氷点下20℃。着々と進められる始発バスの出庫準備

1月17日の日の出は7時5分。未だ明ける気配もない午前6時、 羽幌ターミナルでは始発バスの発車準備が進められていた。気温は氷点下20度を割っている。しかし、潤滑油の性能が向上していることもあって、最近のバスはエンジン始動に苦労することはない。

出庫前の点検を進める一方、車内の暖房を行なわなければならない。通常、バスはエンジンで温まった冷却水をブロワに導いて暖房するが、北国のバスは冷却水をバーナーで強制的に加熱するプレヒーター(暖房予熱器)を併用する。プレヒーターは軽油を燃料とした湯沸器のようなもので、冷却水をポンプで循環させながら水温を70℃以上の高温に保つ機能がある。かつてはプレヒーター専用の灯油タンクを積んでいたが、最近の低床バスは灯油タンクを搭載するスペースがないためエンジンの燃料と共用する軽油焚きが主流だ。窓面積が大きく、断熱性に劣るバスには必須の装備で、100L近い冷却水を短時間で加熱する能力を有している。

大型バスには寒冷地仕様のボディはない。鉄道車両は窓を小さくして二重ガラスにしたり、床を滑りにくい木製に換えた北海道仕様があるが、大型バスは暖房用のブロアとドアレールヒーターを増設し、前面ガラスのデフロスターを大カロリータイプに換装する一方ボディと内張りの間に断熱用のウレタンを注入する改造が一般的だ。路線バスはカーテンがなく、窓際はどうしても冷えるので、乗客は通路寄りに座るのが北国のバスの常識である。

氷点下の朝、沿岸バスの始発便がターミナルを出庫していく。冷却水のプレヒーターは欠かせない装備
日本海に臨む羽幌町の冬は雪、強風、低温の悪条件にさされる。
留萌市立病院とサロベツを結ぶ路線バスは1日9往復が設定されている。(写真・椎橋俊之)

6時41分、未明の羽幌町を定刻より5分遅れて発車

沿岸バス本社ターミナルは夜明け前の闇に包まれている。豊富駅行きの始発は6時36発。その数分前には留萌市立病院行きのバスも出る。始発のバスを待つ乗客は3人。厚いマフラーで首筋を覆った女子高生は朝練のために留萌を目指し、豊富行きを待つ年配の女性は3日ぶりに仕事で初山別まで行くという。

豊富行きのバスは定刻より5分遅れ、6時41分に発車した。もっとも暗く、もっとも寒いといわれる夜明け前の30分、バスは町内に張り巡らされた道を整備する除雪作業車と行き交いながら羽幌町の中心街を進む。ヘッドライトに照らし出される道は牙を隠したアイスバーン。スタッドレスタイヤがグリップしている圧雪の底はスケートリンクのような凍結面である。

羽幌港から引き込まれる運河を渡り、道の駅・ほっとはぼろの横をかすめると再び市街地に入る。セイコーマートとガソリンスタンドだけが灯をともしているが、すでに人びとの生活は始まっていてクルマの往来は活発だ。信号の多い市街地を抜け、 バスは速度を上げる。制限速度一杯、60km/hで凍結路を踏みしだき、みるみる明るさを増すオロロン街道を北上していく。

炭鉱のあった築別を過ぎ、国道はゆるやかなアップダウンを繰り返していく。左手に日本海が見えたかと思うと、道は丘陵地帯に入り、登って下るとまた海が見えてくる。滑りやすい下り坂に差しかかると速度を40km/hに落とし、運転手は慎重にスピードをコントロールする。先を読んで早めにスロットルを閉じるが、ディーゼルエンジンはエンジンブレーキの効きが弱いので、排気ブレーキ、リターダーで速度を殺すのである。バス停や信号で停車するとき以外、雪道では基本的にフットブレーキは多用しない。

沿岸バス本社ターミナルで始発バスを待つ。クラブ活動の朝練で留萌を目指す高校生(写真・椎橋俊之)
夜の明けきらぬ羽幌町を出る。終点・豊富駅まで3時間(写真・椎橋俊之)

前を走るトレーラーの動きに注意を集中する

羽幌から北へ20km、初山別付近は繰り返しアップダウンが現われ、カーブも多いので大型トレーラーがスタックしてしまうことがある。

牽引自動車に分類されるトレーラーは、エンジンと駆動輪を備えるトラクターユニット(トレーラーヘッド)がトレーラー(荷台)を牽いている。トラクターユニットは1軸駆動(ワンデフ)と2軸駆動(ツーデフ)があるが、いずれも駆動輪はユニット側にあるから、長い車体の後部のタイヤを駆動するトラックに較べてトラクション伝達には不利である。その傾向はすべりやすい凍結路でいっそう顕著になる。トレーラーの運転手は凍結路の登り坂では絶対に止まらず、勢いを殺さずに登ろうとするが、条件が悪いと滑って登れなくなる。運転手はなんとか路面の中でグリップする圧雪路面やアスファルトが露出するところを探して右へ左へハンドルを切って登ろうと悪戦苦闘することになる。

