2017年春頃、webの世界ではそれとなく、ホンダの軽自動車用エンジンが変わるらしいよという話が聞こえていました。理由はなんだかいろいろ言われていて、でもS07Aと称するそのエンジンが登場したのは2011年のこと。EARTH DREAMS TECHNOLOGYの最小排気量ユニットとして華々しく登場しただけに、強く記憶に刷り込まれていたそれは、自然吸気/ターボ過給の2仕様を早くもそろえてNシリーズに次々と搭載されていただけに、わずか6年で新型エンジンに代替されるとはまったく考えていませんでした。
ところが、2017年8月31日に発表された現行N-BOXには新しいエンジンが。まさかの新型の登場、S07Bというのがその名称です。
普通に考えれば、わずか6年で「いま活躍しているエンジンを総取り替え」というのは驚きです。しかもS型は軽自動車用、つまり日本国内でしか搭載がないエンジンです。いったいなぜこのような決断を下したのでしょうか。
ホンダ曰く、「燃費向上のために、ロングストローク化で燃焼効率を上げることが大きなテーマ」だったそうです(『新型N-BOXのすべて』P15:白土清成LPL)。ではS07A型の機械寸法はどうだったのでしょうか。
(ボア×ストローク)
64.0 × 68.2 → S07A
60.0 × 77.6 → S07B
数字ではわかりづらいかもしれません。比率で確かめてみましょう。S/B比では、S07Aが1.066なのに対してS07Bは1.293です。
1.293 !!!!
尋常じゃない数字です! 最近の燃費傾向新型エンジンでも確かめてみますと──
1.155 → マツダ:SKYACTIV-G 1.3
1.153 → フォルクスワーゲン:EA211 1.5 TSI EVO
1.125 → アウディ:EA888 Gen.3b
1.066 → スズキ:R06A
1.117 → ダイハツ:KF-VE
1.2でもなかなか聞いたことないのに、もはや1.3にも届こうかという数字。驚異的です。
なぜロングストロークにするのがいいのか。いくつかメリットが挙げられますが、大まかに言うとこんな感じです。
・冷却損失が少ない
・燃焼速度が速い
同じ容積でビッグボアとスモールボアの2種のエンジンを仕立てるとします。すると、燃焼室が後者は小さくなりますね。小さな空間で混合気を燃焼させると、火炎がさらされる表面積が小さく、シリンダヘッドへ逃げる熱量が相対的に少なくなります。燃焼エネルギーを少しでもロスしたくない、つまり熱効率を高められるわけです。
小径ボアだから、燃焼室中央の点火プラグで発火のきっかけを与えてから、ボア沿面まで火炎が届くのも早い。すると、高温高圧下で生じやすいノッキング(火炎が届く前に勝手に着火してしまう)が起きる前にきちんと燃え尽きてくれる。排気温度が高いから、排ガスエネルギーも大きい。ターボ過給にはうれしい報せですね。自然吸気でも、バルブオーバーラップなどを用いれば掃気にも有用です。加えて、暖機の所要時間も早い。早期触媒活性化も見込めます。いいこと尽くめですね。
じゃあデメリットは。
まず、エンジンが長くなります。高さが増えちゃうと何が困るか。ボンネットが高くなります。近年は歩行者衝突要件のためにエンジン高さを極力低くしたい。横置きパワートレインにおいて著しく後傾させたり、アクチュエータを用いてボンネットヒンジを衝突時に持ち上げたり、各社いろいろなことを試みています。だけどエンジン自体が高くなると、それらもなかなか難しくなってしまいます。
さらに、ロングストローク設計にすると摩擦損失が厳しくなります。コンロッドによってピストンがシリンダ壁に押し付けられる度合いが強くなるわけです。解決手段として、ピストンスカートにコーティングを施す、ライナーの潤滑性能を高める、シリンダオフセットを盛り込むなどが考えられまして、S07Bもシリンダオフセット設計にしてあるとのこと。ただし、寸法自体はS07A型と同じということでした。すでに開発済みの設計思想を水平展開しているそうです。
これは個人的な想像なのですが、S07BはNシリーズに特化しているから高さがあっても大丈夫だと開発陣は踏んだのではないでしょうか。Nシリーズにはいわゆる軽セダンの類のモデルがなく、基本的にハイト系/スーパーハイト系です。S660はミッド搭載だから、エンジン全高が嵩むのが是か非かは置いておいて、高さ方向には余裕があります。だから、1.293なんていう超ロングストロークエンジンの開発が可能になったのだろうと思います。
デメリットふたつめ。燃焼室設計が難しくなります。近年は急速燃焼を図ることから、4バルブに点火プラグ中央配置が主流です。小径ボアになるとバルブ面積がとれません。実効面積を稼ぐならバルブリフト量を増やす手もありますが、そうすると低回転域でスカスカの特性になってしまいます。
ホンダはきちんとこれらに対処してきました。バルブ面積を極力稼ぐために目を付けたのが、点火プラグ。従来のねじ径が12mmだったところ、10mmに縮小しました。おそらく、M12に対してM10はねじ長さも増やしているだろうと思いますが、そうすると点火プラグの熱逃げ性も高めることができます。いっぽうで耐久性には相当気を払っただろうと想像します。
バルブリフト量の解決はお察しのとおり。伝家の宝刀VTECの採用です。仕組みと効能については皆さんもよくご存じでしょう。ロッカアームを切り替えることで、低回転高応答と高回転大量吸気を両立させているわけです。エンジニア氏によれば、切り替え回転数は4500rpmあたりとのこと。なるほど、出力曲線を眺めても、そのあたりを境に出力カーブが折れているのが見て取れますね。
利得はいろいろ挙げられるとおり。だけどやっぱり気になるのは、わずか6年で新しくしたという事実です。S07Aでは達成できない何かがあったからこそ、とんでもない手間をかけて切り替わったのは想像できまして、それがなぜなのか機会があったらぜひお訊きしてみたいです。
いずれにせよ、世界有数のロングストローク型エンジンが日本から、しかも日本でしか買えないモデルに搭載されるというのはなんだか誇らしい気分です。