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大御所たちが見守ったマッチの貴重なデビュー戦をプレイバック!
モノクロ4ページの雑な構成で展開!?
後にF3やF3000(当時)にも参戦、KONDO Racingチーム監督として、アイドル業のみならずレースシーンでも欠かせない存在となっている“マッチ”こと近藤真彦さん。そんなスーパーアイドルの初レース参戦を、OPTION誌は1984年9月号で記事にしていたのだ。
オートスポーツ誌や芸能アイドル雑誌ならカラーページで特集を組むのだろうが、当時のOPTION誌はモノクロ4ページ展開。しかも記事というかなんというか、舐めきったページ構成(笑)。全編吹き出し、マッチのインタビューさえもない。多分、今ならジャニーズ事務所から大クレームが入るレベルだと思う…。
スーパースター近藤真彦「初挑戦!富士フレッシュマンレースの一日」
『ヘッドコーチの「ホッチ」だよ。レース前に250周も練習したんだ。ツナギもオレのインパル。え? マッチの才能? あるんじゃないの? ハハハ。』
フレッシュマンレースで警察官が大挙出動するんだからな〜。マッチはVIPですよ。
結果は30台中25位でした。当時としては全くのレース素人の芸能人がここまで頑張ったんだから立派でしょう。
『レース専門誌オートテクニック編集長・飯塚です。こんなに観客が集まりマスコミが取り上げるのはレース愛好家にとって好ましいことですね。しかし、日本のレース界におけるスターの不在感を痛感しました。』
『ホッチと一緒にコーチした柳田(セントラル)でーす! いや〜エクサで予選落ちしてヒヤヒヤもんだったけど、第2レースで通過してくれてホッとしたよ。ホント良かった、良かった、イヤ良かったホッ。』
『ボク、同じレースで優勝した小宮延雄です。予選の時「マッチをスリップで引っぱってくれ」って頼まれたけど、ボクまで(予選通過が)危なくなったんでやめました。』
それにしてもマッチの人気にはタジタジしました。たったひとりでFISCOの観客席で埋めるなんて凄い。楽しませてもらいました。本格的に続けてくれると、レース人気も高まり、日本レース史の金字塔として永遠に語り継がれるんですけどね。これも本音です。
終わりに
マッチの人気は凄まじく、フレッシュマンレースだというのに、たった一人で富士スピードウェイを3万人の観客で埋めてしまったほど。当時をよく知る関係者いわく「あれは、もうグラチャン並みだった!」とのこと。スーパーアイドル、恐るべしである。