「1980年代後半の“V6フィーバー”を振り返る!」自動車メーカー間のエンジン戦争が勃発!?

景気上向きの1980年代、各メーカーが動き始めた

国産自動車メーカーがV6エンジンの開発、市販化に力を入れ始めたのは時代が平成に変わる少し前、1980年代半ばのことだった。

日産VG30ET

Y30/31セドリック&グロリアやZ31フェアレディZ、F31レパードなどに搭載。SOHC12バルブのシングルターボとなる。当初グロス230ps/34.0kgmだったカタログスペックは、後にネット195ps/31.5(Y31は30.0)kgmに改められた。

その先陣を切ったのが日産だ。Y30セドリック/グロリアに搭載されたVG型(VG20/30E、VG20/30ET)が、国産初の量産V6エンジンとなった。

ホンダC20A

KA5レジェンドV6Tiのエンジンルーム。エキゾーストハウジングに排気の流れをコントロールする4枚の可変フラップが内蔵されたウイングターボ仕様で、ウエストゲート(スイングバルブ)を持たないのが特徴。スペックは190ps、24.6kgm。

それに続いたのがトヨタ…ではなくホンダというのは意外かもしれない。1985年登場のKA1/2レジェンドに載ったC20/25A)がそれにあたる。

そんな状況を見て、他のメーカーも本格始動。1986年に三菱はS11/12AデボネアVとE17/18AギャランΣに2.0Lの6G71と3.0Lの6G72を用意し、マツダも広島ベンツことHCルーチェに2.0L・NAのJFとターボ仕様JF-Tをラインナップ。日産は3.0LDOHCのVG30DEを追加した。

後発となった盟主トヨタは翌1987年、満を持してV6戦線に参上。“FF車初のV6DOHC”を謳い文句として2.0Lの1VZ-FEをVZV20カムリプロミネントに搭載した。この年は日産VG20DETやホンダC27A、三菱6G71スーパーチャージャー仕様、マツダ3.0LのJEが加わり、1988年から1989年にかけてはVG30DET/DETT(初の自主規制280ps到達)、C20A“ウイング”ターボ、6G72DOHC仕様、JE-ZEなどが次々と登場。バブル景気に沸きまくっていた平成初期の日本では、すでに“V6フィーバー”な様相を呈していたのだ。

日産とトヨタは事態を静観? マツダと三菱が新型を投入

向かい合うピストンがオフセット配置されるV6は直6に対してシリンダーブロック幅こそ広がるが、エンジン全長を短くできるのがメリット。そのため、縦置きでも横置きでも積みやすくFRにもFFにも柔軟に対応できたこと、つまりは搭載車種を増やせたことが、“V6フィーバー”を生んだ大きな要因だ。

1990年代に入ると、まずホンダがC型エンジンのラインナップを拡大。C32AをKA7レジェンドに、VTEC採用でNAながら280psを達成したC30AをNA1 NSXに搭載した。

マツダJE-ZE

HDセンティア/MS-9やHEセンティアに搭載。90.0φ×77.4mmというショートストローク型DOHC24バルブで200(HEセンティアは205)ps/27.7kgmを発揮した。また、SOHC18バルブでレギュラーガソリン仕様のJEやJE-Eも存在。

マツダK8-ZE

登場時、世界で最も排気量が小さかったV6エンジン。DOHC24バルブで、75.0φ×69.6mmのショートストローク型。EC8SEユーノスプレッソを筆頭にGE8Pクロノス/アンフィニMS-6、CA8PEユーノス500など幅広い車種で展開。

また、1991年にはマツダがJ型の2.5L版J5-DEに加え、1.8~2.5Lをカバーする新開発FF用V6、K型をリリース。GEEPクロノスに2.0LのKF-ZEが、EC8SEユーノスプレッソには当時、世界最小排気量のV6だった1.8LのK8-ZEが搭載された。

マツダKJ-ZEM

TA3Pユーノス800/ミレーニアに搭載。世界初となる量産ミラーサイクルエンジンで、リショルム式コンプレッサーが組み合わされたマツダの意欲作。排気量は2.3Lながら、3.0Lクラスの動力性能と2.0Lクラスの燃費をうたった。

さらに、翌年にはGE5PAクレフやGE5B MX-6などに2.5LのKL-ZEが載り、1993年にはリショルム式コンプレッサーを備えた量産車世界初のミラーサイクルエンジン、KJ-ZEMをTA3Pユーノス800に搭載。V6攻勢をかけることで販売店5チャンネル化を積極的に推し進めた。

三菱6A10

マツダK8-ZEに代わる世界最小V6。CB6Aランサー/ミラージュに搭載された。DOHC24バルブで、ボア径73.0φ×ストローク量63.6mm。スポーツユニットではないが、最高出力140psを7000rpmで発生する高回転型の特性となる。

三菱6A13

6A1型シリーズの最後発にして最大排気量を誇るエンジン。写真はEC5AギャランVR-4に搭載されたツインターボ仕様で280ps/37.0kgmを発揮した。当時、2.5Lクラスでトヨタ1JZ-GTEに対抗できた唯一のエンジンと言っていい。

