の大卒の初任給は、14万円(現在は約23万円)程度なので、単純計算では現在の価値で90万円/102万円/110万円に相当する。
その後、ライフも復活を果たす
トゥデイに続いて、ライフも23年ぶりに1997年に2代目が復活した。1990年代は、1993年にデビューしたスズキの「ワゴンR」が開拓した軽ハイトワゴンブームが起こっていたので、2代目ライフはハイトワゴンとして登場した。
高い位置に配備された大型のヘッドライトと、大型のバンパーグリルを装備した、ハイトワゴンとRVを融合したスタイリングが特徴だった。パワートレインは、最高出力48psを発生する660ccの直3 SOHCエンジンと、5速MTおよび3ATの組み合わせ、駆動方式はFFが採用された。
優れた走行性能や扱いやすさ、広い室内空間などRV風の雰囲気を持ったライフは、一定の評価を受けたが、僅か1年半で3代目へと切り替わった。発売の翌1998年の軽自動車規格変更に対応するため、短命に終わったショートリリーフ的なモデルだったのだ。
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トゥデイは、その後3代目の1998年にライフに統合されることで生産を終え、またライフは5代目の2014年にNシリーズにバトンを渡すかたちで生産を終えた。トゥデイもライフも大ヒットとはならなかったが、一貫したMM思想は脈々と受け継がれ、現在圧倒的な人気を誇るNシリーズにつながって花開いたと言える。
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