かつて、富裕層の間で一般的な乗り物だった電気自動車

電気自動車「ラ・ジャメ・コンタント」

19世紀末から20世紀初頭の自動車黎明期、現在では想像もつかないほど電気自動車が普及していた時代があった。当時の電気自動車は、始動が容易で、騒音や振動が少なく、排気ガスも出さないことから、特に都市部の富裕層に支持されていたようだ。

1899年4月29日にベルギー人のカミーユ・ジェナッツィが設計した電気自動車「ラ・ジャメ・コンタント(La Jamais Contente)」は、時速105.88kmという当時の世界記録を樹立し、電気自動車の技術的可能性を世界に示した。

アメリカでは、トーマス・エジソンがニッケル・鉄蓄電池を開発し、電気自動車の性能向上に情熱を注いでいたことで知られている。

1900年代初頭のニューヨークでは、電気タクシーが街を走り、多くの富裕層の邸宅には、専用の充電設備も備え付けられていた。当時のガソリン車はクランクハンドルによる始動が必要で、しばしば大きな力が必要なうえ、危険も伴った。

一方、始動が容易でシフト操作も不要な電気自動車は、女性ドライバーにとっては理想的な乗り物だった。そのため、ヘンリー・フォードの妻クララも含め、多くの女性に好まれたのだ。

フォード「モデルT」の登場。ガソリン車の台頭と電気自動車の衰退

フォード・モーター・カンパニー創設者のヘンリー・フォードとModelT

ところが、1908年になると転機が訪れる。フォード・モーター・カンパニーによる「モデルT」が登場した。大量生産により価格が大幅に低下し、一般市民でも購入できる自動車時代が到来したのだ。

モデルTの価格は850ドルからスタートし、その後数年で290ドルにまで下落。対する電気自動車は1,500〜2,000ドル程度と高価なままだった。

それを後押しするようにテキサス州で同時期に石油が発見され、燃料価格も低下。1912年にはチャールズ・ケタリングによる電動セルフスターターが発明され、ガソリン車の最大の弱点だった始動の難しさも解消された。

さらに、アメリカでは郊外化が進み、より長距離を走行できる自動車へのニーズが高まった。当時の電気自動車の航続距離は、50〜100km程度だったとされており、充電インフラも都市部に限定されていた。

一方、ガソリン車は給油さえすれば長距離移動が可能だ。これらの要因が重なり、1920年代には電気自動車は市場から姿を消すこととなる。1930年頃になると、世界の自動車市場は電気自動車からガソリン車に完全移行した。

電気自動車の環境性能が再評価! 技術の進歩により、21世紀に復活を果たした理由とは

EVが再び注目されるようになったのは、1970年代のオイルショックによるエコカーへの関心の高まりがきっかけだ。

世の中で石油資源の有限性と環境問題への関心が高まる中、各国政府や自動車メーカーが代替エネルギー車の研究開発に着手した。しかし、当時の技術では車載バッテリーのエネルギー密度が低く、重量、コスト、充電時間の問題からEVは実用化に至らなかった。

1996年に発売されたトヨタの電気自動車「RAV4 L EV」

転機となったのは1990年代。カリフォルニア州のゼロエミッション車規制をきっかけに、ゼネラルモーターズ(GM)は「EV1」を、トヨタは「RAV4 EV」を発売した。しかし、これらも限定的な成功に留まった。

21世紀に入ると、リチウムイオンバッテリーの技術進化により、航続距離や性能の大幅な向上が実現し、本格的にEVは復活を果たす。2008年にテスラが「ロードスター」を、2010年に日産が「リーフ」を発売。特に日産リーフは世界初の量産型EVとして、現代におけるEV普及の先駆けとなった。

そして今、私たちは100年ぶりにEVの時代の到来を目の当たりにしている。現在、EVは環境問題だけでなく、自動運転技術や共有型モビリティとの親和性の高さから、次世代の移動手段として再定義されつつある。

テスラ、日産、BMW、フォルクスワーゲンなど、世界中の自動車メーカーが次々とEVモデルを投入し、各国政府もガソリン車の販売禁止時期を設定し始めた。

皮肉なことに、かつてEVを滅ぼしたはずのガソリンが環境問題に直面し、原点に回帰しつつあるのだ。