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目指したのは90年代の栄光、親から子に継ぐドリームFD3S
友の想いをカタチにした強くて美しいエンジンベイ
あなたが子供の頃によく読んでいた雑誌は何だろう? ロサンゼルス出身のドン・パーク(左)の場合は、何を隠そうOPTION誌が思い出の愛読書だ。当時、近所の商店までスケボーに乗って行き、OPTION誌とジャパニーズ・グリーンアップルソーダを買うのが月イチのルーティンだったという。
「OPTIONに載っているチューニングカーにはとにかく憧れたよ。高校の時に親を説得して初めて買ったクルマはDOHC VTECのデルソルだったんだけど、そいつをイジってはシルマーのストリートレースに出かけたものさ」。
そう語るドンにとって、本当のドリームカーはFD3S型のRX-7だった。ひと目見た瞬間から「これこそ自分のクルマだ!」と直感したが、当時は手が届かなかったのである。
それからなんと28年もの歳月を経て、ドンは念願のRX-7を購入した。セリトスという街で売りに出ていたその個体は、珍しい右ハンドル仕様だった。現在はカリフォルニアで右ハンを登録することは基本的に不可能だが、ドンが購入を決めた車体は(事情はハッキリしないものの)登録が為されていたのである。
新しい規則ができた後も古い規則が引き続き適用されるケースを、英語では“グランドファーザード”(おじいちゃんから引き継いだというニュアンス?)と表現するそうだ。この場合も既存の登録は有効なままで、ドンは期せずして合法的に乗れる右ハンのRX-7を手に入れたわけだ。
最初はのんびりレストアでも楽しめれば良いくらいに考えていたドンだが、誕生日に友人からビッグタービンをプレゼントされ、幼少からOPTION誌を読んで培ってきたチューニング魂に火がついた。
「まあ、そのせいで半強制的にシングルターボに変更せざるを得なかったんだけど(笑)」と振り返るが、その時の友人のひとりが、今もメインビルダーを務めるダイナスティ・モーターワークスのスティーブ・ロジャースである。
スティーブは人一倍こだわりの強いドンの要望に応え、ボルグワーナーS363SXEタービンの装着に合わせて、前置きインタークーラーを採用したオリジナルの吸排気レイアウトを構築。HKSやブリッツなど適材適所で日本製パーツを採り入れ、ハルテックのフルコンと繋ぐワイヤーハーネスはミルスペックで製作した。
さらに、エンジンルームは各コンポーネントにパウダーコーティングを施し、見た目の美しさも追求。アメリカにも進出しているサッポロビールの“BLACK”(黒ラベルじゃなくて本当の黒ビール)のアルミ缶をキャッチタンクとして流用。プルタブを開けることなく、中身は美味しくいただきましたとさ。
足回りは、アメリカで絶賛流行中のエアサスはパスして、APEXiのN1ダンパーとスタンスパーツのカップキットを装着。信頼性を担保しつつ見た目と実用性を両立させた。
ホイールには、アメリカ鍛造ブランドのagホイールが展開する3ピースモデルのSR8(F10.0J×18+19 R12.0J×18+0)を装着。ディスクの表面処理およびカラーはブラッシュド・グリージョで、クロームリムと組み合わせる。
タイヤはファルケンのアゼニスRT615K(F225/40R18 R285/35R18)。カラー設定が豊富なロロフェイスのビッグブレーキキットも備わり、華やかな足元を実現させた。
エクステリアは、フジタエンジニアリングのFEEDワイドボディキットを装着。フロントにはカーボン製のカナードとボンネットが追加され、「バンパーがスカスカして見えるのが嫌」という理由から採用したGReddyの前置きインタークーラーと相まってアグレッシブな外観を生み出している。ボンネットはSEIBON製だ。
エキゾースト環境はGlease ManufacturingのEXマニからダウンパイプを経て、チタンパイプにカーボンを被覆したHKSのユニバーサルマフラーへと繋がるレイアウトだ。
室内では、何と言っても“右ハンドル”というのが最大の特徴。Defiの三連メーター(油温、水温、排気温)をダッシュ中央に追加し、ブースト計とAEMの空燃比計をピラーに埋め込んでコクピット感が強調されている。
シートはカーボンシェルとアルミフレームを組み合わせたブリッドのストラディアII。エンジンルームと同じように室内を赤黒で統一しているところも完成度が高い。
ラゲッジルームに収まるのは、JLオーディオのRD500アンプと8インチW3サブウーファー。チューニングカーでも音響に拘るのが大人の嗜みだ。
各部のメイキングは完全にショーカーレベルだが、FD3Sがドンの憧れだったことを知る友人だからこそ、スティーブは徹底した仕事を心がけたのである。そして、もうひとつドンがRX-7のモディファイを加速させた大きな理由がある。子供を授かったのだ。
「妻が妊娠していることが分かった時、正直クルマいじりはもう終わりかなと思ったんだ。だけど、親が大事に乗ってきたクルマを子供に譲り渡す風習が昔から好きで、自分もやってみたくなったんだよ。できるうちに理想とするFDを完成させて、いつかは娘に譲ろうと決めたんだ。今となってはFDが将来に渡って父と娘の絆を強くしてくれるものと祈るしかないね(笑)」。
まさに父子相伝。隅々まで手の入った弩級のチューニングカーを娘に授けるというのも、なかなか素敵な話ではないか。ドンの愛娘が大人になってこのFD3Sを継いだ時、また取材させてもらうとしよう。
PHOTO:Akio HIRANO/TEXT:Hideo KOBAYASHI