お蔵入りル・マン24時間プロジェクト「ポルシェ LMP 2000」が25年ぶりに復活

“25年の時を経て復活した”幻のプロトタイプマシン「ポルシェ LMP 2000」がサーキット走行を披露【動画】

1999年11月以来、ヴァイザッハのテスコースを疾走する、「ポルシェ LMP 2000」。
ポルシェは幻のレーシングカーとして知られる「LMP 2000」をレストアし、25年ぶりにヴァイザッハのテストコースで走行させた。
2000年のル・マン24時間レース制覇を目指し、ポルシェが開発した「LMP 2000」。25年の時を経て長らく忘れ去られていた幻のプロジェクトに、再び光が当てられることになった。ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムが「ポルシェ LMP 2000」のレストアプロジェクトを立ち上げ、再びサーキットに送り込んだのだ。

Porsche LMP 2000

25年間、心のそばにあったプロジェクト

1999年11月以来、25年ぶりにヴァイザッハのテスコースに持ち込まれた「ポルシェ LMP 2000」。
1999年のマシン完成後、予算の都合からお蔵入りになってしまった「ポルシェ LMP 2000」。ヴァイザッハで開発に携わったスタッフにとって、その存在を忘れることはなかったという。

「ポルシェ LMP 2000」は当初、2000年シーズンのル・マン24時間レースでの総合優勝を目指して設計・開発。しかし、予算上の理由から1999年にマシンが完成した時点でプロジェクト中止が決定されてしまう。わずか78kmのテスト走行後、マシンにはカバーがかけられ、20年以上も放置されていた。

今回、ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムのレストアチームがLMP 2000を復活させるまで、その存在に関しては様々な憶測や伝説が渦巻いていた。そして開発中止から25年後の2024年、1999年当時と同じようにテストドライバーのアラン・マクニッシュがステアリングを握り、LMP 2000がサーキットを周回。この時、当時の開発プログラムに参加した多くの人々が再会することになった。

ヴァイザッハの開発センターにおいて「LMP 2000」について語るとき、「A project close to our heart(いつも私たちの近くにあったプロジェクト)」という言葉をよく耳にする。まだ1周もレースで走ったことのないこのマシンは、過去25年間、このマシンを作り上げた人々の思いから離れたことはなかったのだ。

80kmにも満たない走行距離

2000年のル・マン24時間レース制覇を目指し開発された「LMP 2000」。当時、シェイクダウンを担当し、80kmほど走行したアラン・マクニッシュが、今回もステアリングを握った。
2000年のル・マン24時間レース制覇を目指し開発された「LMP 2000」。当時、シェイクダウンを担当し、80kmほど走行したアラン・マクニッシュが、今回もステアリングを握った。

1999年11月2日から3日にかけて行われたロールアウトテストから25周年を迎え、ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムは、このマシンを再び走らせることを決定した。

ステアリングを握ったのは、1999年にこのレーシングカーを最後にドライブしたアラン・マクニッシュ。54歳になったマクニッシュが全長2.88kmのヴァイザッハ・テストコースを周回する様子を、四半世紀前に「9R3 」という社名プロジェクトに携わった開発チームの面々が見守ることになった。

当時、開発の中心を担ったノルベルト・ジンガー、レーシング部門責任者だったヘルベルト・アンプフェラー。さらに、ヒストリカル・モータースポーツ・コーディネーターのアルミン・ブルガー、ヒストリカル・モータースポーツ・テクニカルアドバイザーのトラウゴット・ブレヒト、ル・マン優勝者で現在はブランドアンバサダーのティモ・ベルンハルト、エンジンマネージメント・エンジニアのシュテフェン・ヴォルフ、ヘリテージオペレーションズ&コミュニケーション部門の責任者を務めるアレクサンダー・E・クラインらという、錚々たる面々が25年ぶりの走行に参加している。

彼らにとって、LMP 2000は単なるクルマではない。彼ら全員にとって絶対に忘れられないプロジェクトであり、実戦に参加することのなかったレーシングカーの物語なのである。 そこにサクセスストーリーはなく、走行距離は80kmにも満たない。「LMP900 ル・マン・プロトタイプ・クラス」用に開発されたLMP 2000は、2000年のル・マン24時間レース制覇を目指し、最高出力600PS以上を発揮する5.5リッターV型10気筒自然吸気エンジンが搭載した。

憧れのマシンをドライブしたベルンハルト

ポルシェは幻のレーシングカーとして知られる「LMP 2000」をレストアし、25年ぶりにヴァイザッハのテストコースで走行させた。
マクニッシュと共に、ポルシェのアンバサダーを務めるティモ・ベルンハルト(中央)が「LMP 2000」をドライブ。18歳当時に憧れていたマシンのステアリングを握ることになった。

「素晴らしい! まるで25年前に戻ったような気分でした。そして、私の走行を見守っていた人たちの笑顔が、長いストレートで後ろから響いてくるエンジンサウンドと同じくらい印象的でしたよ」と、ル・マン24時間優勝を持つマクニッシュは、マシンから降りると大興奮で語った。

ポルシェのワークスドライバーだったマクニッシュは、1999年11月3日(当時29歳)、気温8.6℃・湿度68%のコンディションで初めてLMP 2000をドライブした。低い路面温度には合わないタイヤだったにもかかわらず、彼は最高速度302km/hを記録。ラップレコードを含む、60kmを走破している。その前日、2001年に亡くなったボブ・ウォレックがシェイクダウンを担当しており、マクニッシュとウォレックは2日間で78kmを走行した。

