伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.3】

「フランス人も萌える“あの日本ブランド”とは?」伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.3】

リナ=モンレリー・サーキット100年祭で。ヤングタイマーの部に参加したルノー5 GTターボ。
リナ=モンレリー・サーキット100年祭で。ヤングタイマーの部に参加したルノー5 GTターボ。
パリ郊外の名門コース「リナ=モンレリー・サーキット」。2024年10月12〜13日に開催された開設100周年記念祭では、一般参加の走行会に「ヤングタイマー」のカテゴリーも設定された。そこに集まった未来の名車たちとは……。

L’autodrome de Linas-Montlhéry

ポジショニングを獲得しつつあるカテゴリー

自動車の「ヤングタイマー」には、さまざまな定義が存在する。そのひとつとして初回登録後15年から40年まで、という説がある。2024年を基準にすれば1984年から2009年までに登録された車両がそれに該当する。ドイツ政府では製造後20〜29年と定めた例があり、いっぽうでフランスの、その名も『YOUNGTIMERS』誌は、取材対象を1970年から2000年代という、比較的大らかな括りをしている。

いずれにせよ、今日最も入門しやすいヒストリックカーの分野であることはたしかだ。2017年あたりからは、ポルシェを中心に市場が活気を帯びたことでもこの分野が注目されるようになった。どういう人々がそうしたマーケットを支えているのか?という疑問に、筆者が以前インタビューしたヤングタイマー専門業者は「1980年代に少年時代を送った人のなかには、今日一定の社会的地位や収入を得る人が出てきた。彼らがかつて憧れたクルマを手に入れ始めたのだ」と説明する。

今回のリナ=モンレリー・サーキット100年祭の走行会にもヤングタイマーの部が、参加可能モデルが規定されたうえで募集された。結果として今回最多となった「1950〜60年代」カテゴリーの33台に次ぐ32台が参加。最年長は1979年「ルノー R5 アルピーヌ」、最も若いモデルは2003年「ポルシェ 911 カレラ4S」であった。

幻のフレンチ・ブランドも

そうしたなか、フランスらしいヤングタイマーを、クラブエリアで発見できた。ヴェンチュリ(ヴァントゥリ)だ。同ブランドの創始者は、フランスを代表する車体メーカーだったユリエーズに勤務していたジェラール・ゴッドフレイとクロード・ポワロ。彼らが1984年パリ・モーターショーに試作車を出展したのが始まりである。

翌1985年には「プジョー 505」のターボエンジンをミドに搭載し、同「205 GTI」のサスペンションを用いた実走プロトタイプを開発。同時にMVS(Manufacture de Voiture de Sport)の名のもと、コンストラクターとして正式にスタートする。アルピーヌV6ターボ用PRV製エンジンを搭載した市販版がラインオフしたのは1987年のことであった。

ただし、長年のブランド力がものをいう欧州自動車業界で、新興のヴェンチュリが勢力を拡大することは容易ではなかった。1996年にはタイ資本を受け入れて再生を図るも2000年に倒産。2002年に今度はモナコ資本でEVメーカーとして復活を遂げたが、もはやオリジナルとは別物である。

かくも波乱万丈の道を歩んだヴェンチュリだが、成熟化した当時の自動車産業において、それもイタリアと異なり高級車のイメージが希薄なフランスで果敢にグラン・トゥリズムに挑戦した勇気は称賛に値する。今回「クラブ・ヴェンチュリ」のメンバーたちは、2024年がプロトタイプ誕生から40年を記念してリナ=モンレリーに愛車を持ち寄った。ある会員によれば、同会はプロトタイプ誕生から僅か4年の1988年設立と教えてくれた。言葉を選ばなければ、ヴェンチュリが海のものだか山のものだかわからない時代に、その小粋なGTの魅力に取り憑かれていたことになる。彼らの情熱が伝わってくる。

抜群のNSX人気

日本ブランドで目立っていたのは「マツダ MX-5」とホンダである。とくに「NSX」は、走行会において初代と2代目の2台だけであったが、注目度では抜群であった。

今日、一般のフランス人の間では、フランス国内工場で「ヤリス」を製造していることもあって、トヨタへの馴染みが最も深い。販売台数もトヨタは、他の日本ブランドと比較すると群を抜いて多い。だが愛好家の間においては、長年ホンダの人気は別格だ。

背景には2輪での長い歴史がある。ホンダは1963年という早い時期に隣国ベルギーでスーパーカブをラインオフしている。参考までに1967年フランスの名作ミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』に、カーニバルのシーンでスタントマンによるホンダのバイクショーが登場する。隣国イタリアでもそうだが、ホンダ製2輪は1950年代に生まれたおじさんたちにとって、憧れのひとつだった。

それを証明するのは、フランス古典車協会の2024年調査である。2輪コレクターの実に35%がホンダを所有していて、ブランド別では1位だ。続く世代はモトGPでホンダに熱中した。そうした親たちに育てられた子どもたちが、今やモータリゼーションの主役になったことで、欧州におけるホンダのエンスージアスティックな人気が続いているのだ。

NSXがコースから戻ってくると、たちまち若者たちが取り巻いた。ヤングタイマー人気の一部は、日本ブランドが牽引する予兆がある。そのような未来も実感した秋の週末だった。

Report & Photo/大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

リナ=モンレリー・サーキットの100周年記念祭で。ピットレーンでスタートを待つ一般参加車たち。2024年10月12日撮影。

伝説のリナ=モンレリー・サーキット100年祭【Part.1】あの“ダバダバダ”の舞台で

パリ郊外「リナ=モンレリー・サーキット」は、フランス自動車史の1ページを飾る施設である。2024年の開設100周年を迎え、その記念祭が10月12〜13日に開催された。その週末、越境組を含む多くの愛好家が自慢の愛車で集結し、かのフランス映画の名シーンにも登場する伝説のバンク付きコースを堪能した。

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著者プロフィール

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA) 近影

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA)

在イタリア・ジャーナリスト。国立音大ヴァイオリン専攻卒業。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)大学院 …