日本の民間企業で初めて月面に到達した探査車「YOAKI」
トヨタ「ランドクルーザー」に代表されるクロスカントリー4WDの進化は著しく、もはや地球上の地形は克服したのではないかと思われるほどだ。その根幹となっているのが、トラクションコントロールをはじめとする電子制御テクノロジーだ。
そもそもクルマは、4つのタイヤと路面の摩擦によって進む・曲がる・止まるを実現している。この摩擦の力は摩擦係数が下がると低下し、同時にクルマの挙動性能も下がってしまう。そこで、エンジン、ブレーキ、タイヤの空転などをセンサーで検知し、ECUで適正化することで、タイヤのトラクションとグリップを回復させるのが電子デバイスの役割だ。

こうした技術は自動車メーカー各社の努力によって、特に2000年以降驚くほど進化した。かつては、特殊な未舗装路運転技術、タイヤのトレッドパターンやコンパウンドなどによって、オフロード対応を行っていたが、現代ではオンロード専用タイヤでも、恐ろしく荒れた悪路をラクラク走れるようになったのである。
トヨタは後述するとおり、三菱重工、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と共同で月面探査車(ローバ)を開発しているが、クロスカントリー4WDの開発で得た知見が宇宙技術にも反映されていることは間違いない。とはいえ、もっとも近い星「月」でさえも地球とはまるで違う環境だ。
まず、空気がない。これは電動以外の動力源はあり得ないということだ。さらに、重力は地球の6分の1しかない。クルマが我々の知っているように動くのは、ある意味重力のおかげと言える。
さらに、月面は完全なオフロード。「レゴリス」という非常に微細な砂によって覆われた地面を、どうやってトラクションを得ながら進むのかという課題がある。
決定的なのは、月開発初期の段階ではインフラがないため、航続距離が重要になるということ。また、非常事態時に乗員の生命維持を確保するのも大切な命題だ。様々な性能が月面探査車に求められるわけだが、まだその開発は黎明期なのである。


月面探査車の開発に取り組んでいるベンチャー企業「ダイモン」
宇宙ビジネスが昨今活況なのは、周知の通りだ。それは衛星打ち上げが常態化しているだけでなく、いよいよ人間の火星進出の現実化を目指し、その足がかりとして月面に大規模な拠点を造ろうという動きがあるためである。
そのひとつが現在、米国主導で行われているアルテミス計画であり、それをサポートするイーロン・マスク氏が設立した「スペースX」は宇宙民間企業の代表的な存在である。日本もまた「ispace」をはじめとした宇宙ベンチャーが多く起業しており、2024年から2025年にかけて様々な活動が行なわれた。
そんな中で、不思議と携わっている企業が少ないのが、宇宙探査車の市場だ。例えば、月面のゲートウェイ建設計画の一端を担うために2029年に月に投入される予定のトヨタとJAXAが共同開発中の「ルナクルーザー」以外、有人与圧ローバーの開発はされていないのが現状だ。

小型無人探査車にしても、タカラトミー「SORA-Q」、ベンチャー企業ダイモンの「YAOKI」以外は国内で見当たらないのである。この疑問については、ダイモンCEOで中島紳一郎氏が明確に答えてくれた。
「アルテミス計画が発表されるまで、他の天体の地面を移動するという必要性がなかったからですよ」
宇宙探査における探査車の存在がなかったわけではないが、その需要が増えるようなものではなかったのである。しかし、NASAによる本格的な火星探査の拠点となる月面基地の建設計画が本格化したことで、探査車の必要性も高まったのである。
さて、探査車と言ってもそのタイプは様々だ。大別すると、人の乗らない無人探査車、宇宙服を着て運転する有人ローバ、そして宇宙服を着ることなく乗る有人与圧ローバとなる。
未知の領域が多い宇宙開発において、まず探査の先鞭をつけるのが無人ローバだ。無人ローバのメリットは、地球にいながらにして他の天体の状態が把握できることだ。前述したダイモン「YAOKI」は、日本のベンチャー企業が開発した無人ローバであり、すでに月面に“到達”した車両のひとつである。
2025年3月、月面に到着して月の画像を送信した2輪ローバ「YAOKI」

2025年3月、アメリカの民間企業「インデュイティブ・マシーンズ」が行った月面ミッションで、月面着陸機「Nova-C」に搭載された。Nova-Cは月の南極付近への軟着陸を目指したが、残念ながらクレーター内に着陸したことから着陸機が転倒。
その結果、YAOKIは収納ケースから放出されることなく、格納状態のままの作動確認に留まった。ただ、写真の撮影に成功しており、この一葉が日本でも話題になったものである。


YAOKIが月面に放出されなかった理由は、Nova-CのミッションがNASAなどアメリカ主導だったためと中島CEOは語る。「コマンドを電波で送る時間が限られており、月面に放出する時間はなかった」
与えられた時間は30分。しかし、極端な低温状態になる月面の日影では、機器の過熱と起動確認が必要になる。中島氏たちダイモンチームは何とか時間の引き延ばしを図りつつ、起動確認までは漕ぎ着けたという。もし月面に放出されれば、走行できたことは間違いないという。
さて、今回YAOKI(試作機のひとつ)を間近で見る機会を得たが、大きさは15×15×9cmとホビーラジコン車と大差ない。しかし、月面を探査するというシビアな条件を考慮して、その造りには玩具にない凄みのようなものがある。
基本的には2モーター2輪駆動で、トラクションと左右対地角度性能を考慮したと思われる大きな外輪が目に入る。さらに本体の回転を防止するバンパーのようなものが付けられている。内部はもちろん複雑なのだろうが、パッと見は非常にシンプルだ。

YAOKIの開発に着手したのは15年も前のことで、それだけに無人ローバのノウハウ蓄積が豊富だという。「月面の重力(地球の6分の1)と同じ条件で試験できる設備を持っているのはウチだけ」と中島氏は胸を張る。
YAOKIの特徴は、その素材にもある。一般的に宇宙探査に使われる機器は金属製だが、YAOKIはすべて樹脂製。三菱マテリアルが宇宙向けに開発した、特別な樹脂をエクステリアに使用している。
樹脂を使うメリットは、軽量、高強度であるのと同時に、成型の自由度が高いということ。ちなみに軽さは特に宇宙開発には重要な要素だ。月への輸送コストは、なんと1kgで1億円だからだ。YAOKIは重量500gなので、5000万円で済むということになる。

樹脂に危惧されるのは宇宙線の影響だが、その部分に関しては三菱マテリアルがノウハウを発揮したようである。YAOKIにも炭素複合材が使われているが、今後は小型有人ローバが樹脂製になる可能性は十分にある。
地上では、レーシングカーに樹脂製パーツが使われることが多い。F1は約80%がカーボンコンポジットで出来ており、その実績は十分だ。6分の1の重力、低速度での運用を考えると、今後樹脂製の探査車の市場の可能性は十分だ。
現在、JAXAは宇宙探査に使う機器について基本金属製と定めているが、中島氏は月での運用実績を蓄積して、JAXAにビジネスとして働きかけたいという。
さらに、今後のミッションで月面での運用数を増加させ、最終的には100機を目指していくという。これにより月面データを収集し、月マップを共有するのがひとつの目的だという。
探査車という市場から見ると、日本のベンチャー企業と大手化学メーカーが宇宙用の樹脂を開発している点が興味深い。2030年代にはこの分野を日本が独占している…、なんて未来もあるかもしれない。
後編では、トヨタがJAXAと開発中の有人与圧ローバ「ルナクルーザー」をクローズアップしたい。