国産初のショーファーカーか? 日産「セドリック・スペシャル」のお値段、令和なら約1670万円!【今日は何の日?2月2日】

日産セドリック・スペシャル
この日産セドリック・スペシャルは1964年に開催された東京オリンピックにて、聖火搬送車の大役を務めたクルマ
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日は、日産自動車の大型高級車「セドリック・スペシャル」が誕生した日だ。1960年代、普及が始まった軽自動車や小型車とは別に、国産ショーファーカーとして使える国産の大型高級車が求められるようになった。それに応えたのが、日本初の大型高級車セドリック・スペシャルだった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・60年代国産車のすべて

■プレジデントの前身となる大型高級車セドリック・スペシャル誕生

1963(昭和38)年2月2日、日産自動車は「セドリック・カスタム」をベースに2.8L直6エンジンを搭載した、ひと回り大きな「セドリック・スペシャル」を発売した。米国車および欧州車の独占状態にあった官公庁や法人のための大型高級車、ショーファーカー市場に向けた国産車初のモデルである。

日産「セドリック・スペシャル」
1963年にデビューした大型高級車、日産「セドリック・スペシャル」

セドリック・スペシャルのベースとなった高級車セドリック

日産の高級車「セドリック」
1960年に誕生した日産の高級車「セドリック」

日産「セドリック」は、1955年に誕生した「トヨペットクラウン」に対抗するために、1960年に日産が初めて独自開発した6人乗りの高級乗用車である。

日産の高級車「セドリック」
1960年に誕生した日産の高級車「セドリック」

縦目4灯のフロントマスクとAピラーを前傾させたパノラミックウインドウ、メッキパーツを多用するなど、アメ車風のスタイリングが特徴。モノコックボディで車重を1195kgに抑えながら剛性を高め、さらに足回りはフロントがダブルウイッシュボーン/コイル、リアは3枚リーフ/リジッドサスペンションを設定して、高級車らしい乗り心地が実現された。

パワートレインは、71psを発揮する1.5L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせ。ハイグレードのデラックスには、ヒーター、ラジオ、時計などが標準装備され、車両価格は101.5万円と初代クラウンと同額に設定された。

セドリックカスタム
1961年にデビューした日産・セドリックのトップグレードで「セドリック・スペシャル」のベースとなった「セドリックカスタム」

約半年後の同年11月には、ホイールベースと全長を各100 mm延長した1.9Lエンジン搭載の「セドリック・カスタム」が追加された。これが、後のセドリック・スペシャルのベースとなった。

セドリックカスタム
1961年にデビューした日産・セドリックのトップグレードで「セドリック・スペシャル」のベースとなった「セドリックカスタム」
セドリックカスタム
1962年にマイナーチェンジを受けた日産・セドリックカスタム。横目4灯式ヘッドライトに変更された

国産大型高級車の先駆けとなったセドリック・スペシャル

日産「セドリック・スペシャル」
1963年にデビューした大型高級車、日産「セドリック・スペシャル」

1960年代、日本は高度経済成長期を迎えて、日本のモータリーゼーションが幕開けた。そのような中、米国車および欧州車の独占状態にあった政治家や会社幹部などを送迎する国産大型高級車、いわゆるショーファーカー誕生への期待が寄せられた。ただ当時の日本メーカーでは、一から大型高級車を製造する技術はなかったので、既存の高級車の拡大モデルで対応するしかなかった。

そこで国産初の大型高級車として1963年に登場したのが、日産のセドリック・スペシャルである。セドリック・カスタムをベースに開発されたセドリック・スペシャルは、セドリックのホイールベースを205mm延ばした4855/1690/1495mm(全長/全幅/全高)。当時としては最大ボディだった。

日産「セドリック・スペシャル」のコクピット
日産「セドリック・スペシャル」のコクピット

横置き4灯のヘッドライトとフロントフェンダーアーチからサイドシル、リアフェンダーアーチまで通るステンレスモールが特徴。前後3人乗車の6人乗りで、高級織物で覆ったシートやパワーシート、パワーウインドウなどを装備し、その大きさと豪華さから日本初の大型高級乗用車と位置付けられ、ショーファーカーとしての役割は十分に果たせた。

パワートレインは、既存の1.9L直4エンジンに2気筒を追加した最高出力115ps/最大トルク21kgmの2.8L直6 OHVエンジンに、トランスミッションは3速MTを組み合わせ、最高速度は150km/hを記録した。

車両価格は、138万円でベースとなったカスタム(108万円)より30万円高く、国産乗用車で最高価格だった。当時の大卒初任給は、1.9万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約1670万円に相当する。

ライバルのトヨタ・クラウンエイトの登場とプレジデントへの進化

トヨタ「クラウン・エイト」
1964年にデビューしたトヨタ「クラウン・エイト」

セドリック・スペシャルに対抗して、翌1964年にはトヨタから大型高級車「クラウン・エイト」がデビュー。クラウン・エイトは、2代目クラウンをベースにボディサイズは4720/1845/1460mm(全長/全幅/全高)。エンジンは、最高出力115ps/最大トルク20kgmを発揮する国産乗用車初のアルミ製2.6L V8エンジンだった。

日産「プレジデント」
1965年にデビューした日産「プレジデント」

その後、日産は1965年にセドリック・スペシャルをさらに大きく豪華にした最高級車「プレジデント」を投入。5045/1795/460mm(全長/全幅/全高)の堂々たるボディに、最高出力180ps/最大トルク32.0kgm を発揮する4.0L V8エンジンを搭載した日本初の本格ショーファーカーである。

トヨタ「センチュリー」
トヨタの最高級車として1967年にデビューした「センチュリー」

対するトヨタは、その2年後の1967年にクラウン・エイトに代わって「センチュリー」を投入。4980/1890/1450mm(参考:現行クラウンクロスオーバー4930/1840/1540mm)のボディに、最高出力150ps/最大トルク24.0kgmを発揮する新開発のアルミ製3.0L V8エンジンが搭載された。

プレジデントとセンチュリーの登場によって、日本が誇るショーファーカーとなる2大最高級車の歴史が始まったのだ。

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セドリック・スペシャルは、日本の大型高級車市場の道を切り開き、その後日本を代表する最高級車プレジデントを生み出すベースとなった。セドリック・スペシャルは、日本の大型高級車のパイオニアとして重要な役割を果たしたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…