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Marcello Gandini
トリノ工科大学の名誉学位の授与セレモニーで
「私の両親は私をピアニストにしたかったのですよ」
さる1月12日、機械工学の名誉学位の授与セレモニーが行われたトリノ工科大学で、主役である85歳になったマルチェロ・ガンディーニはそう言った。授与の理由はもちろん、カーデザイナーとして後世に残る数々の作品を世に送り出して来た功績に対してだ。それを祝うかのようにトリノ工科大学の中庭には彼が携わった15台の“作品”が並べられた。
工科大学の学生、自動車業界の仲間、友人、そして家族に囲まれ会場に登場したガンディーニは、子供の頃から機械、デザインに興味を持ち、高校卒業後、当時まだ職業として確立されていなかったカーデザインという世界に飛び込み、今日までに歴史に残る数多くのクルマを誕生させてきた。イタリアのカーデザインに一番勢いがあり、輝いていた時代の中心で活躍して来たガンディーニ。目の前に並ぶ自らがデザインしたクルマを眺めている中で、数々の思い出が蘇って来たことだろう。
また、どのクルマもカーデザインだけでなく、デザイン界全体に大きな影響を与えて来たものばかりで、個性的で存在感がある。そのデザインが、目の前に立つひとりのデザイナーから誕生した作品とは……。そう思うと、彼の偉業にただただ感動するばかりだった。実際、業界にはガンディーニ・デザインのクルマと出会い、衝撃を受け、その後カーデザイナーの道に入ったと語る人は少なくない。
高校1年の時に内燃機関の本を買って
構内でセレモニーが始まると、まず大学側からの紹介があり、角帽と黒いマントを纏ったガンディーニが学位取得記念講話(Lectio Magistralis)を読み始めた。それは彼の人生を辿る感慨深い講話だった。
彼の父親は2つの学位を持ち、指揮者でもあったという。教養高く、伝統を重んじる厳格な家庭で育ったガンディーニ。親に敷かれたレールの上を歩み、高校はイタリアで最も権威があるLiceo Classico(ラテン語、古典ギリシャ語、哲学など幅広い教養を身につける学校)に通い、輝かしい将来が約束されていた。自らも音楽家である父親は彼をピアニストにしたく幼少からピアノを習わせていたという。
しかし彼はそのレールの上を歩まなかった。高校1年の時、父親からラテン語の翻訳本を買うためにもらったお金でなんとダンテ・ジアコーザ著の内燃機関の本を買い、その本を穴が開くほど読み続け、最後は全てを暗記してしまうほどだったという。そして高校卒業後、自分の心に従い自分の夢を貫きたいと両親が計画した人生から飛び出てしまった。
学生たちに用意した4つの言葉
イタリアに限らず、高学歴、教養を重んじる家庭に育った子息が、決められた道を進むことを求められ、それ以外の道は選択肢になかったというのはよくある話だ。しかし彼はそんな状況から飛び出して、自らの道をひとりで切り開いて行ったのだ。
講演の中でガンディーニは自身の体験から、エンジニア・デザイナー志望の学生たちに4つの言葉を用意した。
1:決められたレールを敷かれた人は(私のように)、それを糧にして強靭な反骨精神を持ってほしい。
2:新しいデザインを考える時は、その分野で既に過去に行われたこと、すべてを知る必要がある。過去から学んだことが、不可能を可能にし、新しいことを生み出し、それが将来へと繋がっていく。
3:たとえ最初は困難が続いても、自分に合った仕事、自分を評価してくれる人、自分のスキルや才能を発揮させてくれる人を探すことを決して止めないでほしい。
4:テクノロジーをアイデアを実践するための手段として利用すること。しかし、紙にスケッチすることをやめてはならない。鉛筆は、アイデアを考える脳と現実をつなぐ特別な媒体だ。そこからすべてが始まって行く。独創的なアイデアがなければ、どんな天才でもそれを生み出すことはできない。とにかく自分の力で想像することだ。
初めて父親が認めてくれた仕事
過去のインタビューによると、厳格な父親は自分に反発して飛び出した息子のことをずっと認めてくれなかったが、ランボルギーニ・カウンタックを見た時、初めて息子が選んだカーデザイナーという仕事を認めてくれたという。
マルチェロ・ガンディーニの講話は、彼の生い立ちから、夢、ビジョン、覚悟、思いなど、まさに「人間マルチェロ・ガンディーニ」を知る貴重な時間となった。静寂な会場の中で響き渡った彼の言葉は、会場にいた人々の心、特に将来のカーデザイナーたちの心に深く残ったことだろう。
REPORT/野口祐子(Yuko NOGUCHI)
PHOTO/Luca GASTALDI、野口祐子(Yuko NOGUCHI)
MAGAZINE/GENROQ 2024年 4月号