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あの名ドリフターも若い頃は好青年だった!?
トップカテゴリーで戦う選手たちの昔と今を比較!
2000年10月6日、V-OPT収録イベントという形で開催されたドリフト大会、これがD1GPの原点である。その翌年からD1グランプリの名でシリーズ化し、2006年には下部カテゴリーとしてD1ストリートリーガル(D1SL)も誕生。D1SLで一定の成績を残すとD1GPライセンスが与えられるという体制が確立されたのだ。
各選手がトップカテゴリーであるD1GPまで上り詰めた道は様々だが、みんな最初はヒヨッコからスタートしている。そんなトップドライバー達の今昔を比較していくのが今回の企画だ。前回に続き、D1GP参戦歴10年以上の選手の中から7名をピックアップだ!
川畑真人選手
2004年(26歳)
2022年(44歳)
初参戦からしばらくの間は、荒削りな走りで追走に進出できなかったが、2004年にGPスポーツに入社してトラストのドライバーに抜擢された辺りから急成長。その後はチームTOYOのエースになり、シルビア、180SX、GT-Rで3回チャンピオンを獲得。理論派ドライバーではあるが、根は生粋の関西人で“無難な走り”は大嫌い。
日比野哲也選手
2002年(28歳)
2022年(47歳)
全くの無名だった2004年に、エビスの最終コーナーを大ジャンプしてくる走りで有名ドライバーを次々と倒して準優勝。そこから上位に定着したというサクセスストーリーを持つドライバー。また、その数年後には悪キャラを確立。現在はLBレーシングからFDJにシリーズ参戦。また、2022年のD1ライツ名阪戦へは往年のカラーリングを模したNAのAE86で参戦し、2戦連続追走進出の戦績を残した。どんな車種でも鋭い走りを繰り出すテクニシャンだ。
斎藤太吾選手
2004年(24歳)
2022年(42歳)
2006年に単走のスピード番長として有名になり、2008年と2016年にチャンピオンを獲得。マシンメイクにも秀でていて、大パワーの2JZエンジンを日本に流行らせた他、様々な新機軸をD1マシンに導入している。今や“世界のダイゴ”として絶大な尊敬を集めるスーパードリフターになっているが、相変わらず口べたで、インタビューでは最小限のことしか話さない。
末永直登選手
2005年(29歳)
2022年(44歳)
クルマと関係ない仕事に就いていた関係で、D1参戦は弟の正雄より遅い。2005年のスーツは熊久保支配人からの借り物だ。最初はマイカーのシルビアでスポット参戦していたが、その後、エビスサーキットに就職してチームオレンジ入り。2008年にD1SLでチャンピオンを獲り、そのままの勢いでD1GPでも台頭した。エビスサーキットではドリフトのインストラクターを務めている。
岩井照宜選手
2006年(28歳)
2022年(44歳)
D1GPきっての旧車乗りで、初期はKP61スターレットで参戦。その後ダイハツ・シャルマン、NA型ロードスター、FC3Sと乗り継いでいる。初めて機械審査が導入された2013年の開幕戦では、シャルマンで単走優勝を果たした。複数回の単走優勝があり、コンスタントにポイントも取っているが、追走の勝率は低い。ひょうひょうとしたキャラクターかつマシンが個性的なこともあってファンが多い。
中村直樹選手
2006年D1SL(24歳)
2022年(40歳)
強烈な追走テクニックを持ち、D1SLでは3回チャンピオンを獲得したが、一時ライセンスを失い、しばらく競技から離れていた。2018年にD1ライツで活躍してライセンスを再取得、D1GPに復帰した。テクニックはD1GPでもトップレベルで、チャンピオン争いをする実力者。相手に食らいつく超接近ドリフトが大きな魅力だ。
横井昌志選手
2007年D1SL(24歳)
2022年(39歳)
2007年から参戦しているが成績は振るわず、D1SLで2012年にチャンピオンを獲ってからD1GPでも活躍するようになった。単走、追走ともに得意で、コースを選ばず常にレベルの高い走りをする。D1SL時代に、エビスで何度も壁にぶつかりながら走り続けたことから『ゾンビ横井』というニックネームがついたが、最近はすっかり上手くなって大人になり、そんなイメージも払拭された。