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若い頃は買えず子育てに奮闘した
AW11こと初代MR2が発売されたのは、昭和59年だから1984年のこと。その当時ミッドシップレイアウトのクルマなんて、フェラーリやランボルギーニ、ロータス以外にフィアットX1/9やポンテアック・フィエロがあるくらい。当然、国産でそんなクルマが出てくるなんて夢にも思わなかった時代だ。
だから発売時のインパクトは並大抵ではなく、積まれていたのはAE86と同じエンジン・ミッションとはいえ、一躍若者のハートを鷲掴みにしてしまう。でも当時、2シーターの完全なアソビ車を買える人なんて、そうそういない。憧れていたけれど買えなかった人が圧倒的に多かった。
今回紹介するオーナーもそんなひとり。現在は仕事も定年退職しているが、このMR2を手に入れたのは8年ほど前のこと。新車時は20代後半で結婚も控えていた。その後は子供も生まれ趣味のクルマどころじゃない。だからしばらくは仕事に子育てに奮闘していたのだった。なんと、その間に息子さんが70スープラを買っても我慢していたくらい、良いパパだったのだ。
外観

当時は運輸省の認可が厳しく、ミッドシップレイアウトなのに「ミッドシップ・ランナバウト」というわけのわからない由来の車名。車体中央のエンジンは横置きされているためホイールベースが2320mmしかなく、ボディは4mを切るほど短い。1986年からモールがボディ同色になり、スーパーチャージャーやTバールーフを新設定。1988年に最終型となり翌年に生産終了
エンジンルーム

4A-GZEは145ps
AE86にも積まれた名機4A-GEUに1986年追加設定されたのがスーパーチャージャー仕様の4A-GZE。最大トルクは4400rpmで19kgmを発生する。4A-GZEにはインタークーラーが標準装備
手に入れたら一途に理想へ近づけてきた
息子さんのスープラに刺激されたわけではないが、子育てがひと段落した8年前、X1/9が気になったが国産のMR2を探し始めた。でも納得いくものは少なく、ATのスーパーチャージャーが見つかる。だが始めからミッションを載せ換えマニュアルにするつもりで、専門店の門を叩く。それからは何かあればお店を頼るほど、信頼できる腕前だったという。
MTにはしたものの、ボディのストライプが劣化したので貼り替え、ボディも色あせを部分的に直すことに。さらにいずれオーバーホールしようとエンジンパーツを集めていたら、部品がある今のうちにしたほうがいいと言われ、8万km時に踏み切ったのだ。
実はオーバーホールする前にヘッドカバーだけ塗装をやり直している。さらにそこへ付くステッカーを始め、ボディのデカールなども複製をしている。これで極上のMR2ができあがったのだ。それからはイベントやミーティングに息子さんのスープラと一緒に参加するようになったが、なぜかスープラが注目されることが多いことに納得がいかないとか。
室内

右にDefiマルチメーター、中央にカーナビをセットした室内。シフトノブをナルディへ変更したくらいでノーマル度高し!タコメーター内にはスーパーチャージャーのランプがありNAと差別化されている
このトヨタMR2 1600GスーパーチャージャーTバールーフの記事は、令和に残るクルマ改造雑誌『G-ワークス』(毎月21日発売)に掲載された記事を引用・転載したものです。