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Zに捧ぐ我が人生。
所有する台数やガレージの大きさなどからは推し測れない、オーナーとクルマの関係性。「一番好きなクルマは?」との問いかけに迷うことなく、「S130後期型の280ZXターボです」と即答してくれた、そんな彼と歴代フェアレディZのストーリー。
Zのジグソーパズル完成まで、足りないのはあとツーピース。
源流を辿ると、それは昭和40年代まで遡る。すでに当時、祖父が150プレジデント、父親がS30フェアレディZ、母親が510ブルーバードに乗るという家庭で幼少期を過ごした彼が、その後の人生に大きな影響を受けたのは当然の成り行きだった。やがて18歳になり、念願の運転免許証を取得。そこで父親から譲り受けたS130が彼にとって初めての愛車となった。
「なぜセリカやサバンナ、スカイラインではなくフェアレディZだったのか?」と尋ねるつもりだったが、すぐにそれが愚問であることに気付き、咄嗟に言葉を飲み込んだ。彼の生い立ちを知れば、もはやフェアレディZに乗るのは運命だったとしか思えなかったからだ。
早速、3棟あるガレージのシャッターを全て開けてもらう…と、目の前には圧巻の光景が広がった。そこに収められたフェアレディZは7台。年式が旧い順にS130、S130北米仕様、Z31北米仕様、Z32前期型、Z32最終型、Z33、Z34となる。
このうち北米仕様の2台は、彼が20代後半に仕事の関係で日本とアメリカを行き来する生活を送っていた時、実際アメリカで乗っていた個体だ。
「S130は街乗りだけでなく、趣味でSCCAにも参戦していました。一度フリーウェイをブッ飛ばしていたらパトカーに追いかけられ、それを振り切ろうとしたらヘリコプターまで出動して大騒ぎになったことがありましたね。もちろん、捕まって、留置所にも入れられて。1日で出てこられたから良かったですけど、今度やったら二度とアメリカには入国できないぞと言われながら釈放されました」と、笑いながら話す彼。
もう1台の北米仕様Z31は、日産創立50周年を記念して発売されたマニア垂涎のアニバーサリーモデル。当時、すでにZ31に乗っていたが、たまたま通り掛かったマツダディーラーにアニバーサリーが並んでいるのを目にする。飛び込んで話を聞くと下取り車とのことだった。
「その時、乗っていたのが1985年式のZ31。アニバーサリーは1984年式。そこでディーラーマンにダメ元で提案したんです。こっちの方が年式が新しくて走行距離も短い。だから、そこにある旧い方と交換してもらえないか? と。そうしたら、オッケーと言うんですよ。もちろん、追い金などなし。マツダだから、おそらくアニバーサリーの方が価値があることを知らなかったんでしょうね」というエピソードを語ってくれた。
また、フロントウインドウにチームステッカーが貼られた、S130北米仕様を含む3台は本気の最高速仕様。夜な夜な湾岸や第三京浜に繰り出しては丁々発止の非合法バトルに明け暮れ、時に谷田部高速周回路のバンクを駆け抜けた歴戦の強者達だ。
赤いS130はRHC6ツインターボで武装されたABRフルチューンのL28改3.1Lを搭載。また、S130北米仕様に載るL28ETは、各部バランス取りを施して純正オーバーサイズピストンを組み、純正タービンのままインタークーラーを追加した、本来の意味でのチューンドエンジン。
もう1台のZ32前期型は、かつて最高速御三家の一つに数えられ、日産車を得意としたRSヤマモトがVG30DETTチューンを手掛けた。いずれも、国内チューニング業界が激しく勢いづいていた時代を、今に伝える生き証人…もとい『生き証車』と言っていい。
メインとも言えるガレージの3階は趣味の部屋となっていた。右奥と正面、左手は天井まで届くほどの高さを見せる本棚で、Z関連の雑誌や思い出の写真を収めたアルバムで埋め尽くされる。背中側には腰の高さほどのショーケースが置かれ、そこに隙間なく整然と並ぶのはミニカーやエンブレム、Zにまつわるグッズやアイテムだ。右手前の奥行きがある棚には、アメリカ・オハイオ州のナンバープレートを付けたフロントバンパーが上下に並んでいた。
「2枚とも、アメリカで乗っていたZに付けていた本物のナンバープレートです。希望ナンバーで片方は自分の苗字+Z、もう片方は名前+Zになっているんですよ。自分は日本人なので、アメリカ人のように名前や苗字が被る(アルファベットのスペルが同じになる)ことはなく簡単に希望ナンバーが取れましたし、最大6文字なのですが、どちらもうまい具合にぴったり収まってくれました」。
脇目など振らず、惑わされることもなく、見ているこっちが清々しい気分になってしまうほどフェアレディZに一直線なカーライフ。そこまで彼を惹きつけるZの魅力とは、一体どこにあるのだろうか。
「他のクルマでも同じことは言えますが、Zに長く乗ってきて本当に良かったなと思えるのは、オーナー同士の繋がりができたことに尽きます。それが自分にとって大きな財産ですし、これからもZに乗り続けたいと思う一番の理由です。だから、今さらZを降りるという選択肢はあり得えません」。
そこまでZを愛する彼と、彼に愛されるZ。正直、羨ましいと思った。いや、嫉妬心にも似た感覚すら覚えた。しかし、それ以上に彼の真っ直ぐな気持ちと眼差し、さらに一点の曇りもない言葉に圧倒された。
きっと、だから…だろう。終始、和やかな雰囲気だったにも関わらず、たった2時間ばかりの取材でかつてない程の疲労感に包まれたのは。もちろん、それは困憊する類ではなく、この上ない心地良さを伴うものだったことを付け加えておきたい。
「あとは初代と現行モデルが入れば、歴代モデルをフルコンプリートですね」。最後にそう尋ねると、彼が答えてくれた。
「S30は240ZGを15年ほど前に手に入れてフルレストアの作業中。ボディが仕上がって間もなくエンジンを載せる段階に来てます。現行RZ34は抽選に申し込みましたけど、2回とも外れてしまいました」。
自宅には、まだ一度も開けたことがないだろう真っ新なシャッターを備えた2台分のガレージが用意されている。そこに収まるのは、レストア作業が進められるS30と、購入希望者に対して生産が追い付かないRZ34であることは言うまでもない。
彼がこれまでの人生を捧げて制作に取り組んできた『フェアレディZのジグソーパズル』。その完成は、そう遠い日のことではなさそうだ。