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2001年夏、全長約14キロの巨大なステージに挑むBNR34
“C1外回り”に魅了された男の愛機
2008年末の大規模な一斉検問を機に取り締まりが強化され、以後、全開でカッ飛ぶチューンドの元気な姿を見る機会はめっきり減り、このステージが表舞台に出ることも無くなった。首都高速環状線、通称C1である。様々な伝説が生まれた舞台であるが、今回紹介するのは、そんなC1の黄金期に“最速”と呼ばれていたBNR34だ。アタック時の平均速度は200キロオーバー、霞が関トンネルまでの直線区間で300キロを叩き出す異次元の速さ。そのメイキングの全てをここに記す。(オプション本誌2001年8月号より抜粋)
谷町JCTから霞が関までの区間で300キロに到達する
「ガソリン代だけで月15〜20万円、多い時で週3回。ちょっと前までC1を700円で走れるサーキットだと思ってたんだから、笑えるよね」。いつもの休憩場所、KK線の出口からほど近い路上にBNR34を停め、男が語り出す。
“初心者は内回り、外回りは腕に覚えがある者だけ”。これは、C1に古くから伝わる暗黙の了解だ。
必然的に外回りはトップランナー達がしのぎを削る戦場と化すわけだが、そこでも敵なしの速さを見せつけているのが、この真紅のBNR34だ。
「攻める上でのポイントはいくつかあるよ。まず汐留トンネルの先、上がり切ったところでクルマが一瞬浮く。直後には左→右とコーナーが続くから、着地でバタつかないセッティングが重要なんだ」とのこと。
徹底的に煮詰めあげたという足回りは、テインのスーパーレーシングをベースに構築。バンプ側のセッティングを研究して着地の衝撃をストローク2回で収まるようにし、C1のバンピーな路面を念頭において、しなやかに粘る味付けを施した。バネレートは前後10kg/mmが基準値。路面の状況によっては12kg/mmをチョイスすることもあるという。
スタビはHKSとニスモを気分によって使い分ける。LSDはアクセルOFF時にフリーになるクスコMZの1WAYがベストだという。アーム類はニスモ、ピロテンションロッドはクスコだ。
「飯倉トンネルはBNR34なら4速。道路公団の詰所を横目に、谷町ストレートで5速から6速に入れる」。
もはや4号線合流手前の緩い右コーナーがタイトに思うほどの速度域だが、アクセルを踏み抜いたまま立ち上がると、ストレートエンドではメーター読みで300キロに到達するというから恐れ入る。
そんな異次元レベルの走りを実現するためには、当然ながら絶対的なパワーが必要だ。このBNR34は、HKSの2.8Lキットで腰下を強化しつつ排気量を高め、TO4Rシングルタービンを回し切ることで6500rpm時に680psを発生するRB26改ユニットを搭載。レスポンスに優れ、600ps+αで広いパワーバンドを持つこと。それがこの男が作り上げたC1最速スペックなのだ。
なお、タービンは市販のTO4Rではなく、中間域でのピックアップを狙ってカットバック加工(タービン側インペラを斜めにカットしてフルブースト自の排圧を下げる)を実施。基本ブースト圧は1.1〜1.4キロだが、ここ一発の時にはスクランブルブースト1.5キロで勝負に出る。
フロントバンパー内にはARCのインタークーラーと大容量オイルクーラーを装備。これによりアタック時でも水温は80度、油温は100度以下で安定する。
エキゾーストにはARCのフルチタンを装着。メインからエンドまで100φだ。
谷町JCTから6速で踏み切って300キロに到達すると、もう目の前は霞が関トンネルだ。超高速域から一気にブレーキング、5速へシフトダウンして車体をよじりながら大きく口を開けたトンネルへと突っ込んでいく。ここでは、「入口のギャップで飛ぶことを見越して、アウト側から斜めにカットするようなラインで入る」というのがセオリーとのこと。
なお、重要なブレーキは、フロントにF50用ブレンボキャリパー&355mmのスリットローター、リヤにはN1純正ブレンボキャリパー&335mmローターをセット。パッドはエンドレスMA45。ブラインドコーナーが続くC1においてブレーキ強化は必須なのである。
ホイールはNT03をベースとしたNT04RR(11J+22)を装備。タイヤはファルケンのSタイヤ(285/35-18)を通しで履く。車高は前後645mm(地面からフェンダーアーチまで)。キャンバー角はフロント3.5度/リヤ3度、トーはアウト2.0度(フロント)、キャスター角はスタンダードだ。
「C1はトータルバランスがとにかく重要。エンジンはもちろん、ブレーキも足も空力もね。それと走行前のタイヤ空気圧チェックは絶対だね。圧は2.3キロが基準で、アタックする時は2.0キロまで落とすこともあるかな」。
男の言葉通り、美しいBNR34は空力チューンも徹底されている。バンパー取り付け部の純正プラスチックボルトでは、カナードによって発生するダウンフォースが効きすぎてバンパーごと落ちてしまうため、これを鉄ボルトに代えて対処。GTウイングは、N耐でも使われた実績を持つという逸品を装備する。
インテリアには、ユニット&センサー類含めて総額130万円(当時)もするというMotecのダッシュロガーを搭載。これは、走行に関するあらゆる情報を引き出すことができるスグレモノだ。
「走るのは夜中の2〜4時。クリアを狙ってタイムアタックできるのは、ゴールデンウィークか正月。でも、今はもう状況が状況だから厳しいよね。末期かな、C1も」。そう言い残すと、男は相棒と共にKK線から戦場へと駆け上がっていった。
チタンマフラー特有の乾いたエキゾーストサウンドが徐々に遠ざかっていく。ふと、時計に目をやると、時刻はちょうど午前2時に差しかかったところだった。なるほど、これから夜王のショータイムが始まるというわけだ。
終わりに…
今回の“Play Back The OPTION”を製作するにあたって、当時、企画担当だった編集部員から色々と話を聞く事ができた。その方のコメントをもって、この“首都高伝説”を締めくくるとしよう。
「19年前か、懐かしい。今の時代では不可能な企画だよね。あの人はサーキットも走っていて、そっちに主戦場を移そうとしていた時期だったと思う。C1が飽和状態だったから。取材中、助手席に乗せてもらったの。C1外回り一周。いや、もう異次元。Sタイヤなのにコーナーはほとんど4輪ドリフト状態で、メーターをチラ見したら本当に300キロくらい振ってるし。で、“タイヤが温まってないから、まだ8割だよ”って(笑) 記事ではチューニングの事を色々書いてるけど、それ以前にドライバーだね、あの速さは」。