日本人にとってラリーの代名詞「サファリ・ラリー」27年ぶりの日本人サファリ制覇は、夢物語ではない!

2021年のサファリ・ラリーPHOTO:TOYOTA Gazoo Racing
ラリーといえば「サファリ」、というファンも多いだろう。今年も6月22~26日かけて、ケニアのナイロビを起点に世界ラリー選手権(WRC)第6戦サファリラリーが開催される。サファリ・ラリーと日本メーカーの関わりは深い。振り返りつつ今年のサファリを展望してみよう。

石原裕次郎の『栄光への5000キロ』がサファリのイメージ

1979年サファリ シェカー・メッタのダットサン・バイオレット160J PHOTO:日産自動車

多くの日本人にとって、ラリーといえば「サファリ」のイメージが強いのではないだろうか? 近年、トヨタ、スバル、三菱がワールドタイトルを争うまで、石原裕次郎主演の映画作品『栄光への5000キロ』の影響もあり、長らく日本ではWRCよりもサファリ・ラリーが高い知名度を誇っていた。石原裕次郎主演の映画作品『栄光への5000キロ』

1974年サファリ ジョギンダ・シンの三菱ランサーGSR PHOTO:三菱自動車

実際、サファリ・ラリーには多くの日本メーカーが、挑戦してきた歴史もある。60年台から70年台にかけて、510ブルーバードや240Z、バイオレットなどで圧倒的な強さを見せていた日産。“ダルマ”ランサーで2勝を挙げた三菱。80年代のグループB時代には、セリカ・ツインカムターボでトヨタがサファリ3連覇を達成している。

もちろん日本人ドライバーの活躍も忘れてはならない。76年のサファリラリーでは、篠塚健次郎が三菱ランサーGSRを駆り、日本ドライバー初となる6位入賞(94年には2位表彰台も獲得)。1993年にトヨタ・ワークスからセリカGT-Fourで参戦し、当時日本最上位となる4位を得た岩瀬晏弘。WRCのステータスこそ掛かっていなかったものの、1995年には藤本吉郎がセリカGT-Fourで総合優勝も飾っている。

70年代から80年代にかけて、サファリは世界中の自動車メーカーにとって、耐久性をアピールする格好の場だった。最盛期にはケニア、ウガンダ、タンザニアをまたぎ、5000km以上の距離を走行。この過酷なラリーを走り切ることで、世界的なメーカーを相手に“強さ”を証明できたのである。

1960年代サファリ優勝車

1960年代
 1960年 メルセデス・ベンツ219
 1961年 メルセデス・ベンツ220SE
 1962年 フォルクスワーゲン1200
 1963年 プジョー404
 1964年 フォード・コルティナGT
 1965年 ボルボPV544
 1966年 プジョー404
 1967年 プジョー404
 1968年 プジョー404
 1969年 フォード・タウナス20M RS

1970年代サファリ優勝車

1970年代
 1970年 ダットサン510SSS
 1971年 日産240Z
 1972年 フォード・エスコートRS1600
 1973年☆ 日産240Z
 1974年☆ 三菱ランサー
 1975年☆ プジョー504
 1976年☆ 三菱ランサー
 1977年☆ フォード・エスコートRS1800
 1978年☆ プジョー504 V6クーペ
 1979年☆ ダットサン160J
「☆」はWRCステイタス

1980年代サファリ優勝車

1980年代
 1980年☆ ダットサン160J
 1981年☆ ダットサン・バイオレットGT
 1982年☆ 日産バイオレットGT
 1983年☆ オペル・アスコナ400
 1984年☆ トヨタ・セリカTCT
 1985年☆ トヨタ・セリカTCT
 1986年☆ トヨタ・セリカTCT
 1987年☆ アウディ200クワトロ
 1988年☆ ランチア・デルタHFインテグラーレ
 1989年☆ ランチア・デルタHFインテグラーレ
「☆」はWRCステイタス

また、モンテカルロやRACといった、ヨーロッパのスプリントラリーと異なり、純粋なスピードよりも、悪路を走り切るだけの堅牢性が重要だったため、依然として欧州車との間に技術的な差のあった日本メーカーでも、耐久性を武器に活躍できるという背景もあった。

