世界に誇るモンスターマシン「日産GT-R(R35型)」がスカイラインの冠を外した理由とは?【歴史に残るクルマと技術072】

R35 日産GT-R
R35 日産GT-R
「GT-R」の歴史は、1969年の3代目「スカイライン(ハコスカ)GT-R」から始まった。華やかなスポーツカーとは異なり、最初からレースに勝つことを使命にして開発された。新たに誕生したGT-R(R35型)は、スカイラインの冠は外れたがその血統を受け継ぎ、モンスターマシンへと大きく成長したのだ。
TEXT:竹村 純(JUN TAKEMURA)/PHOTO:三栄・歴代スカイラインGT-Rのすべて、日産GT-Rのすべて

スカイラインGT-Rの足跡

スカイラインGT-R
歴代スカイラインGT-R

日産GT-Rの先代にあたるスカイラインGT-Rは、スカイラインのハイスペックモデルであり、以下のような歴史を辿っている。

C10 スカイラインGT-R
C10 スカイラインGT-R

・初代スカイラインGT-R(PGC10/KPGC10型:1969年~1973年)
初代は、1968年にデビューした3代目(ハコスカ)スカイラインで、レースに勝つことを前提として翌1969年に誕生した。最高出力160ps/18kgmを発揮する2.0L直6 DOHC(S20型)を搭載し、デビューのJAFグランプリレースでの初優勝を皮切りに1972年まで国内レースで破竹の49連勝という金字塔を打ち立て、ここに速くて強いスカイラインGT-Rの歴史が幕開けた。

S54A1スカイライン2000GT(1964年)
S54A1スカイライン2000GT(1964年)
KPGC110 スカイラインGT-R
KPGC110 スカイラインGT-R

・2代目(KPGC110型:1973年)
スカイラインの中でも最も人気を獲得した1972年にデビューした4代目(ケンメリ)でもGT-Rは設定されたが、排ガス規制対応が困難だったことから、わずか3ヶ月で販売台数197台という希少な短命モデルに終わった。

BNR32 スカイラインGT-R
BNR32 スカイラインGT-R

・3代目(BNR32型:1989年~1994年)
16年ぶりに8代目スカイラインで復活。排気量を2.6Lに拡大して、280ps/36kgmを誇るツインターボ(RB26DETT)エンジンを搭載し、スーパーHICAS(4WS)やアテーサE-TS(4WD)といった足回りのハイテク技術を強化して、FRから4WDに変わって完成度を高めた。

BCNR33 スカイラインGT-R
BCNR33 スカイラインGT-R

・4代目(BCNR33型:1995年~1998年)
ボディがボリュームアップしGTカー色を強めたが、280ps/37.5kgm(RB26DETT)を発揮するエンジンを搭載し、ニュルブルクリンクで先代を凌ぐ走りを披露した。

BNR34 スカイラインGT-R
BNR34 スカイラインGT-R

・5代目(BNR34型:1999年~2002年)
再びダウンサイジングしてコンパクトなボディとなった最後のスカイランGT-R。280ps/40kgmのエンジン(RB26DETT)で爆発的な加速力を誇ったが、強化された平成12年排ガス規制に上手く対応できずに、スカイラインGT-Rは一旦生産を終了することになった。

基本パッケージングとエンジンを変更したR35型GT-R

R35 日産GT-R
R35 日産GT-R

R35型GT-Rの開発は2000年から始まり、翌2001年の東京モーターショーで「GT-Rコンセプト」と称するコンセプトモデルが発表され、大きな話題を呼んだ。

R35 日産GT-R
R35 日産GT-R

そして2007年12月、ついにR35型GT-Rが華々しくデビュー。そのスタイリングは、より流線美が強調され、円形テールランプはスカイラインGT-Rからの伝統を継承したが、その中身は大きく変わっていた。

R34型からの大きな変更点は2つ。まず、パッケージングが、それまでのFM(フロントミッドシップ)から新たに開発されたプレミアムミッドシップレイアウトへ変更されたこと。2つ目は伝統の2.6L直6ツインターボ(RRB26DETT型)から、3.8L V6 DOHCツインターボ(VR38DETT型)に変わったことである。この2点が、結果としてスカイラインから決別し、スカイラインの冠が外れた大きな理由であろう。

R35 日産GT-R
R35 日産GT-RのVR38DETTエンジン

その他、駆動方式は従来から採用していた電子制御トルクスプリット(アテーサ4WD)システム、サスペンションは4輪マルチリンク、ブレーキはイタリア・ブレンボ製のベンチレーテッドディスクと、基本仕様は先代と同じだが、エンジンのパワーアップに対応した改良が加えられた。

