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■日産の本格的な大型高級車プレジデントが首相専用車として納車
1966(昭和41)年5月27日、日産自動車は前年12月に発売した日産の最高級車「プレジデント」を佐藤栄作首相の専用車として前日の26日に納入したことを発表した。プレジデントは4.0L V8エンジンを搭載した大型の最高級乗用車で、政府や大企業から要望の強かった国産ショーファーカー誕生に応えて日産が開発した。


首相専用車は外国製高級車からプレジデントへ
1960年以前の首相の専用車は、戦前および戦後1960年頃までは、外国製高級車が使われていた。メルセデス・ベンツやパッカード、クライスラー、リンカーン、ビュイックなど、ベンツ以外は米国高級車が使われていた。
日本車は、1955年にやっと純国産車であるトヨタの初代クラウン「トヨペットクラウン」が登場したような状況だったので、当然ながら政府要人が乗るようなショーファーカーは存在せず、その技術もなかった。

その後、純国産車が続々と登場するようになり、純国産のショーファーカーへの期待が、官公庁や大企業から自動車メーカーに寄せられた。まず対応したのが、1963年に発売された日産「セドリック」をベースに大型化した「セドリック・スペシャルだった。

そして、1965年12月にセドリック・スペシャルの後を引き継いだのが、さらに大きく豪華になったプレジデントである。
日本の首相のクルマという名声を得たプレジデント
プレジデントは大統領を意味するが、日産は“日本の政治経済を動かすものが乗るのにふさわしいクルマ”という思いからネーミングした。

最大の特徴は、当時のリンカーン・コンチネンタルより長い1940mmの室内長であり、ショーファーカーらしく広い室内スペースいっぱいに豪華さを演出。シートは、ベンチタイプ、セパレート、セミセパレートが用意され、機能面でも熱線吸収ガラスのフロントウインドウや電熱線入りリアウインドウ、パワーウインドウ、パワーベンチレーター、パワードアロック、パワーシートなどの豪華な装備が満載された。

ボディは強度剛性の高いモノコックボディを採用、サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン/リアがリーフリジッドという当時の高級車の定番を装備。またステアリング機構として、乗用車として日本初のパワーステアリングが採用されたことも注目された。

パワートレインは、最高出力180ps/最大トルク32.0kgm を発揮する4.0L V8 OHVエンジンと130ps/24.0kgmの3.0L直6 OHVエンジンの2機種と、3速ATおよび3速MTの組み合わせ。

車両価格は、4つのグレードで185万円/200万円/250万円/300万円。当時の大卒初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約1850万円/2000万円/2500万円/3000万円に相当する。


1966年5月のこの日に佐藤首相に納入されたのは、最も高価なD仕様300万円のプレジデントだった。

その後、首相専用車はセンチュリーにバトンタッチ
1967年には、トヨタからプレジデントに対抗する最高級車「センチュリー」が発売された。

センチュリーもプレジデントに負けじと先進技術を搭載し、エンジンは最高出力150ps/最大トルク24.0kgmを発揮するアルミ製3.0L V8 OHVエンジンを搭載。車両サイズは、プレジデントの全長5045mm/全幅1795mm/全高1460mmに対して、センチュリーは4980mm/1890mm/1450mm。車両価格は、グレード別で208万円/228万円/238万円/268万円だった。

1963年に米国でケネディ大統領暗殺事件が起こったことで、首相専用車の安全性が問題視されるようになり、これに対応したトヨタ「センチュリー」が1967年以降、首相専用車に使われるようになった。このセンチュリーには、強度に優れた特殊鋼ボディに、はめ殺し式の防弾ガラスが装備されていた。
余談だが、佐藤首相は1974年にノーベル平和賞を受賞している。「“核を持たせず、作らず、持ち込ませず”の核三原則」を宣言し、米国など5ヵ国以外の核兵器保有を禁止する「核拡散防止条約」に著名したことなどが評価された。また、実兄の岸信介氏も佐藤氏より先に首相になっており、岸氏は安倍晋三氏の祖父にあたる。

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日本が誇るショーファーカーのプレジデントは進化を続けながら1990年、センチュリーは1996年に生産を終えた。しかし、2023年にセンチュリーは4代目として復活して大きな話題となった。プレジデントも復活を期待したいところだが、今は難しいかもしれない。
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