目次
概要
さらなる高度化・高速化が求められている材料開発の分野では、コンピューターや人工知能(AI)技術を活用し、大量かつ良質なデータを活用したインフォマティクス(情報科学)の手法により、経験と勘に基づく従来の手法に比べて効率的な素材・材料開発を行う「マテリアルズ・インフォマティクス」が大きな潮流となっている。固体触媒開発において、触媒表面の化学構造の情報を得るために、酸素原子核※1(17O)をはじめとする各種四極子核※2のNMR測定をすることが重要だが、従来の核磁気共鳴法(NMR)では測定が難しいため、より感度を向上した動的核偏極核磁気共鳴法(DNP−NMR)※3を用いる。しかし、従来のDNP−NMRの測定方法では、四極子核に対して、測定感度、およびスペクトル分解能が低く、表面構造解析が十分に実施できないことが課題だった。
このような背景の下、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は「超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクト(以下、超超PJ)」(2016年度~2021年度)で高度な計算科学や高速試作・革新プロセス技術、先端計測評価技術の三位一体による有機・高分子系機能性材料の高速開発に取り組んでいる。本事業で産業技術総合研究所(産総研)触媒化学融合研究センター、先端素材高速開発技術研究組合(ADMAT)は、固体表面の四極子核をDNP-NMRで高速・高分解能に測定するための革新的な測定技術の開発に取り組んでいる。2020年にはDNP−NMRを用いて固体表面上の四極子核の測定を可能にするD-RINEPT(Dipolar-mediated Refocused Insensitive Nuclei Enhanced by Polarization Transfer)※4照射プログラムを新規に設計し、世界初となる固体表面上の17O、67Zn、95Mo、47,49TiなどのNMRスペクトルの短時間観測を達成した。
そして今回NEDOと産総研、ADMATは、四極子核の高分解能化手法であるMQMAS(Multiple Quantum Magic Angle Spinning)※5をD-RINEPTに組み込んだ新型パルスプログラム(D-RINEPT-MQMAS)を開発した。これにより、固体表面の酸素原子核をはじめとする四極子核のNMRスペクトルを高速かつ高分解能で観測でき、より高精度に触媒表面の構造解析ができるため、革新的な材料開発の促進に寄与する。
なお本成果は、2021年8月22日から27日まで開催される磁気共鳴の国際会議である第22回ISMAR(International Society of Magnetic Resonance Conference)で発表される。
今回の成果
固体触媒、太陽電池、量子ドット、マイクロエレクトロニクス部材などは、さまざまな製品に利用されている重要な部材であり、その部材性能は表面特性に大きく依存する。このような次世代のナノ材料開発においては、材料設計指針を得るために、表面の化学構造の解析が重要な課題である。この課題に関し、NMR分光法は有効な分析法の一つである。しかし、分析対象の表面部分は原子の数が少なく、感度が低いNMRでは、構造解析が困難である。
2017年に、超超PJにおける研究開発で導入したDNP-NMR装置は、原子核よりも大きな磁性を持つ不対電子を使用して、固体表面の原子核の微弱なNMR信号を高感度に観測できる画期的な分析法。DNP-NMRは固体表面の化学構造を調べる手段として適しているが、従来、その適用範囲は主に核スピン量子数※62分の1を有する1H、13C、15N、29Siなどの原子核に制限されてきた。一方、表面特性が重要なナノ材料では、化学構造に酸素原子を含む場合が多いため、17OのDNP-NMR測定が強く望まれてきた。しかし、核スピン量子数1以上を有する17Oをはじめとする四極子核では、測定感度およびスペクトル分解能が低いという課題があり、NMR信号の観測とスペクトル解析が難しい原子核だった。このような背景の下、超超PJでは2020年に、四極子核をDNP-NMR測定できるD-RINEPTプログラムを開発し、固体表面上の17O、67Zn、95Mo、47,49TiなどのNMRスペクトルの観測に成功した。
今回の成果は、2020年に開発したD-RINEPTプログラムをさらに進化させたものである。D-RINEPTプログラムでは、測定時間を大幅に短縮したものの、取得した1次元NMRスペクトルの分解能が低いため、ピークが重なってしまい、構造が十分に解析できない場合があった。このピークの重なりを解消するためには、四極子核の高分解能化を可能にするMQMAS法の適用が必要だった。そこでこのたびD-RINEPTとMQMASの各部分のパルス照射方法を見直し、D-RINEPTにMQMAS法を組み込んだ新型パルスプログラム(D-RINEPT-MQMAS)を開発し、D-RINEPTプログラムによる四極子核の短時間・高分解能な観測、解析を実現した。
