生まれる時代が早すぎた!?「レプリカ」「刀狩り」「油冷」など流行語も生んだ名車たち。|1980年代の愛すべきスズキ車

1980年代のスズキ車
1980年代を彩った独創的なスズキのバイクを紹介
スズキといえば、昔から「独自路線」を貫いてきたことで、数多くの個性的なバイクを生み出してきたメーカーとして知られている。特に、「バイクブーム」と呼ばれた1980年代には、今でも伝説となるような名車をはじめ、かなり独創的なバイクも数多い。
なかには、当時の王道とは異なるスタイルや機能を採用したことで、時代の先鞭を付けたモデルもある一方、ちょっと早すぎたのかも!? と思えるものまで、さまざまなバイクが生まれた。その意味で、バイクの歴史的にも非常に面白いメーカーであるといえる。
ここでは、そんな1980年代のスズキ車のなかから、特に独自性が強かったモデルや、ブームの火付け役となった名車などをピックアップして紹介する。

REPORT●平塚直樹
PHOTO●スズキ、本田技研工業、ヤマハ発動機

「刀狩り」まで勃発したGSX750Sカタナ(1982年)

1980年代に生まれたスズキの名車といえば、やはり「カタナ」が代表格だろう。元々、このモデルは、1981年にデビューした輸出仕様車の「GSX1100Sカタナ」が元祖。「日本刀をイメージ」したというシャープで個性的なフォルムは、ハンス・ムートが率いるターゲット・デザインがデザインを担当。最高出力111PSを発揮する高性能な1074cc・空冷4気筒エンジンなどとのマッチングにより、世界的に大注目を浴びた。

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1982年型GSX750Sカタナ
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独創的デザインで人気を博したGSX1100Sカタナ(写真は2000年のファイナルエディション)

その国内仕様1号車が、1982年に登場した「GSX750Sカタナ」だ。エンジンは、当時の自主規制により、日本で乗れる最大排気量の750cc(厳密には747cc)とし、最高出力も69PSに抑えた。だが、全体のスタイルはGSX1100Sカタナとほぼ同じ。ただし、ハンドルは当時の法規制に対応するため、かなりアップタイプとなっており、「耕耘機ハンドル」と揶揄(やゆ)もされた。

現行モデルのカタナも、ハンドルはアップタイプだが、あれはハンドリング性能などとトータルのデザインを考慮して採用されたもの。違和感はない。一方、GSX750Sカタナのアップハンドルは、オリジナル(GSX1100Sカタナ)の低くてスポーティなハンドルとは違い、ちょっと後付け感もあったことで、当時はかなり不評だったのだ。

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現行モデルのカタナ

また、フロントスクリーンも、GSX1100Sカタナには装備されていたが、こちらも法規対応のためGSX750Sカタナには装備されていない。今では、当たり前でも、当時は御法度だった装備も多かったのだ。だが、GSX1100Sカタナに憧れるファンは納得しない。そのため、750cc版ユーザーのなかには、ハンドルとスクリーンを1100cc用に交換して乗っていた人も多かった。そして、当時の警察当局は、こうした改造を違法とみなし、取締りを実施。捕まったユーザー間で「刀狩り」と呼ばれたことで、当時の隠れた流行語にまで発展したのだ。

GSX750Sカタナは、その後、1984年に発売された2代目モデルで、低いハンドルやスクリーンを採用。また、スポーツバイクとしては初となる「リトラクタブル・ヘッドライト」も装備した。当時のスーパーカーなどに採用されていたのがこのヘッドライト。昼間は格納、夜間など点灯時にユニットがせり上がるタイプだ。現在、リトラクタブル・ヘッドライトは、これも法規の問題などでクルマもバイクも装備できないが、当時のカタナは、その時代における流行も敏感に取り入れていたことも特徴だ。そうした先進性が、現在も続く人気シリーズに発展した要因のひとつといえるだろう。

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1984年の2代目GSX750Sカタナ

独創的すぎた!? GSX400Xインパルス(1986年)

個性的なスタイリングを採用したスズキ車といえば、1986年に登場した「GSX400Xインパルス」も挙げられるだろう。インパルスという車名を冠したモデルとしては、1982年に発売された「GSX400FSインパルス」に続く2機種目。1994年代に登場し、当時のネイキッド・ブームをけん引した「GSX400インパルス」の元祖ともいえるバイクだ。

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GSX400Xインパルス(1986年)
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1982年に発売されたGSX400FSインパルス
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1994年代に登場し、当時のネイキッド・ブームをけん引したGSX400インパルス

