清水浩の「19世紀の技術を使い続けるのは、もうやめよう」 第24回 

脱・温暖化その手法 第24回  —トランジスタこそ20世紀最大の発明—

温暖化の原因は、未だに19世紀の技術を使い続けている現代社会に問題があるという清水浩氏。清水氏はかつて慶應大学教授として、8輪のスーパー電気自動車セダン"Eliica"(エリーカ)などを開発した人物。ここでは、毎週日曜日に電気自動車の権威である清水氏に、これまでの経験、そして現在展開している電気自動車事業から見える「今」から理想とする社会へのヒントを綴っていただこう。

コンピューターの基本はトランジスタ

DXという言葉が最近使われるようになった。デジタルトランスフォーメーションの略であるが、それ以前はITという言葉がはやり、さらにその前はコンピューター化という言葉も使われた。これらはすべてコンピューターを使って生活を便利にしたり能率を上げることを言っている。

ここではコンピューターのことを話すことが目的ではなく、この中にはおびただしい数のトランジスタが使われているということを言いたい。

ダイオードはN型とP型の2種類の半導体を合わせることで作られる。トランジスタはNPNまたはPNPの3種半導体の重ね合わせの構造とすることにより作られた。

この形態のトランジスタはバイポーラー型と呼ばれている。最近の構造のほとんどはFET(電界効果トランジスタ)である。

トランジスタの効果は増幅作用とスイッチング作用である。増幅作用とは小さな電圧の変化を大きな変化に変えることを言う。スマホで電話をすることを例にとろう。そのアンテナで受信されるのはごくごく微少な電圧の変化である。これを人間の耳に聞こえるようにするため、大きな変化にして、これをスピーカーで音にすることで会話ができる。

トランジスタの発明は1947年アメリカのジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーによる。

半導体の性質を調べる実験中にゲルマニウムの表面に2本の針を立て、片方に電流を流すと、もう一方に大きな電流が流れる現象を発見した。この現象が電流の増幅に使えることに気が付き、増幅素子の発明として1948年に発表をし、1956年にはノーベル賞を受賞している。

この発明をした3人は当時世界で最も優れた研究機関だったベル電話研究所で研究をしていた。その発明した人々もまわりの人々も、これの使い道に困った。開発当時のトランジスタは雑音が多く、増幅をしてもうまく使えないという問題があった。この頃、論文でトランジスタのことを読んだソニー創業者の井深大が、遠く日本から「これだ」と思った。それで船に乗り、ベル研究所に行って特許権を得ることができた。

ソニーの功績でトランジスタが実用化

1980年頃だったと思うが、あるパーティで井深さんにお会いした。一人でテーブルに座っておられたので隣の席に座らせて頂き、その頃のいきさつを直接お伺いすることができた。「当時日本は戦後の復興期で、優秀な科学者の就職口がなかったんです。ソニーはテープレコーダーで成功して資金があったんですよ。それで物理学を勉強した優秀な人達を雇うことができたんです。この人達にトランジスタの開発をしてもらったんですね。それで分かったことは、PNPトランジスタのN層の厚さを薄くすると雑音がなくなることだったんです。これを使ったトランジスタラジオを作ることにしました」とのことであった。

ということは、発明こそアメリカであったが、これを利用できるものにしたのは日本のソニーだったということだ。

さて、トランジスタでノーベル賞を受賞したのはベル研究所だったが、これを利用可能にしたのはソニーである。これは評価の仕方によってはソニーもノーベル賞の受賞になっても良かったのではないかと思える功績である。というのは、トランジスタが応用可能ということが世界で理解されるようになったからこそ20世紀最大の発明として世界を変えることになったのであるから。

その後、トランジスタは大きくは2つの方向で発展してきた。1つはどんどん小型化してパッケージの中に複数のトランジスタを入れるIC(集積回路)や、より小型化したLSI(高密度集積回路)となりコンピューターの心臓部のCPU(中央処理装置)やメモリーとして使われるようになった。もう一方では大型化して高電圧でしかも大電流を流すことができるようになった。これはパワー半導体であり、大電流の制御に利用されている。

これらの応用によりコンピューターがより進歩し、電気器具のあらゆるところにトランジスタが使われ、自動車にもおびただしい数が使われている。それがコロナの影響でその需要が増し、今、世界的に半導体不足に陥っているのは周知のとおりである。

キーワードで検索する

著者プロフィール

清水 浩 近影

清水 浩

1947年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部博士課程修了後、国立環境研究所(旧国立公害研究所)に入る。8…