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すべてを動態保存するヤマハレストアプロジェクトの意義
静岡県磐田市にあるヤマハ発動機本社に隣接する、ヤマハの博物館「コミュニケーションプラザ」に立ち寄ったことがあるだろうか? 館内には最新のヤマハ製品や、同社が開発し世の中をあっと言わせた製品、話題となったマシンなどが、所狭しと展示してある。




ここにある歴史車両は、見た目もピカピカ、新車のように輝き、今すぐにでも走り出せるかも……というより、本当に走ることが可能で、基本的には動態保存されているものだという。これらは、どのように整備あるいはレストアされているのか? その疑問を解き明かすため、ヤマハ発動機のレストア工場を特別に見せていただいた。
なぜヤマハは、200台を超えるバイクを動かせる状態で残すのか?
静岡県磐田市北部、山に囲まれた研究所のようなきれいな建屋に足を踏み入れて、まずはその保存されている台数に圧倒された。
ヤマハの歴史書に出てくるような伝説のオートバイから、ソフトバイクブームを築いた原付スクーター、当時の若者の誰もが憧れた80年代前後のスーパースポーツやレーサーレプリカ、オフロードもクルーザーも、日本はもとより世界で戦ったレーサーもモトクロッサーもトライアルも、世の中にこれほどオートバイの種類が存在したのか、と思えるほどありとあらゆるバイクが全網羅されていると言っても過言ではないだろう。










現在、レストア作業を終えた数はおよそ200台にも昇る。これほどの台数のオートバイを、レストアあるいは整備して、劣化がなるべく進まないよう空調や採光にも気遣って保存するだけでも容易なことではない。なぜそうまでしてヤマハが多くの製品を動態保存している理由はなぜなのだろうか? レストアに関わる方々にお話をお伺いした。











「本物」を蘇らせるために、時間と手間を惜しまない
まずは70年の歴史をもつヤマハの膨大なプロダクトや1台きりの競技車両の中から、どのようにして保存する車種を選んで取り掛かっているのだろうか?