多くのメーカーが莫大な予算をかけてサファリ勝利を狙ったが、2000年代に入ると、状況は大きく変わる。時代も変わり、クルマは丈夫さを誇る存在ではなくなった。また、ケニア自体の市場規模も小さく、専用装備や莫大な資材が必要なサファリに、予算を注ぎ込む価値がなくなってしまったのだ。

主催者側も走行距離を減らしたり、サービスパークを1ヵ所にするなど、なんとか時代に合わせようと努めた。しかし、スポンサーが離れ、さらにメーカー側からの熱意も消えてしまい、2002年を最後にWRCのカレンダーから外れることになる。アフリカの大地にロマンを求めた古き良き時代は、こうして幕を下ろした。

1990年代サファリ優勝車

1990年代
 1990年☆ トヨタ・セリカGT-FOUR
 1991年☆ ランチア・デルタHFインテグラーレ16V
 1992年☆ トヨタ・セリカターボ4WD
 1993年☆ トヨタ・セリカターボ4WD
 1994年☆ トヨタ・セリカターボ4WD
 1995年 トヨタ・セリカターボ4WD
 1996年☆ 三菱ランサーエボリューションⅢ
 1997年☆ スバル・インプレッサWRC
 1998年☆ 三菱カリスマGTエボリューションⅣ
 1999年☆ フォード・フォーカスWRC
「☆」はWRCステイタス

ラリーに冒険を! サファリ・ラリーの復権

PHOTO:Toyota Gazoo Racing WRT
PHOTO: Jaanus Ree/Red Bull Content Pool

その後、サファリ・ラリーは、アフリカ選手権の一戦として、またはヒストリックイベントとして開催を続けていく。転機が訪れたのは2009年。かつてコ・ドライバーやプジョーのラリー監督としてサファリを経験したジャン・トッドが、FIA会長に就任した。さらに、サファリを愛した女性トップドライバー、ミシェル・ムートンがFIAの要職に就いたことも後押しになる。彼らは均一化されたWRCの変革を掲げ、「ラリーに冒険を!」とサファリの復活を推し進めた。

そして、2019年、サファリ・ラリーが2020年のWRCカレンダーに復帰することが決まった。新型コロナウイルスの流行により、2020年は中止を余儀なくされたものの、2021年に19年ぶりのWRC開催を実現。最終日までセバスチャン・オジエと勝田貴元が優勝争いを繰り広げ、沿道には何十万もの観客が詰めかけた。復活のサファリは大成功を収めたのである。

2021年、WRCとなったサファリ・ラリーのウィナーはトヨタのセバスチャン・オジエ。勝田勝元は惜しくも2位だった。3位はヒョンデのオット・タナック。 PHOTO::Toyota Gazoo Racing WRT

この時のサファリで自身WRC最上位を得た勝田は、虎視眈々とリベンジを狙っているはずだ。今年のサファリには昨年経験の差を見つけられたチームメイトのオジエ、さらには超ベテランのセバスチャン・ローブ(Mスポーツ・フォード)の参戦も決まっている。今シーズン、勝田は参戦したすべてのラリーを走り切り、ポイントと経験を積み上げてきた。27年ぶりの日本人サファリ・ラリー制覇は、けして夢物語ではなくなっている。

2000年代
 2000 年☆ スバル・インプレッサWRC
 2001年☆ 三菱ランサーエボリューショ6.5
 2002年☆ フォード・フォーカスRS WRC
 2003年 三菱ランサーエボリューションⅥ
 2004年 スバル・インプレッサ
 2005年 三菱ランサーエボリューションⅦ
 2006年 三菱ランサーエボリューションⅥ
 2007年 スバル・インプレッサN10
 2008年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2009年 三菱ランサーエボリューションⅨ
「☆」はWRCステイタス
2010年代
 2010年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2011年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2012年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2013年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2014年 三菱ランサーエボリューションⅨ
 2015年 三菱ランサーエボリューションX R4
 2016年 三菱ランサーエボリューションX R4
 2017年 スバル・インプレッサWRX STi 4 D R4
 2018年 三菱ランサーエボリューションX R4
 2019年 三菱ランサーエボリューションX R4
 2020年代
 2020年☆ 中止
 2021年☆ トヨタ・ヤリスWRC
「☆」はWRCステイタス

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