「当時のレース業界を震撼させた超問題記事をプレイバック!」日本一速い男の全裸入浴シーンが・・・!?

星野一義の一日に密着した超リアルドキュメント

「日本一速い男」がOPTION誌で全裸に!

現役時代は「日本一速い男」と呼ばれた、ホシノインパル代表の星野一義氏。その熱い走りはまさに闘将と呼ぶに相応しく、常に闘争心をムキ出しにした走りでファンのハートを掴み続けたトップレーサーだ。

そしてドライバーとして数多くの栄光を手にしただけでなく、現在でも自らのチーム『インパル』を率いてスーパーGT500クラスや、スーパーフォーミュラを戦い続ける真のレース人である。

稲田大二郎(Dai)との付き合いを通じて初期のOPTION誌には度々登場してくれているのだが、その中でも当時のレース業界を震撼させた特集企画をここでコッソリと公開しよう。

1984年2月号の「ホッチと遊ぶ」特集である。内容は凄まじく真面目…、しかし衝撃的な写真の連発なので、闘将を敬愛するファンの方々はここから先には進まないことを強くお勧めする。なお、撮影時の星野氏はノリノリだったということを付け加えておく。

日本一速い男の日常生活を追う(OPTION誌1984年2月号)

人気レーサーの日常生活とは? さぁ、一日ホッチと遊んでみようぜ。

ホッチがレース関係以外で過ごせるのは1ヵ月に4~5日しかないというから、年間50日くらいだろう。何しろホッチは今、一番忙しい男である。年間30戦以上というレース以外でも、日産のテスト、BSテスト、スポンサー関係のサイン会・・・と、スケジュールがギッシリ。日本一速いレーサーという人気スターだからだ。

AM9:00起床。ホッチはそれまで故郷の静岡に住んでいたが、最近東京に越してきている。「これで都会人になった」とおどけていたものだ。

AM10:30、三鷹のホシノインパルに着く。自宅から愛車セドリックで30分ほど。そして、一日の大半をインパルで過ごす。このインパルこそ、ホッチにとってレースの次に自分のすべてをかけている会社である。そろそろ3周年を迎えるが、有名レーサーが現役時代にビジネスに手を出して成功した例は極めて少ない。

「最初は武士の商法みたいに見られて相手にされなかったこともあった。レースの合間を見ては、自分でホイール持って地方回りをしたんだ」。

ホッチはとにかく努力家。この真剣な熱意があって、初めて商売は軌道に乗った。インパルといえばホイールが最初のヒット作だが、現在ではスポイラー関係、サスペンションキット、ファッションまで手を広げている。

インパルでの一日は試作品のデザインを検討したり、仕事の客と応対する。「でも、会社はほとんど相棒の金子さんに任せている。良いパートナーがいたから出来たんだ」という。

PM5:00。得意先や製品関係の客があれば、夕食や接待に出かける。六本木あたりに出ることもあるが、近くの吉祥寺が多いという。客が無ければ、インパルはPM7:00くらいまでやっているので付き合うわけだ。

PM8:00。よほどの仕事がない限りPM9:00前には帰宅する。ホッチはお酒を飲まないので夜遊びはしない。むろん、次の日の仕事もある。冗談も好きな気さくな性格だが、根っからのオモシロ・マジメ人間なのだ。家庭も大切にする。

「なんたって家が一番、くつろげるしね」。

有名レーサーといえば派手なイメージだが、ホッチの一日は地味な生活である。その闘魂は、しかし、サーキットで大爆発し、信じられないようなスピードでマシンを自在に操る。

昭和22年7月1日生まれ(当時37歳)。蟹座、血液型A型の愛すべき男だ。

終わりに

あまり知られていないが、DaiはOPTION誌を創刊する前は雑誌『オートスポーツ』の記者だった。そして、足しげくサーキットに通い、レーシングマシンのことを記事にしていた時代がある。そこで知り合ったのが、同じ年齢で日産ワークスではまだ新人に近かった星野氏だったのだ。

すぐに意気投合した二人は、お互いを「ホッチ」「Daiちゃん」と呼び合う仲に。そうした関係が築かれていたからこそ実現した、奇跡の企画なのだろう。

[OPTION 1984年2月号より]

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