「まったく新しいスポーツモデルを目指す」というコンセプトにより開発されたのが、GSX400Xインパルス。エンジンには、新冷却方式「SATCS」を採用した398cc・4気筒を搭載。SATCSとは、Suzuki Advanced Three Way Cooling System(スズキ・アドバンスド・スリーウェイ・クーリング・システム)の略。シリンダーヘッドは水冷、シリンダーブロックはフィンによる空冷、ピストン内はオイルジェットによる油冷とすることで、冷却効率の大幅な向上を図ったシステムだ。また、後輪の接地性と路面追従性に優れる新機構「E-フルフローターサスペンション」を搭載するなど、各部にわたり当時の先進技術を盛り込んでいた。

車体には、新設計した鉄製角パイプのワイドフレームを採用。デザインは、カタナでも知られるハンス・ムートが担当しており、かなり斬新なデザインを投入していた。だが、当時は、このデザインが、ちょっと個性的過ぎたようだ。フレームからヘッドライトまで伸びる「X(クロス)」型のステー部などの造形からだろう、「東京タワー」といったアダナで揶揄(やゆ)されることもあった。

斬新さではピカイチだったものの、販売的にもあまり好調ではなかったのがGSX400Xインパルス。だが、その教訓を活かしたのだろう。前述した後継のGSX400インパルスでは、シンプルなスタイルを採用。今に続くネイキッドモデル人気を盛り上げた1台となった。

レプリカブームの火付け役RG250Γ(1983年)

1980年代といえば、やはり「レーサーレプリカ」ブーム。その先駆者的存在といえるのが1983年に登場した「RG250Γ(ガンマ)」だ。

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RG250Γ(1983年)

レーサーレプリカとは、昔からのバイクファンならご存じの通り、世界最高峰の2輪レース「WGP(ロードレース世界選手権、現在のMotoGP)や、世界耐久選手権で戦うレーシングマシンを彷彿とさせるフルカウルのスポーツバイク。そのスタイルはもちろん、レースで培った当時の先進技術を盛り込んだ高性能さも人気を博し、1990年代前半まで続く一大ブームとなった。

なかでも、当時のワークスレーサーも採用していた2ストロークエンジンを搭載する250ccマシンは、レーサーレプリカの代表格。軽快な走りを味わえることと、比較的取得しやすかった中型限定二輪免許(いわゆる中免、現在の普通二輪免許)で乗れることで、若い世代を中心に大ヒットを飛ばす。

そんな250ccレプリカを、他メーカーに先駆けて市場投入したのがRG250Γだ。当時、同ジャンルには、1985年にヤマハが「TZR250」、1986年にホンダが「NSR250R」を投入したが、スズキはそれらに先んじて発売した。

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ホンダ・NSR250R(1986年)
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ヤマハ・TZR250(1985年)

エンジンには、新設計の250cc・水冷2サイクル2気筒を搭載。フラット・スライド・キャブレター、多段膨張型マフラーなどの装着により、最高出力45PSのハイパワーを発揮した。また、足まわりでは、フロントに16インチホイールと扁平タイヤを搭載し、高い旋回性を実現。リヤにはフルフローターサスペンション、フロントにはセミエア・サスペンションを採用するなど、当時の最新技術をてんこ盛りにした。

特に、当時、大きな話題となった新機構のひとつが「ANDF」だった。これは、Anti Nose Dive Fork(アンチ・ノーズダイブ・フォーク)の略で、アンチ・ノーズ・ダイブ機構式フロントフォークを意味する。急減速時などに、フロントフォークの沈み込み量を軽減し、車体の安定性を向上するシステムのことだ。ほかにも、レーサーさながらのハーフカウルやワークスカラーの採用も相まって、発表と同時に爆発的な人気を博したモデルだった。

時代が早すぎた!? 50ccレプリカのギャグ(1986年)

レーサーレプリカ・ブームに後押しされるように、1980年代後半頃からは、50ccのレプリカモデルも登場。1987年にはホンダが「NSR50」、1990年にはヤマハが「TZR50」をそれぞれ市場投入し、それらで競うミニバイクレースも活況となった。

そんな50ccレプリカのジャンルでも、やはり先陣を切ったのはスズキ。1986年に「ギャグ」というモデルを発売した。フルカウルのスタイリングに、角型パイプを用いたバックボーンフレームを採用。空冷4サイクル単気筒SOHCエンジンをマニュアルクラッチ4段変速と組み合わせて搭載するなど、当時の50ccバイクとしてはかなり本格的な装備を誇っていた。

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ギャグ(1986年)

