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40年前に市販化したL型6気筒用のオリジナルDOHCヘッド、TC24-B1。それを現代の技術で蘇らせたTC24-B1Zが注目を集めている岡山のオーエス技研。その創業者である岡﨑正治氏の半生を本人へのインタビューとともに振り返っていく。10代でバイク用エンジンを開発した稀代の天才は、いかにして現在まで続く一流メーカーを作り上げたのか。
ゼロからの出発で世界的メーカーを創出
BNR32で不動のものとした強化クラッチのオーエス技研
クルマ雑誌での露出が増えるにつれ、「ここで働かせてほしい」と、ボストンバッグひとつ抱えた若者が会社の前に立っていることも度々あったと回想する岡﨑氏。昭和50年代はクルマと言えばエンジンが花形で、当時の最先端であったTC24-B1に憧れてオーエス技研の門を叩く若者たちが多くいたことにも納得できる。
そんなTC24-B1から派生するように誕生したツインプレート強化クラッチは平成元年、BNR32やZ32の登場=本格的なターボ時代の到来を機に販売数を劇的に伸ばすことになった。
岡﨑氏が言う。「BNR32は純正クラッチが滑るんよ。発売直前にそれが分かったみたいだけど、メーカーとしては時期的に、もうどうしようもなかったんだろ。クラッチ滑るんが分かっていながら売ってしまったんだな」。
その頃、大阪・南港でストリートゼロヨンが流行り始め、老舗チューニングショップ“ターボセンターメカニカル”のお客さんだったBNR32オーナーがオーエス技研の強化クラッチを装着したいという話が来た。RB26用の強化クラッチはまだオーエス技研になかったが、フライホイール形状が酷似しているL型用をベースにツインプレート強化クラッチを製作して、そのBNR32に装着することになった。
エンジンはノーマルだったが、ブーストアップ仕様を相手に連戦連勝を飾るターボセンターメカニカルのBNR32。たとえパワーで上回っていても、それを余すことなくタイヤに伝えられなければ速くは走れない。確かに、強化クラッチを組んだだけで速くなることはないが、速く走るために強化クラッチが必要であることは明白だった。
「そりゃ、パワーじゃ負けとるのに何で勝てるんだ?となるわな。クラッチを交換してることは黙ってたけど、ペダルを踏んでクラッチ切ったらシャラシャラ音が出とるし、薄々感づかれてはいたみたいだけど」と岡﨑氏。
ツインプレート強化クラッチが急激に売れ始めたのはそこからだ。中でもRB26用の注文が殺到し、1日で140個を出荷したこともあった。そのあまりの数の多さに、注文の電話を取らなかったというエピソードも残っているほど。スタッフが少ないオーエス技研では生産が追いつかず、すぐにバックオーダーを抱える状況となった。
岡﨑氏の回顧によれば、「RB26用の強化クラッチはBNR32の新車販売台数より数が出たんよ。エンジンチューンがどんどん過激になって、それまでツインプレートを使ってた人がトリプルプレートに交換したりしとったからな。パーツでディスクだけを買う人はほとんどおらんで、みんな軽量フライホイール、強化ディスク、強化カバーのセットで買うてくれてたよ」とのこと。
それまで資金繰りに苦しんでいたオーエス技研は、飛ぶように売れた強化クラッチのおかげで収益が大きく改善することになった。それ以上に、岡﨑氏の大きな功績と言えるのが、アフターパーツとして強化クラッチの重要性を初めて認知させたことである。
さらに、この強化クラッチには後日談がある。それは2000年代に入ってからのことだが、なぜか海外からの問い合わせが急増したという。
その理由は、海外出張に行ったスタッフによって明かされた。現地のジャンクヤードに足を運んだところ、日本から輸入したRB26やSR20が山積みになっており、そのほとんどにオーエス技研のツインプレート強化クラッチが装着されていたという。つまり、その装着率の高さから、現地の人間がRB26やSR20の純正クラッチがオーエス技研製だと思ったとしても、何も不思議ではないという話だ。
走りを変えるクロスミッション、駆動系パーツの対応車種拡大
ツインプレート強化クラッチが爆発的に売れたBNR32の登場以前、岡﨑氏はサニーに対応したL型4速MT用クロスミッションをすでに市販化していた。その車種ラインナップが拡大するのは平成に入ってから。チューニング界を牽引していたRB26用を筆頭に、CA18やSR20、VG、1G-G、1JZ、13B-Tと対応車種が増やされた。会社として小回りが利くことを活かして特注生産にも対応していたが、数としては少なく、それより注文が入ったパーツを出荷するので精一杯だった。