R35 日産GT-R
R35 日産GT-R
R35 日産GT-R
R35 日産GT-R
R35 日産GT-R
R35 日産GT-R

以下に、特徴的なプレミアムミッドシップレイアウトとVR38DETTエンジンについて簡単に解説する。

GT-R独自のプレミアムミッドシップレイアウト

「日産GT-R(R35)」のエンジンとアテーサ4WDシステム
「日産GT-R(R35)」のエンジンとアテーサ4WDシステム

それまでのGT-Rは、その名の通りスカイラインをベースに開発されていたが、R35型GT-RはスカイラインのFM(フロントミッドシップ)パッケージを用いず、新たに開発したプレミアムミッドシップパッケージを採用し、スカイラインから一線を画すことになった。

スカイラインGT-Rが採用していたFMパッケージは、前輪軸とキャビンの間にエンジンを搭載し、前後重量配分を50:50に近づけるレイアウトである。一方のプレミアムミッドシップパッケージは、重量物のトランスミッションを車体後方に配置するトランスアクスル方式を採用し、前後重量配分を最適化。しかも、後輪車軸よりもトランスミッションの重心が下になるようになっているのが特徴だ。

●R35型GT-Rのために開発された最強のVR38DETTエンジン

「日産GT-R(R35)」搭載の3.8L V6ツインターボエンジン
「日産GT-R(R35)」搭載の3.8L V6ツインターボエンジン

R35型GT-Rには、GT-R専用に開発された3.8L V6 DOHCツインターボ(VR38DETT型)を搭載。最高出力/最大トルクは、R34型の280ps/40kgmから480ps/60kgmへと大幅に向上し、トランスミッションは6速DCTで最高速度は300km/hを超えた。ちなみに、出力自主規制値280psが解除されたのは2004年であり、先代のR34型でも本来は最高出力280ps以上のポテンシャルは持っていたと予想される。

日産「GT-R(R35)」のリアコンビランプ
日産「GT-R(R35)」のリアコンビランプ

V6エンジンに変更した最大の理由は、エンジン縦置きでは直6だと左右の重量バランスが取りづらいが、V6ではバランスが取れること。その両バンクにそれぞれターボとインタークーラー、スロットルを装備して、出力とレスポンスを向上させている。その他にも、エンジンブロックやヘッドなどを、匠と呼ばれる選ばれたベテラン技術者が手組みする徹底ぶりで品質を上げているのだ。

日産「GT-R(R35)」のコクピット
日産「GT-R(R35)」のコクピット

さらにR34型で対応できなかった排ガス対応については、2次エアシステムと合わせて4つの三元触媒で対応し、ハイパワーだけでなく環境性能もしっかり対策した。

車両価格は、標準グレード777万円、プレミアムエディション834.75万円。当時の大卒の初任給は、19.8万円(現在は約23万円)程度なので、単純計算では現在の価値で標準グレードが約903万円に相当する。

日産GT-R(R35型)
2007年にデビューした「日産GT-R(R35)」

R35型日産GT-Rが誕生した2007年は、どんな年

2007年には日産GT-R以外にも、三菱自動車の「ランサーエボリューション(ランエボ)X」、日産自動車からはミドルサイズのSUV「デュアリス」などが誕生した。

三菱の10代目「ランサーエボリューションX」
2007年にデビューした三菱の10代目「ランサーエボリューションX」、最後のランエボ
日産「デュアリス」(欧州名、キャッシュカイ)
2007年にデビューした日産「デュアリス」(欧州名、キャッシュカイ)

ランエボは、1992年にWRCのホモロゲ用に開発されて1990年代後半にWRCを席巻する活躍をみせたが、このランエボXが最後のモデルとなった。

デュアリスは、英国生産で「キャッシュカイ」として欧州で販売されていた人気モデルで、最初は輸入販売だったが日本でも生産するようになった。

1998年にダイムラー・ベンツAGとクライスラーが合併して誕生したダイムラー・クライスラーが、クライスラー部門を売却。世紀の合併と呼ばれたドイツと米国の主力メーカーの合併は、わずか9年間の2007年で終焉した。

自動車以外では、郵政事業民営化によって日本郵政公社が解散。東京ミッドタウンが開業、スマートファンの普及が始まった。また、ガソリン127円/L、ビール大瓶200円、コーヒー1杯442円、ラーメン572円、カレー698円、アンパン140円の時代だった。

日産GT-R(R35)の主要諸元
日産GT-R(R35)の主要諸元

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スカイラインGT-Rから決別してグローバルなモンスターマシンへと生まれ変わった「日産GT-R」、その後も進化を続けて今や欧州のスーパーカーと真っ向勝負できるようになった、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…