ーーー個人的な話で恐縮ですが、僕が初めて買ったバイクはヤマハ「MR50」という原付50ccバイクなんですが、ここにはありますか?
花井 あります。確か5年くらい前にレストアが完了しています。
ヤマハ発動機コーポレートコミュニケーション部インターナル・コミュニケーショングループ 花井眞一。 1975年入社、二輪、マリン、販促などを経てレース普及活動業務に長く従事し、YA-1など歴史車両も含む数多くのレストアを担当してきたベテラン。 ーーーうれしいですね。しかしMR50ってヤマハにとってそれほどエポックメイキングな車種でも大ヒット作でもなかったかと思いますが、レストアする車種を決めるのはどのようにしているのでしょうか? 思い入れで決めているわけじゃないですよね?
1972年にFX50のオフロードタイプとして誕生したMR50。筆者が初めて買ったバイクはその後期モデル。それほどエポックなモデルではないがちゃんとレストア保存されていた。 花井 もちろん、思い入れのあるバイクで「これをレストアしたい!」という車種はあります。(笑)
井田 レストアをする車両の選定には、先輩方から代々受け継いだ作業予定リストがあります。そのリストは重要度がA、B、Cといった具合に振り分けられており、基本的にはその重要度の順番に従い進められています。現在、Aはほとんど終えて、Bに取り掛かっているところです。レストアベースとなる車両は人づてやオークションなどで探し出し作業を進めることもあります。
ヤマハ発動機コーポレートコミュニケーション部インターナル・コミュニケーショングループ 井田真稔。 花井氏を師匠と仰ぎ、長年の4輪整備士の経験を経てからヤマハ発動機へ転職。大好きな二輪のレストアを職とできた。 ーーーここでのレストア作業は、我々一般ユーザーが考える、自分で乗るためのレストアとどのように違っているのでしょうか?
花井 まず違うのはコストと時間のかけ方だと思います。1台あたりの時間のかけ方は様々ですが、目標は1年以内で進めます。部品が手に入らないなどで作業できないこともあり、なかには2年かかったものもあります。車両の図面はほぼ残っていますので、どうしても入手できない部品は試作部門で図面をベースに作り出します。最近では、3Dプリンタなどを用いて部品を作ることもあります。
石井 レース用車両の場合、市販車のようなカタログや図面は資料として少ないし、あまり期待できないですね。レースの現場では、チームにもよりますが、シーズン中にパーツがアップデートされることがあります。だからレースのラウンドごとに付いているパーツも違っていたりするので、どの状態に戻すのかを考えなければなりません。
ヤマハ発動機コーポレートコミュニケーション部インターナル・コミュニケーショングループ 石井聡。 日本の二輪4メーカーをはじめ、海外チームにも帯同してレースメカニックを務めた。競技車両を主に担当する。 ーーー色に関しては、どのように再現しているのでしょうか?
花井 塗装も図面に指示がありますので、その通りの色を作ります。けれど、艶は指示がないので、当時の出荷状態の塗装肌を再現するようにしています。当時の焼付塗料の塗装技術では、あっさりと薄い塗装だったものが多いのですが、それを今のウレタン塗装で塗ってしまうと、当時より艶が出すぎたなんてこともありました。それで、過去のカタログや当時を知る先輩やお客さんなどにお話を聞いて、最終的には自分の記憶などの判断で艶感を決めていますね。
これは金属部品の磨きに関しても同様で、例えばアルミの表面処理にしてもピカピカに磨きすぎたこともありました。そういう部分は先輩などに話を聞いたりしながら、当時の出荷状態を目指しています。アルミ肌の磨きに関しては製品や時代によって様々。ヘアラインがハッキリ残る、顔が映り込むほどなど、さじ加減は担当者の腕の見せ所。 ーーー昔のタイヤも現在では手に入らないものがありますよね?
井田 もっとも歴史に残るYA-1の場合は、溝のないタイヤから溝を切ってもらい再現しましたけど、それは特別です。基本的には現在ラインアップしているタイヤサイズの中から選ぶしかないですね。それでもオリジナルと同じサイズが見つからない場合、例えばフロントの16インチタイヤはもう作っていないので、展示のときには当時製造のタイヤを装着して、走らせるときにはフロントフェンダーを少し上げて現在の17インチタイヤにするといった対策も行います。
初代ヤマハのオートバイであるYA-1。ヤマハにとって特別な歴史車両である。
レストアとは技術との対話、“動かす保存”で感動を生む
動態保存をするにあたり、性能を含め当時を再現させることと、それを安全に走らせることの両立は確かに悩ましいものがありそうだ。目指す性能は、レッドゾーンまで回して長時間運転するようなところまでは想定しないが、一般的な走行で普通に走れることを目標にするという。それらのバランスのさじ加減が、まさに彼らの腕の見せ所だろう。特に走る、曲がる、止まるためのタイヤは、例えば一時期主流となったレースマシンの16.5インチタイヤなど、これからの課題だという。
そうした作業を通じて感じていることはなんだろうか?
ーーーレストア作業をやりながら、考えていること、ヤマハだからできていると感じることはなんでしょうか?
井田 当時の技術で作っていた過程を思い起しますね。いま担当している「FZX」は鉄フレームのダウンチューブの中をウォータージャケットにして冷却水を通しているんですね。いまでは考えられないですが、当時はデザインの面で他のパイプを通したくないと考えたのかと想像しています。その年代での技術を振り返ることができて、当時はこうやって対処したんだと思うといつも新鮮です。
フレームが冷却水の水路を兼ねていたFZX750(1986年)。当時のチャレンジングな技術を垣間見ることができる。 石井 イベントなどで他メーカーのレストア担当の方とお話しすることがあったんですが、その方からは「ヤマハさんはいいよね。動態保存だから。うちは静態保存なので、外観だけきれいになっていればいいんですよ」とお聞きして、ヤマハでこの仕事ができているのは恵まれてるのかな、と思います。
ただ、レーサーの場合は、ちゃんと動かすには難しいものもあります。例えばコンピュータ制御になってからは、当時のOSじゃないと動かないという心配も今後増えつつありますね。それをどうしようかと考えています。花井 ヤマハは製品だけでなく、例えばサッカーやラグビーといったスポーツなども含め、「感動創造企業」を理念として、人々に感動を与えることを行っています。過去の車両を現在に伝えるという事でも、こんな古いバイクが動くんだ!と感動を与えるために、このレストア作業をやらせていただいているのだなと思います。
やっている側もバイクに火が入る(エンジンが始動する)瞬間が一番感動するんですね。そういった感動を作り出すため、私達はレストアをやっているんだなと感じます。
レストアが果たす役割、企業文化を磨き、伝え、育てる
最後に、ヤマハ発動機がレストアに取り組む意義とはなにか、谷口さんにお聞きした。
谷口 我々が取り組むレストア業務については、「企業文化の創造・醸成」と「歴史資料としての保存・活用」を大きな2つの目的として、計画的に推進しています。そして、「お客様」「社員」「社会」に向けて、それぞれに価値をお届けできればと考えています。
まず、ヤマハ製品を愛しているお客様に感謝を伝えるということ。過去の車両、技術が未来に繋がっているということで新たな感動を創造することができる。社員に対しては歴史車両に流れる技術や、デザインのDNAをエンジニア、デザイナーなどに伝承、継承できる。歴史車両の中にはパテントやヤマハならではの技術があります。それを今の技術者が見ることによって企業文化の創造と醸成に繋がります。そして、社会に向けては展示やイベントを通じて企業文化の理解を促進しています。
ヤマハ発動機コーポレートコミュニケーション部インターナル・コミュニケーショングループ マネージャー 谷口義則。 レストア事業のマネージメント全般を担当。プライベートでも車両を組み上げるほどの二輪好き。 ーーー当時の姿に仕上がったレストア車両たちを見て感じる、ヤマハらしさとはなんでしょうか?
谷口 ヤマハ発動機の製品はいろんなバリエーションをもっている。これは、お客様に良いものを届けたいと思って手を挙げる社員に対し、会社側がノーと言わない体質から色々と生まれてきた結果なのです。このたくさんのレストア車両たちを見るとそれを感じることができます。

