
長野県上田市にある商業施設、アリオ上田で開催された昭和平成名車展示会。その模様を続けて紹介してきたが今回がそのラスト。最後を飾るのはオリオン・ターコイズ・メタリックが眩い初代トヨタ・セリカだ。同じイベントに展示されていた白いセリカも記事にしたが、その隣に並んでいたのがこのクルマ。やはり白いセリカのオーナーとは友人だそうで、同時に取材させていただくことになった。

友人と言っても白いセリカのオーナー、西澤優幸さんは49歳で今回のセリカのオーナーである米窪一基さんは35歳だから、どちらかといえば先輩後輩の間柄といったところだろうか。聞けばお二人は仲間内のツーリングに参加されたことで知り合いになられた。その当時米窪さんはセリカではないクルマに乗っていたが、白いセリカを駆る西澤さんを見てお話しされたのだ。

というのも米窪さんは中学生時代から初代セリカに憧れ続けてきたから。クルマ好き少年だった米窪さんが初めてセリカを見た時、あまりの格好良さに一目惚れ。美しいスタイルに惚れ惚れとしてしまった。それからというもの初代セリカへの憧れを募らせ、雑誌や資料を通して理想のセリカを求めるようになった。いわゆるマニアへの成長の過程で、好きが高じるとマニアとしては初期型信仰ではないがごく初期のモデルに興味が移っていった。

もちろん当時のカタログなどを入手したのは言うまでもない。ただ、お住まいの長野県周辺には初代セリカの売り物が見つからず、運転免許取得後もなかなか夢を実現できなかった。そんな米窪さんが22歳の時に白いセリカの西澤さんと知り合ったのだから転機になったことだろう。憧れの初代セリカ、しかも初期型であるワンテールに乗る西澤さんだから話はトントン拍子に進んでいく。西澤さんは自営業者で本職は別にあるものの、旧車関連の仕事にも手を広げていた。だから売り物の情報には事欠かない。

なんとも心強い味方となってくれたわけで、早速ワンテールの売り物があると教えてもらえた。それがこのブルーメタリック、正式にはオリオン・ターコイズ・メタリックのセリカだったのだ。ちなみにワンテールとはリヤのウインカーとストップランプが一体であることの俗称。1972年のマイナーチェンジでウインカーとストップランプが独立したことで視認性を高めたが、マニアは初期のワンテールを求めたがる傾向が強いのだ。

早速実車を見にいくと、米窪さんが理想とするオリオン・ターコイズ・メタリックのボディカラー、ワンテール、そしてノーマルをキープしていたことが決め手になった。長年憧れ続けてきたから目は肥えている。ようやく理想のセリカに出会えたことで即決で購入することにされたのだ。とはいえ当時22歳の若者である。今ほど旧車価格が高騰する前だから良かったが、決して安い買い物ではない。おまけに実用的に使うのではなく、あくまで趣味のクルマ。大きな決心が必要だったことだろうと聞いてみるも、本人はケロッとした表情で「そうでもないです」というのみ。あまり本心を初対面の人には見せないのだろう。

それからは大きなトラブルもなく、憧れのセリカとの生活を楽しまれている。メンテナンスはどうしているのかと聞けば、なんと米窪さんは本職のメカニック。日常整備から車検取得まで、すべて自分で作業されているのだ。だからトラブルを未然に防ぐ予防整備的なことも実践されているのだろう。またノーマル状態で手に入れたものの、トムスの井桁ホイールとワンオフ製作したステンレスマフラーへ変更して若干のカスタムを施した。これらも購入前から考えていたのだろう。さらには西澤さんの白いセリカにもワンオフのステンレスマフラーが装着されているから、その影響も大きかったのではないだろうか。

本職のメカニックで旧車乗りとなると、どうしても周囲から頼られる存在になってしまう。特に同じクルマに乗る西澤さんから頼み事があれば断れない。西澤さんの白いセリカの整備に駆り出されることも多く、お互いに欠かせない友人関係であることがうかがえる。さらにはセリカの売り物の情報があれば二人で共有されてもいる。

旧車に長く乗ろうと思うなら、このような友人関係のネットワークを築くことが大切だ。初代セリカは人気車種なのでそれほど困ることはないだろうが、やはり入手難になっているパーツを融通しあったりデッドストックを見つける機会に繋がる。直そうにも部品がなければ話にならない場合も多く、そうした場合にネットワークを広げれば他車の部品が流用できるなどの情報も聞き出せる。初代セリカの場合、意外にもAE86レビン・トレノの部品が使えることが知られている。今後はさらに良い状態を目指してレストアされたいそうだが、こればかりは予算が必要なことなので課題なのだとか。すでに13年を共にしたセリカだから、まだまだ蜜月は続きそうだ。

