現在50代から60代の世代だと男女ともに思い出深いクルマがホンダ・プレリュードではだろうか。1982年にフルモデルチェンジして2代目が発売されると、リトラクタブルヘッドライトや低いボンネットによりワイド感が強調されたスタイルで圧倒的な人気モデルになる。このデザインは女性からも大いに支持を集め、若者がデートで乗りたいクルマの筆頭格になる。いわゆるデートカーという言葉を生み出すほどの人気ぶりで、85年に2リッターDOHCのB20A型エンジン搭載車のSiが追加されると、1.8リッターSOHCエンジンのみだったことを不満に思うスポーティユーザーからも支持されることとなる。
こうした背景を踏まえて87年、フルモデルチェンジして発売された3代目は2代目のコンセプトやスタイルを継承して生まれ変わった。カドの取れたデザインはリトラを引き続き採用したほか、ガーニッシュにより左右のテールランプが連続しているように見えるデザインも先代同様。搭載エンジンは先代の主流だった1.8リッターがなくなり2リッターのB20A型のみとされた。ただし、B20A型は2種類がラインナップされ、SOHC12バルブのキャブレター仕様とDOHC16バルブのPGM-FI仕様が存在する。
この3代目で大いに注目を集めた技術が4輪操舵システムである機械式4WSが採用されたことだ。すでに日産から電子制御式の同システムであるHICASが発売されていたが、機械式で4WSを実現したのはプレリュードが初めてのこと。HICASを採用するスカイラインより、むしろプレリュードに対して注目が集まったものだ。この3代目も2代目同様デートカーとして不動の地位を築いたものの、翌年にモデルチェンジして発売された5代目のS13シルビアにその座を譲ることになる。
シルビアの登場を受け89年のマイナーチェンジではデザインを修正してシャープな印象を強めた。同時にリトラクタブルヘッドライトではない固定式ライトを採用するプレリュードインクスを追加ラインナップ。一部グレードでは運転席SRSエアバッグが標準装備されライバルを追撃するかと思われたが、挽回することはかなわなかった。そして迎えた1990年、台数限定ではあるもののプレリュードに3ナンバー専用車が加わる。それがSiステイツという3000台限定の特別仕様車だ。
Siステイツには輸出用だった2056ccの排気量を備えるB21A型エンジンが採用され、プレリュードとして初めての3ナンバー車となった。ボディ同色のサイドモールは国内仕様より厚みのあるもので、これも輸出仕様と同じもの。これによりボディ全幅が1715mmとなり3ナンバー車らしさを手に入れた。さらにグリーンガラスやオプションでレザーシートが用意され、通常のプレリュードより高級感を演出していた。高級感という意味では採用されたボディカラーにも反映されている。ジュネーブグリーンパールとチャコールグラニットメタリックという専用色が与えられ、新車価格は237.1万円に達した。
台数がそもそも少ない希少車であるため、Siステイツを現代の路上で見かける機会はほぼないと言っていいだろう。ところが2024年7月に開催されたイベント「喜多方レトロ横丁 レトロモーターShow」の会場で、3ナンバーの3代目プレリュードを発見した。これはもしやとテールを見れば、しっかり「Si States」のエンブレムが貼られている。まさしく3000台限定の特別仕様車が生き残っていたのだ。
クルマのそばにいたオーナーに早速お話を伺うことにする。オーナーは59歳になる佐藤勉さんで7年前にネットで見つけた個体を手に入れたという。なんでも80年代当時は20ソアラに乗っていたそうだが、妹さんが同時期にプレリュードに乗っていたことから、親しみのあるモデルでもあった。そのためSiステイツが発売された時にも注目されたが、トランスミッションがATしかないことがネックとなり買い換えることはなかった。
佐藤さんはその後、結婚してお子さんにも恵まれた。育児中なのでクルマ趣味を楽しむことは控えてきたが、子供が成長したこともあり50代になって趣味のクルマを再開しようと考えた。そこでインターネットで検索していたところ、80年代から90年代のホンダ車専門店にSiステイツが在庫されていることを発見。その年の東京オートサロンへ足を運んだついでに、専門店へ行ってみることにした。すると在庫車はレストアベースであり、納車までには時間と費用がかかると告げられる。
それでも若い頃の思い出やATだったため買い控えた記憶が甦り、納期や費用のことが妨げになることなく注文することとなる。ところがこれに奥様は猛反対する。そこで佐藤さんは男前を発揮。奥様用に新車のホンダ・フリードを買ってあげることで怒りを鎮めることに成功する。こうして30年来抱いていたプレリュードの夢を実現させることになった。専門店では全塗装やサスペンション交換、エンジンの腰下をオーバーホールすることとなり、納車まで2年も待つことになった。
納車時の走行距離は12.6万キロだったそうで、7年乗られた現在は17.6万キロと5万キロも走られた。ネオクラと呼ばれる趣味のクルマとしては走っていると言えるが、それだけ乗ることが楽しいそうだ。佐藤さんは積雪のある山形県にお住まいなので、冬季にあまり乗らないことを考えると確かに乗る機会は多い。ただ、ネオクラでそれだけの距離を走れば当然トラブルにも遭遇する。まず手始めにキーシリンダーが壊れたが国内で部品が見つからず、海外へ部品をオーダーして対処した。さらにサーモスタットが壊れてラジエターがパンクするトラブルが続いた。
ラジエターは国産のデンソー製だがこれまた部品が国内にない。またしても海外から取り寄せ、部品が届く前にエンジンのガスケット類を総交換することとなる。やはり故障と無縁で過ごせないネオクラシックカーだが、若い頃に憧れたクルマであり3代目プレリュードなのに3ナンバーという特別な存在であることから大いに気に入っている。佐藤さんもこの後のリトラを廃止したプレリュードに興味はなく、80年代らしさに溢れる3代目だから維持し続けているのだ。