ただし、スズキは、このモデルを「誰にでも楽しめるプレジャーバイク」として発売した。そのため、前後タイヤは10インチで、最高出力は5.2PS。一方、後に発売されるNSR50やTZR50は、前後12インチのタイヤを装着し、最高出力も7.2PSとするなど、よりパワフルで高い走行性能を実現していた。

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ホンダ・NSR50(1987年)

当時は、50ccバイクでも、レーサーレプリカであれば高性能なモデルを望まれた時代。特に、ミニバイクレースに参戦したいライダーにとっては、より戦闘力の高いモデルに乗りたい。そんな時代背景もあり、大きなセールスを記録したNSR50やTZR50の影に隠れ、ギャグは目立たない存在のまま消えてしまった。

コミカルなネーミングだし、幅広いユーザーが気軽に乗れるという意味では、とても面白いバイクだったギャグ。レース指向というより、ゆったりとバイクに乗りたいユーザーも多い今の時代だったら、一定の人気を得たかもしれない。その意味で、このモデルは、少し登場が早かったのかもしれない。

伝統の油冷エンジンを初搭載したGSX-R750(1985年)

現在のモデルにも採用されているスズキ独自の「油冷」エンジン。それを最初に採用したのが、1985年にリリースされた「GSX-R750」だ。

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GSX-R750(1985年)

当時のレーサーレプリカ人気は、前述した250ccマシンに留まらず、400ccや750ccなど、さまざまな排気量のモデルに波及した。そんななか、世界選手権耐久レースなどで活躍したスズキ製ワークスマシンのスタイルや技術を投入したのがGSX-R750だ。

スズキが油冷エンジンを投入した背景には、当時のバイクがより高出力化を求められていたことがある。従来の空冷エンジンでは熱に対する対処ができなくなっていたのだ。そこで、多くのメーカーでは、スポーツモデルのエンジンを水冷化したが、スズキは全くオリジナルといえる油冷方式をGSX-R750に採用。その後、後継のGSX-Rシリーズなどは、さらに高性能化が進み、やはり油冷では冷却が追い付かないことで、結局は水冷化された。

だが、油冷方式は、水冷と比べ機構をシンプル化でき、エンジンを軽量・コンパクトにできるなどのメリットがある。そこで、スズキは、1995年に発売した「GSF1200」などのビッグネイキッドなどに採用。現在でも、「ジクサー250」「ジクサーSF250」「Vストローム250SX」といったモデルのエンジンにも採用している。

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ジクサーSF250

そうした油冷エンジン車の元祖がGSX-R750。精悍なレーサー風スタイルに、エンジンオイルを冷却媒体とする独自システム「SACS」を採用した749cc・油冷4サイクル直列4気筒をマッチングしているのが特徴だ。

ちなみに、SACSとは、Suzuki Advanced Cooling System(スズキ・アドバンスド・クーリング・システム)の略で、エンジンオイルをオイルジェットから噴出しシリンダーヘッドとピストンを冷却する方式のことだ。

また、1気筒あたり2つの渦流を発生させ燃焼効率を上げる「TSCC(Twin Swirl Combustion Chamber=ツイン・スワール・コンバスチョン・チャンバーの略)」も採用するなどで、最高出力77PSというハイパワーを実現。ほかにも、アルミ合金製のマルチリブ・角形フレームなどで軽量化を図り、車両乾燥重量179kgを実現。当時の750ccモデルの多くが、200kgを超える車体だったのに対し、圧倒的に軽い車体を持つことで、軽快なハンドリングなども味わえた。

独自路線だからこそ生まれるスズキ車の魅力

よくネットなどでは、熱狂的なスズキ車ファンのことを「鈴菌(スズキン)」感染者などという。これは、スズキ車には、一度味わってしまうと忘れられない独特の魅力があるといったことを意味しているのだと思う。

ここで紹介した1980年代のスズキ車は、まさに、そんな感染者(愛好者)たちを多く生んだモデル群だといえる。それは、スズキというメーカーが貫いてきた「独自路線」の賜(たまもの)だろう。

時には大きな成功を収め、時には失敗もある。だが、それこそが、ほかにない個性を持つスズキ車の魅力ではないだろうかと(筆者の勝手な思い込みかもしれないが)。こうしたテイストは、時代やトレンドの変遷に関わらず、今後もぜひ継承してもらい、僕らバイク好きの心を揺り動かし続けて欲しいと思う。

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著者プロフィール

平塚直樹 近影

平塚直樹

1965年、福岡県生まれ。福岡大学法学部卒業。自動車系出版社3社を渡り歩き、バイク、自動車、バス釣りなど…