一度製品化しても、新たな素材や製法を採り込むことで絶えず進化を続けるクロスミッション。新製品が完成すると従来品は残らず破棄したという。
「最新最良が一番だと思ってやってたからな。例えばBNR32用は始め600ps対応やったけど、そのうち1000ps対応が完成した。そしたら600ps対応のクロスミッションはいらんやろ。600psのクルマにも1000ps対応のモノを組んでもらえばええだけの話じゃ。それよりも、もし600ps対応のモノを使っててトラブルを起こされることの方が問題。オーエス技研の信用を失うことになるからな。もう在庫がどうとか資産がどうとか、そういう次元の話じゃないわけよ」と岡﨑氏。
話に耳を傾けながら感じるのは、自らが手掛けた製品に対する岡﨑氏の絶対的な自信だ。もちろん、その陰には他人には知れない努力がある。たとえ完成した製品でも事あるごとにあらゆる角度から見つめ直し、そこに余地が見つかれば最善の改良策を施す。その繰り返しによって製品としての完成度を高めてきたからこそ、それが自信へと繋がるわけである。
エンジンの開発に再び着手、そこで誕生したRB30キット
強化クラッチが売れ、経営が軌道に乗り始めたオーエス技研。本心ではエンジン開発に力を入れたかった岡﨑氏だが、会社のことを優先してそれとはあえて距離を置いていた。
岡﨑氏が再びエンジンに着手し始めたのは強化クラッチの販売が落ち着き、開発に時間を割けるようになった平成7年。それがRB26をベースとしたコンプリートエンジンRB30 OS-E2996、通称RB30キットである。
岡﨑氏は言う。「RBそのものは2.6Lで排気量が小さいから、ボリュームをもうちょい上げたかったんよ。そこで大きな問題になったんがシリンダーブロックの低さ。ロングストローククランクシャフトを組むと、下死点でピストンがシリンダーブロックの下にはみ出してしまうんよ。だから、簡単にロングストローク化できないわけ」。
そこでシリンダーブロックとヘッドの間にスペーサーをかませてスリーブを入れ、結果的にブロック高を稼ぐという方法に行きついた。それにより、ボア径86φ×ストローク量86mmで排気量を2996ccに拡大。約5年に及んだ開発期間を経て平成13年に発売されたRB30キットは、仕様によって1200〜1300psを発揮した。
RB26がまだ600ps前後だった時代に岡﨑氏は「このエンジンは1000ps以上出るで」と予測していたというが、それが現実になった瞬間だ。
もちろん、開発の途中では何度も壁にあたった。当初は熱膨張でシリンダーやライナーがよく割れたが、オープンデッキにすることで解決。それは冷却面でもプラスに作用した。
「そもそもブロックと鉄板では熱膨張が違う。そこで100度まで温めてそれぞれ寸法を測ったら、鉄板の方が1mm以上も伸びていた。冷えてる時はスーッと入ってるライナーが熱を持つと開き、1番と6番ばかりが割れるんよ」と当時を回想する岡﨑氏。
どのメーカーでも、壊れたパーツを確認して原因を推測するところまではやるだろう。しかし、壊れる状況を再現して検証するというのはあまり耳にしたことがない。聞いた話は忘れるが、自らが体験したことは記憶に深く刻まれる。それを岡﨑氏は実践したのだ。
何事も実際にやってみないと分からないことが多く、岡﨑氏は社員に対してもトライを沢山やらせた。たとえお金が掛かることであっても。それは、お金がない時に岡﨑夫妻が苦労しているからであって、多少でもお金に余裕ができたら、それを開発費に回していたという。そこでもし失敗しても、社員に責任を取らせるようなことは当然なかった。なぜなら、岡﨑氏自身も沢山の失敗を繰り返してきたからに他ならない。
「これまで造ってきたパーツに対する思い入れはそれぞれにあるよ。その時々の自分の技術的なレベルも含めてな。ただ、どんなパーツでもトラブルが起きるんは限界まで使うから。そこまで使わなければトラブルなんか出るわけなかろう。パーツを造ってるわしらは普通の話をしてるんじゃない。その上の話をしてるんよ。職人であるし、テクノロジーの世界でもある。そういう分野はなかなかないと思うで」。
平成の時代、再びエンジン開発の道を歩み出した岡﨑氏。それと並行して画期的なメカニズムを投入したスーパーロックLSDや、国産初のシーケンシャル6速MT、OS-88の開発も着々と進んでいた。
Part.5へ続く
●取材協力:オーエス技研 岡山県岡山市中区沖元464 TEL:086-277-6609
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