新型パルスプログラムによって測定される高分解能NMRスペクトルは、2次元NMRデータとして得られる(図1右)。これは、1次元NMRスペクトルの横軸とは別に、高分解能な観測結果を新たに縦軸として追加することに相当する。これにより、化学的環境が異なる酸素原子のNMRスペクトルを縦軸により分離し、詳細な化学構造の情報を得ることができる。本新技術を用いると、17Oをはじめとする、さまざまな四極子核の高分解能NMRスペクトルを測定できるようになる。一例として、17Oエンリッチ化※7γ―アルミナ※8の観測結果を示す(図2参照)。従来、1次元のDNP-NMRではアルミニウム―酸素(Al-O)の結合に由来する構造の存在が示唆されるものの、その詳細な組成に関するデータは得られていなかった(図2左青線)。今回開発した測定技術により、従来では取得が困難な17Oと27Alの高分解能2次元NMRスペクトルをわずか1時間で測定でき、重なり合って認識できなかったAl-Oの各ピークが分離した形で観測できるようになった(図2右)。17Oの結果から、3配位構造の酸素原子(OAl3)、2種類の4配位構造の酸素原子(OAl4)、また、27Alの結果からは、4配位構造と6配位構造のアルミニウム(AlO4、AlO6)の他に、表面上にのみ存在する5配位構造のアルミニウム(AlO5)を実測することができた。
このように、単一な構造が集積したものと考えられるγ―アルミナについても本開発測定方法を用いると、表面でさまざまな構造をとっていることがわかった。本開発技術はγ―アルミナにとどまらず、各種の金属酸化物にも利用できる。材料表面を酸素原子の構造の観点から短時間で解明し、合成法や表面処理方法など材料設計指針を明確にすることで、材料開発に要する時間を大幅に短縮できる。
今後の予定
今回の成果は固体表面上の酸素原子核をはじめとする四極子核の高速・高分解能NMR測定を実現し、材料解析に要する時間を大幅に短縮し、高精度な表面構造解析を可能にしたのみならず、計測技術の飛躍的な進歩とも言える。今後NEDOと産総研、ADMATは本事業で、今回の成果を用いてさまざまな金属酸化物の表面構造を詳細に解析する。また、高度な計算科学や高速試作・革新プロセス技術、先端計測評価技術を融合し、材料開発の加速と製品性能や製品寿命に優れた超先端材料の開発に貢献する。
【注釈】
※1 酸素原子核 酸素の原子核は16O、17O、18Oの同位体が存在するが、NMR信号を観測できる同位体は17Oのみである。これらの同位体の中で、17Oは0.038%と極めて少ない量しか自然界に存在しない。加えて、17Oの共鳴周波数は13Cに比較して2分の1程度と低いため、NMR測定感度が低く、測定が困難である。
※2 四極子核 原子核内の電荷分布が非球対称のために、物質内の電場勾配に影響を受ける原子核のこと。スペクトルが複雑なスペクトル形状をとってしまい、測定、スペクトル解析が困難である。周期表中のおよそ75%の元素は四極子核に該当する。
※3 動的核偏極核磁気共鳴法(DNP−NMR) 不対電子にマイクロ波を照射し、電子スピンから原子核への磁化移動を生じさせ、固体NMRの感度を飛躍的に向上させる技術。NMRは核磁気共鳴法を意味し、原子核にラジオ波を照射し、得られた電気的信号から化学構造を特定する技術。
※4 D-RINEPT(Dipolar-mediated Refocused Insensitive Nuclei Enhanced by Polarization Transfer) 超超PJで2020年に発表したDNP-NMRの測定プログラム。DNPによって高感度化した水素核の磁化を固体表面上の観測したい四極子核へ高効率に移動させてNMR信号を観測する。これにより、四極子核のDNP-NMR測定が可能になる。
※5 MQMAS(Multiple Quantum Magic Angle Spinning) NMRの測定プログラムの一種で、四極子核のスペクトルを高分解能化する技術。1995年に最初に発表され、現在までに十数種類のMQMAS測定プログラムが発表されている。本研究ではMQMAS中のパルス照射方法を改良して、D-RINEPTプログラムに組み込むことに成功した。
※6 核スピン量子数 核スピン量子数は陽子数、中性子数によって決定される各原子核が持つ固有の物理量。核スピン量子数がゼロの場合はNMR信号が観測されない。核スピン量子数1以上を有する原子核は、四極子核に分類される。本研究の解析ターゲットである17Oは核スピン量子数2分の5を有する四極子核である。核スピン量子数2分の1を有する原子核(1H、13C、15N、29Si)は、原子核内の電荷分布が球対称のために、物質内の電場勾配に影響を受けないため、測定とスペクトル解析が比較的容易である。
※7 エンリッチ化 材料の同位体量をNMRで観測しやすいように置換すること。酸素の場合、16O、18OがNMRでは検出できないため、検出可能な17Oへ前処理で酸素原子の一部を交換する。本開発では40%17O水と試料を混合して、ボールミル処理によりエンリッチ化を行った。
※8 γ―アルミナ 化学式がAl2O3で表されるアルミニウムの酸化物。立方晶系のγ―アルミナは高比表面積であり、触媒担体として頻繁に利用される。