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1948 Porsche 356/2 Coupe
ポルシェのアイデンティティとなるRRレイアウトに
鋼管スペースフレームのミッドシップ・レイアウトを採用した356-001から一転し、後のポルシェのアイデンティティとなる、リヤエンジン、後輪駆動(RR)を採用した356の試作2号車。
スポーツカーとしては理想的なレイアウトをもっていた356-001だが、スペースフレーム・シャシーの量産は技術的にもコスト的にも難しいうえ、オーバーヒートしやすいなど構造的な欠陥も抱えていた。
そこで彼らはフォルクスワーゲン ビートルと同様、強固なスチールのフロアパンをもつRRレイアウトに変更。左右に太いサイドシルを備えたフロアパンにボックス状のフロントセクションとリヤセクションを結合した、シンプルで強固なシャシーを作り上げた。
パワートレインは基本的に356-001同様、ビートルのものを流用していたが、エンジンはスポーツカーレースの1100cc以下のカテゴリーに適応できるよう、ボアを縮小し排気量を1086ccにダウン。その一方で圧縮比を高め、ソレックス・キャブレターを2基装着するなどのチューンを施し40hpを発揮していた。
ボディはハンドメイドのアルミ製ながら、より実用的な2+2のクーペスタイルへ変更。そのほか、ダブル・トレーリングアームと横置きトーションバーによる前後サスペンション、4輪ドラムブレーキなどは356-001と同様にフォルクスワーゲン ビートルのものが流用されている。
1949年、自動車メーカーとして正式に発表
ところが、当初資金援助のほか5台の購入権の獲得など協力を約束していたルプレヒト・フォン・ゼンガーからの入金がなく、以降の開発と生産が停滞。ポルシェは発表直後の356-001を売却するなど、経済的に追い詰められてしまう。
そこで新たな出資者として手を差し伸べたのが、チューリッヒの実業家のベルンハルト・フランクだった。彼は資金援助に加えて、最初の356/2の購入者となるとともに販売権も締結し、チューリッヒに最初のディーラーを設立する。加えて、スイス・トゥーンにあるコーチビルダー、ビュトラーに3号車をベースとしたカブリオレボディの製造を依頼。こうして完成したカブリオレと、クーペの2号車は1949年のジュネーブ・ショーで、「ポルシェ356」として正式に発表され、独立した自動車メーカーとしての歩みをスタートすることとなった。
これ以降、グミュントで生産された52台の356はグミュント・クーペもしくは356/2と呼ばれ、シュトゥットガルト製の356と区別される。
【SPECIFICATIONS】
ポルシェ 356/2 クーペ
年式:1948年
エンジン形式:空冷水平対向4気筒OHV
排気量:1086cc
最高出力:40hp
最高速度:140km/h
TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
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