目次
チューナーのサイドストーリーを元に、人物像に迫る連載「チューナー伝説〜挑戦し続けてきた男達の横顔〜」。第6回目は、トヨタ車のパワーチューニングを得意とするアンフィニ・宮田進一氏だ。
粛々と怪物を生み出すトップチューナー
東京都港区で生を受けた宮田さん。父親の英才教育(!?)もあってか、家の中から街ゆくクルマを見ながら、車名を1~2歳で言い当てられるようになったという幼児期。小中学校の時には鎌倉へと転居し、高校進学の時に再び都内へと居を移した。
そして、免許が取れる18歳になる直前。親には「1200ccのクルマだから」と、コンパクトカーを装って、まんまと12Aエンジン(573cc×2ローター)搭載のサバンナ(RX-3)をゲットすることに成功。
いわく「嘘はついていないからね」と。宮田青年は寝ても覚めても愛車で走り回り、燃費の悪さも相まって「ガソリンタンクに穴が開いてるんじゃないのか?」と、父親に言われることしきりだったという。そうして“トヨタ学園 日本自動車整備学校(現:トヨタ東京自動車大学校)”に入学。生活の全てがクルマ一色に染まっていった。
ディーラーに勤めながらクルマの改造に明け暮れる
整備学校を卒業後、トヨタ東京カローラに就職。この時、すでに宮田さんの脳裏には独立起業に向けての構想があったため、ディーラーのメカニックは10年間と決めていた。
「整備士として5年ほど勤め、6年目からは本社の技術課に配属されました。メカニックを指導、教育するトレーナーとしてのポジションです。同時に、この課は各ディーラー拠点から“故障原因が特定できない”などの理由で、修理不能となったクルマを引き取って修理し、整備が完了したら再び各ディーラー拠点に戻すというサービス部でもあったんです。そんな仕事を沢山させてもらったので、トラブルシューティングのノウハウを膨大に貯めることができました」。
そして仕事と並行して行なっていたのが、自宅に帰ってからの愛車チューニング。今でもその風潮はあるだろうが、とくに当時はディーラーマンがクルマの改造をするなど御法度の時代。
「夜な夜な弄っては狭山湖方面に走りに行って効果を体感したり、その次にはセリカ(TA47)を2.0LにしてHKSのターボキットを装着してみたりして、色々とハードルもあったけど楽しかったですよ」といった具合に、仕事で知り得た有効な知識も活用しながら、プライベートチューニングにも精を出していた。
1988年3月、当初の予定より1年長くなったものの、宮田さんはトヨタ東京カローラを退職。そのキャリアに幕を降ろす事となった。
“無限の可能性”、“アンフィニ”と命名し大海原へ
ディーラーを退職する数年前から、チューニングショップ開業に向けて休日になると奥さんと一緒に物件を探す日々。一都三県をグルリと横断する国道16号線沿いの物件を色々と探したが、予算内でこれといった物件には巡り合えなかった。
そんな折、奥さんの知人から耳寄りな情報が。それが、現在ショップを構える川口市だった。母屋と工場を建て、退職から2ヵ月後の1988年5月、ついに念願だったテクニカルショップアンフィニをオープンさせた。
宮田さんは語る。「うちはオープン当初からトヨタ系に強いチューニングショップというイメージだったと思うんですが、プライベーター時代はRX-3やRX-7等のロータリーエンジン車を弄って乗り回していたんですよ。そんな当時の情報を聞きつけたSA22CやFC3S、FD3Sのお客さんも多く来店されました」。
続けて「その後、S13シルビアS13の最高速テストで328.167km/hをマークすると、一気にシルビアのお客さんで賑わいましたが、すると今度はトヨタ車のお客さん達から“そろそろお願いしますよ~”なんて言われて、スープラやアリストのチューニングにも注力していくようになりました」。
爆速を実現するアンフィニ謹製スーパーカー
JZA80スープラに輸出用3.1ファイナルを装着して6速8000rpmまで回す。この数値がどれほどのものか、スープラ乗りならばピンとくるはずだ。アンフィニがチューニングした同等スペックのJZA80スープラは複数台、某テストコースで日常的にマークしてきた回転数だ。
「とは言っても、これは東関東大震災前までの話ですよ。以降は路面がフラットではなくなってしまったから、今では無理でしょうね」と宮田さん。
一方で、ドラッグレースにも力を入れているアンフィニ。こちらは仙台ハイランド内のドラッグコースが2014年9月15日で幕を閉じてしまい、関東東北エリアで1/4マイルのドラッグを楽しむことが困難に。
「お客さん達は、ツインリンクもてぎで開催されているストリートシュートアウトに移行しました。タービンやギヤ比を変更して0-300m仕様にする人が多かったですよ」。
そんなモンスターマシン達のベースとなるJZA80スープラ&2JZエンジンの登場と、それをハイチューンスペックへと仕上げていく多くの手法を研究できたこともアンフィニにとっては財産だった。
速くて乗りやすいと走る出番が増える!
「チューニングによってクルマが速くなるのは楽しいものですが、僕は併せて乗りやすさと快適性もお勧めしたいんです。例えばドラッグマシンでも“夏場の暑さは耐えられない”というお客さんには、排水タンクを室内に設置して走行直前までエアコンが効いた車内でスタンバイできるように作ったり、“MT車でのドラッグレースは苦手”なんてお客さんには、AT車のままでもそれを強化して1000ps以上に対応させてきました。クルマの楽しみ方は人それぞれで良いと思うのですが、それがチューニングカーであれば、改造するだけではなく、キチンと走らせてこそ、その存在や魅力を感じられるものだと思うんです。乗り手が辛かったり使い勝手が悪いと感じるクルマだったら、そもそも乗る機会も減ってしまいますから」。
宮田さんのメイキングはユーザーの要望が第一。その上で、乗り手が気付いてない部分を提案しながら構築されていく、云わば世界に1台だけのオートクチュールとして仕立てられるマシン。結果、オーナーの笑顔を確実に引き出す。これがアンフィニ流のチューニングカー製作なのだ。
プロフィール 宮田進一(Shinichi Miyata) ショップ名:INFINI 出身地:東京都港区 生年月日:1955年7月14日
取材協力:テクニカルショップ アンフィニ 埼玉県川口市西立野472 TEL:048-294-6161
【関連リンク】
テクニカルショップアンフィニ
http://www.infini-d.co.jp