バスの運転手はトレーラードライバーの苦労が分かっているからトレーラーが勾配を登りきるまで坂の下で待つことがある。勾配を登りきる寸前にスピンしてトレーラーがスタックしてしまうことがあるからだ。

2024年の年明け、1月23日に初山別村字大沢付近で大型トラックが路外に転落する事故が起きた。悪天候の中で警察による引き上げ作業が難航し、国道の通行止めが長引いたことで、路線バスが現場付近で立ち往生する事態となった。初山別から羽幌に向かう途中はカーブの後に上り坂が続くためオーバースピードでカーブに進入、コントロールを失ってコースアウトする事故が多い。真冬のオロロン街道は足をすくわれる危険に満ちている。

カーブと坂道が続く初山別付近の難所を行く。下った先のカーブはスピンやスタックなど事故多発地点
駆動輪がトラクターユニットにあるトレーラーは滑りやすい道で苦労する(写真・椎橋俊之)

無線を駆使し、バスドライバー同士が情報交換

初山別の集落に入る手前で同僚が運転する初山別北原野発留萌市立病院行きのバスとすれ違う。銀世界の中で一瞬の邂逅。お互いきびしい路面環境で運転を続けているだけに、さながら戦友のような気持ちで挨拶を交わすのだろう。

すれ違ってすぐにさきほどのバスから交信が入る。下り、上りの運転手がいままで走ってきた道路の状況・・・路面の凍結具合はどうか、立ち往生しているクルマはないか、風はどのくらい吹いているか、鹿の群はいないかなどを伝え合う貴重な情報交換である。

「遠別までは風も緩いし特に異常ないよ」

「留萌の近くでなだれ警報が出てるから気をつけて」

同僚からもたらされるナマの情報は、北海道開発局や警察が電光掲示板で表示する道路情報より早く、かつ具体的だ。冬の安全運行を支えるバス運転手たちの連係プレーがここにある。

初山別川を渡り、村に入る。左手に初山別村住民の生活を支えるセイコーマート。オレンジ色の電飾看板が温かい。人口1000人の初山別村で食品を扱う小売店が閉店した2013年、生活の危機と村長自らが誘致に動き、かろうじて買い物難民を救うことになったコンビニである。初山別から商店の並ぶ羽幌町までは20km余。しかし、クルマを持たない住民にとっては決して近い距離ではない。

初山別村を出たところで札幌行き「はぼろ」号の第一便と行き合った。豊富駅を午前5時半に発車し、2時間で羽幌、3時間で留萌に到着する。終着の札幌駅前に着くのは10時45分。所要時間5時間余のロングランナーである。運転手同士の無線交信で、ここから先、遠別から天塩、幌延方面の国道の状況を把握する。さいわい今朝は大きな事故や道路支障はないようだ。(続く)

豊富駅を早朝出発した始発便とすれ違う。このあと無線交信で走ってきた道の状況を情報交換する(写真・椎橋俊之)
凍結した国道を走る。常に路面状況が変化するので.運転手は五感でタイヤのグリップを感じ取る(写真・椎橋俊之)
羽幌から幌延までは2時間の行程(写真・椎橋俊之)
地域交通最後の砦・真冬のさいはてを走る北海道路線バス(1)

吹雪、ホワイトアウト、強風、路面凍結。運転者にとって、冬将軍の猛威にさらされる真冬の北海道は危険に満ちている。そのなかで図体の大きな路線バスの運転は、一瞬の気の弛みも許されない過酷なものだ。留萌から日本海沿いに北上するバスの運行を追った。 TEXT:椎橋俊之(SHIIHASHI Toshiyuki)

https://motor-fan.jp/mf/article/318562

取材協力 : 沿岸バス株式会社
文・椎橋俊之
写真(特記以外)・丸山裕司

ドキュメント「北海道路線バス」発売中

椎橋俊之

筑摩選書

鉄道廃線を引き継いだ最果ての地の乗合バス
その苦闘の記録


鉄道廃線を引き継いだ北海道の路線バスは、過疎化や少子高齢化により危機に瀕している。自然環境もきびしく、冬の日本海沿いでの運行は突風、ホワイトアウト、猛吹雪で困難を極めるが、運転手は高度な運転技術と旺盛な使命感で日々闘っている。バス輸送の現場はいかなる問題に直面しているのか。運行管理者、運転手の生の声を徹底取材。DMV、BRTの現在や、イギリスのバス復権の動きも調査し、バス2024年問題や運転手不足への対策に向けた提言も行なう。