そんなマツダに真っ向から対峙したのが三菱だ。まず1990年に2.5Lの6G73を追加。1992年からは新たに6A1型を展開することになる。

このシリーズはマツダから世界最小V6の称号を奪った1.6Lの6A10を筆頭に、6A11(1.8L)、6A12(2.0L)をラインナップ。6A12にはDOHCのMIVEC仕様やツインターボ仕様も用意され、前者はDE5A FTO GPX/GPバージョンRの、後者はE84AギャランVR-4などのエンジンルームに収まった。ちなみに6A1型は排気量や過給機の有無、SOHC/DOHCを問わず、全機種4バルブヘッドが与えられていたのも特徴だ。

トヨタ2VZ-FE

VCV10ウィンダム/セプター、北米モデルのVZV21LレクサスES250に搭載。排気量は2507ccで、同じ2.5Lでもストローク量を0.3mm短縮(69.5→69.2mm)した2496ccの4VZ-FEも存在。VZV30カムリプロミネントなどに搭載された。

一方、その頃の日産は既存のVG型を粛々と作り続け、トヨタはVZ型のバリエーションを拡大。2.5Lの2VZと4VZ、3.0Lの3VZ、3.4Lの5VZが誕生することになった。

淘汰が進み後継機種も登場、今に続くV6エンジンの流れ

マツダvs三菱の抗争を横目で見ていた日産とトヨタは1994年、新開発のV6エンジンを市場に投入する。それが日産VQ型であり、トヨタMZ型だ。

VQ型は2.0Lから3.8Lまで6機種で展開し、2.5Lと3.0Lにはターボ仕様も用意。2006年にはエンジン型式こそVQを踏襲するが、さらなるパワーとレスポンスを求めて80%以上を新設計としたHRシリーズ(VQ25/35HR、2007年にVQ37VHR)が加わることになった。

また、R35GT-R専用エンジンとして2007年にVR38DETTが登場。同じVR型では2019年、3.0L直噴ツインターボ仕様のVR30DDTTがV37スカイライン400Rに載り、現行RZ34フェアレディZのパワーユニットにも選ばれた。

対するトヨタのMZ型はMCX10アバロンに搭載された3.0Lの1MZ-FEに始まり、2.5Lの2MZ、3.3Lの3MZと拡大。しかし、このエンジンはトヨタとしては生産期間が9年と短く、2003年には早くも後継機種にバトンタッチ。それが2.5~4.0Lをカバーし、トヨタの主力エンジンとして今でも多くの車種に搭載されるGR型だ。

また、ホンダはC型を進化させ、1996年に排気量を3.2Lから3.5Lに拡大したC35AをKA9レジェンドに搭載。先代KA7/8同様、縦置きFFミッドシップレイアウトを採用した。

ホンダJ35A

4代目レジェンドに搭載されたJ35A。平成16年7月に出力自主規制が解除されたことを受け、日本製の乗用車で初の300psを達成して大きな話題を呼んだ。

さらに同年、バンク角をC型の90度から60度に改めてコンパクト化を実現した新開発V6、J型も登場。排気量は2.5Lから3.7Lまでが揃う。中でもSH-AWD採用のKB1レジェンド(2004年発売)に搭載された3.5LのJ35Aは、初めて自主規制馬力を上回るパワー(300ps)をカタログでうたった国産エンジンとして知られる。

翌1997年にはNSXのエンジンもC30AからC32Bに切り替わり3.2L化。車両型式がNA2に変更された。

その後、ホンダV6と言えばNC1 NSXに搭載された3.5LツインターボのJNC。左右前輪の駆動用とエンジンアシスト用、計3つのモーターが組み合わされたハイブリッドとなる。

三菱6G72MIVEC

搭載されたのはF36Aディアマンテ30M系のみ。カタログスペックは270ps/30.7kgmだが、パワーはそれ以上出ていたという噂もある。GTOに載るツインターボ仕様が280psだったため、それ以下に抑える必要があったのか!?

三菱6G74MIVEC

国内モデルではパジェロエボリューションだけに搭載されたエンジン。ボア径93.0φ、ストローク量85.8mmで排気量を3497ccとし、NAながら最高出力は280psに達した。また、MIVECレス仕様や直噴GDI仕様も用意されていた。

三菱は1990年代半ば以降、6G7型の改良と拡大に注力。3.5Lの6G74やF36Aディアマンテ30Mに搭載された6G72MIVEC仕様、V55Wパジェロエボリューション専用6G74MIVEC仕様などを追加した。一方の6A1シリーズには2.5Lの6A13を投入。これにはツインターボ仕様も用意され、EC5Aギャラン/EC5WレグナムVR-4のパワーユニットとされた。

5チャンネル化が失敗に終わったマツダは2002年にJ型、2003年にK型の生産を終了。2000年に発売されたSUVのトリビュートには3.0L・V6モデルの設定があったが、このエンジンはフォード製AJ型だった。また、2002年登場のMPVに搭載された3.0L・V6、MZIもフォード製でマツダV6としてはカウントされない。

と、国産V6の話はここで終わりそうだが、実は軽自動車を主力車種とするスズキもV6を生産していたのだ。それが1994年、TA11Wエスクードに搭載された2.0LのH20Aで、後に2.5LのH25A(1996年)を経て、最終的には2.7LのH27A(2000年)まで発展した。

また、2008年に登場したTDB4Wエスクードにも3.2LのN32Aを設定。国内(相良工場)で生産されたが、当時、資本提携を結んでいたアメリカGM社のハイフィーチャーV6をベースに共同開発したエンジンゆえ、純粋なスズキ製とは言えないのが正直なところだ。

TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Hiroshima Kentaro)

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