RG400ガンマ。スクエア4気筒の2ストエンジンを搭載。ワンクラス上の4ストマシンをカモれると言われていた。
令和でも元気なRG艦隊
80年代から90年代にかけ勃発したレーサーレプリカブーム。水冷2ストツインエンジンを積んだ、強力無比でかつ安価だった250ccクラスのNSR、TZR、RGガンマがフォーカスされがちだが、当時メーカーは、ブランドの威信をかけ、50ccクラスから大型まで、フルカウルのレーサー風マシンをそろえていたのだ。
だが、日本国内に限って言えば、大型から原付までのすべてのクラスで「水冷2ストエンジンを搭載」し「シリーズ名が統一されていた」ブランドは、実はスズキのRGガンマしかない。ホンダNSRは下から、50、80、250があり、その上には、ちょっと名前の違う3気筒モデルのNS400Rがおり、その上の大型クラスに2ストモデルがない。続いてヤマハTZRは50、125、250はあるものの、400ccクラスにTZRの名前を刻んだモデルはなく、大型はRZV500という、RZを想起させる名前の2スト4気筒500ccモデルしかないのだ。スズキRGガンマだけが、国内においてしっかりと50、125、250、400、そして大型クラスの500を統一してそろえていた、というわけなのだ。
フルラインナップを揃え、RG艦隊ともいえる威容を誇っていたスズキだが、250ccクラス以外のガンマたちに関しては、実際にストリートを走ってる姿を当時でもあまり見なかった。50cc乗りはすぐにクルマか250ccクラスにステップアップしたし、125ccは、「ワンツー買うなら250でいいじゃん」という世の雰囲気があった。400ccクラスは車検費用が現在よりも高く、若者にはちょっとハードルが高かった。というわけで、当時の若者は軽くて安くてかっこいい、250ccクラスを選んでいた、というわけだ。
発売から35年近く経ったガンマシリーズだが、さすがはスズキの求心力というべきか、こだわりを持つオーナーたちが、令和となったいまでも80年代RG艦隊を成す名車たちを維持し楽しんでいる。今回は2022年4月30日に神奈川県箱根にて行われた「ガンマミーティング 2022」に、超レアな大型および小型の実働RGガンマたちが集まったので、その一部を紹介しよう。
RG400ガンマ(1985)
綺麗に維持されたフルノーマルのウォルター・ウルフカラーはレア中のレア。ウォルター・ウルフは、当時の全日本ロードレース選手権などでスズキをサポートしていたカナダの石油会社で、紺/金というシブすぎるカラーリングが今でもマニアに高い人気を誇る。80年代中盤の全日本ロードレース選手権500ccクラスにおいて、スズキがワークス参戦を取りやめたなか、「東海の暴れん坊」水谷勝選手が型落ちのRG-ガンマを駆って、最新のヤマハワークスマシン、YZR500に乗る貴公子、平忠彦と激しいバトルを繰り広げた。当時はワークスチームに型落ちマシンで立ち向かう準プライベータ―というイメージを醸成し、漢気あふれるかっこよさがあった。オーナーは清水さん。
RG500ガンマ(1985)
こちらは超貴重な500ccVer。当時の750ccクラスをラクラクと追い回せるポテンシャルがあったものの、大型免許が試験一発勝負だった時代でもあり、大型免許取得ライダーの大半は国内最大排気量の「ナナハン」を選んだ。そのため販売的には不遇であったが、WGP500ccクラスマシンのリアル・レプリカであり、今では文化遺産級の価値になっている。オーナーは中川さん。前後アクティブのリプレイスホイールに変更。チャンバーはJL。フロントブレーキにはGSX-R1000用の6ポッドを装備し制動力を強化している。
RG125ガンマ(1993)
フレーム、足まわりはRG125ガンマ。当時同クラスのライバルであったTZR125に比べ優れてたこのフレームと足回りは、91年以降の地方選手権SP125クラスはほとんどこのRG125ガンマで占められてしまったほど。今でも腕さえあればワンクラス上の2気筒フルカウルスポーツを追い回せる十分な実力がある。この車体構成に200ccのエンジンを積んだ軽二輪Ver.もあった。オーナーはオリハラさん。ドッグファイトチャンバーとバックステップを装備する。
RG50ガンマ(1982)
ガンマの名を最初に冠した記念すべきモデル。しかも本車は貴重な「ヤッコタコテール」を持つ初期型。角断面ダブルクレードルフレームに水冷単気筒エンジンを搭載、当時最新のリヤモノショックサスペンションも採用したスペシャル原付だった。オーナーはVTRさん。一見ノーマルだが、前後18インチとなるRG80ホイール&大径フロントディスクブレーキ、60ccボアアップ、ビッグキャブ、当時モノのガンマ用カヤバリヤショックに換装など、通好みのカスタムが施されている。