音・匂い・温度までも蘇らせる、五感に響くレストアという仕事
今後、AIがすます進化し、写真や動画、あるいは3Dでいくらでも古いバイクをバーチャルに再現することは簡単にできるだろう。しかし、当時の姿を当時のまま現物として再現し、その姿だけでなく、音、匂い、温度を蘇らせることは人の手によってしかできないと思うし、蘇ったものをその目で見て、触れて、聞いて、匂うことで人は感動する。そのためには、その価値とリアルな世界でやるべきことをわかっている人間が必要だ。
ヤマハ発動機が作りだすのは、生活必需品よりも生活を豊かにするモノが多いと言われるが、古いバイクのレストア事業はまさにそのものであり、その価値を分かって携わっている人たちがいる。今回の取材を通じて、ヤマハ発動機が企業として目指す「感動創造」の濃い部分をリアルに感じた気がしたし、僕自身も感動した。


最高のコンディションでレストアされている。
そして、それぞれに「感動をもらった1台」を選んでもらいました。

YZR250は、1987年から開発が始まった250cc・一軸クランク・90度V型2気筒エンジンを受け継ぎ、熟成させたファクトリーマシン。偶力バランサーの採用で振動を抑え、フレームにリジッドマウントすることで車体剛性をアップ。コントロール性に優れたエンジンとハンドリングを武器に、’90年のWGP250チャンピオンを獲得した(ライダーはジョン・コシンスキー)。その後、一軸・V型2気筒の技術は、’91年型TZ250(市販レーサー)やTZR250R(市販車)などにもフィードバックされた。

FZR400は、市販スポーツモデルをベースに開発されたTT-F3クラス用ファクトリーマシン。DOHC4バルブ・並列4気筒エンジンをアルミ角パイプフレームに搭載、ニューリンク式モノクロスサスペンション、バリアブルダンパー付きフロントフォーク、マグネシウム製ブレーキキャリパー、フローティングマウント式ディスクローターなどを装備、徹底的な軽量化と性能向上を実現していた。1984年全日本選手権で江崎正とともに国際A級F3のタイトルを獲得した。

YZF-R7は、YZF-R1やR6に続く750ccスーパースポーツ。クランクケース一体式シリンダー、チタン製コンロッド、ツイン・インジェクターを採用したコンパクト三軸配置の新開発エンジンを、アルミ製デルタボックスIIフレームに搭載。さらにオーリンス製倒立フロントフォークとリアサスペンションを装備するなど、スーパーバイクレース参戦を前提にした特別仕様となっており、世界で500台が限定販売された。

YDS-3Cは、アメリカのオフロードバイク人気に注目し、高性能スポーツモデルYDS-3をベースに開発された海外市場向けのスクランブラーモデル。オートルーブ機構を備えた2ストローク・並列2気筒エンジンは、優れたパワーと高い信頼性、耐久性が特長。悪路走行に対応するため、障害物との干渉を避けるサイドアップマフラーやエンジンガードなどを装備し、“Big Bear Scrambler”と呼ばれた。