「今日は、ボブもきっとこの様子を見に来ているはずです」と、マクニッシュは懐かしそうに笑う。

一方、当時はまだ18歳の若者だったティモ・ベルンハルトは、LMP 2000を前に「当時、このマシンを雑誌で見て、いつかこれをドライブできたら……と想像していました」と、振り返った。

「25年後、こうやって憧れのレーシングカーのステアリングを握って、数周のテストラップをこなせたことを心から誇りに思います。まるで物語の一部になれたような気分でした。V10エンジンはバターのようにソフトなフィーリング、マシンは俊敏でダウンフォースは驚くレベルです。リニアなパワーデリバリーも素晴らしく、サウンドも最高でした」

1999年以来となるエンジンの再始動

ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムによって、レストアされた「ポルシェ LMP 2000」。
ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムでのレストア作業は、繊細なレーシングカーだけに、慎重に進められることになった。

LMP 2000のレストア作業は、数年の歳月をかけて行われた。ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムにとって、レストアは単にポルシェの歴史をたどることだけでなく、現在の技術とは異なるヒストリックカーを再び走らせるという、技術的なプロジェクトでもあったのだ。

「ミュージアムの倉庫でLMP 2000がカバーに覆われているのを見るたびに、1999年のロールアウトのことを考えていました」と、アルミン・ブルガーは明かす。

「2012年にポルシェに入社して以来、このマシンに関する話をたくさん聞いてきました。クリーム色のシルクの布で丁寧に覆われたこのクルマを、実際に倉庫で見たのは、それから数年後のこと。再びこのクルマが走っているのを見ると、何とも言えない気持ちになります」とブルガー。

「最終的に、私たちはこのレーシングカーを、25年前のロールアウト記念日に合わせて、復活させることを決めました。これまでも、多くの人から『伝説のLMPマシンは本当に存在するのか? もし存在するならどこにあるのか?』と聞かれたものです」とアレクサンダー・E・クラインは付け加えた。

トラウゴット・ブレヒトが主導し、ヴァイザッハのファクトリーにおいて、まずはブラックのレーシングカーからボディワークを外すことからスタートした。「エンジンのレストアも含めてとにかく慎重に作業を進めました。そして、エンジンの再始動を敢行したのです。最初のエンジン始動の瞬間は本当にエキサイティングで、10気筒すべてが完璧に回ってくれました」と、ブルガーは振り返る。

困難を極めたギヤボックスの再生

ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムによって、レストアされた「ポルシェ LMP 2000」。
当時搭載されていたパドルシフトのシステムを完全に復活させることが困難だったため、レストアチームはボッシュなどの協力を仰ぎ、フォーミュラE用のコントロールユニットを活用した。

チームはその後、1999年当時から大きな課題でもあったギヤボックスの再生に専念した。「ギヤボックスを再び稼働させるのは、ここ数ヵ月で一番の大仕事でしたよ」と、ブルガーは肩をすくめた。

「私たちはLMP 2000用に開発された、4基のコントロールユニットを見つけ、古いコンピューターで、これにアクセスしようとしました」と振り返るのは、シュテフェン・ヴォルフ。ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムにおいて、エンジンマネージメント・エンジニアとして活躍する彼は、競技用エンジンとして開発されたV10を作動させるため、919 ハイブリッドの開発で得た知見をフル活用したという。

「V10エンジンのサウンドを聞いたことがある人なら誰でも、髪の毛が逆立つような感覚を覚えるでしょう。アイドリング時の筋肉質なサウンド、低いフライホイールで素早く回転を上げるアクセルのタッチ…..。そのすべてが人々の興奮を呼ぶのです.」と、ヴォルフ。

コントロールユニットに関する説明ファイルがなければ、ステアリングパドルからの信号の割り当てと読み出しは、非常に困難な作業になったはずと、ヴォルフは説明する。

「ステアリングホイールのパドルから発せされる信号に反応し、ギヤボックスを作動させるコントロールユニットが必要でした。パドルシフトを、当時のシステムのまま再生させることが不可能だったです」

ポルシェ ヘリテージ&ミュージアムのレストアチームは集中的に解決策に取り組んだ。シフトパドルからギヤボックスへのシフト信号の伝達には、フォーミュラEのコントロールユニットが導入される。

「この解決策を採り入れたことで、エンジンを始動し、十分な油圧でクラッチを踏み、シフトパドルを引いてギヤを入れることができました」と、ブルガー。彼自身、ギヤが噛み合った瞬間、「近いうちに走行できる」と確信したという。

プロジェクトキャンセル後のシェイクダウン

ポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムによって、レストアされた「ポルシェ LMP 2000」。
1999年8月にポルシェは予算上の理由からプロジェクトのキャンセルを決定。マシン完成後、一度だけシェイクダウンの機会が与えられることになった。当時、プロジェクトを率いたノルベルト・ジンガー(左)とベルンハルト。

ノルベルト・ジンガーにとって、カーボンシャシー化されたLMP 2000は、忘れられないプロジェクトだった。彼はこのマシンのアイデアが生まれた1998年に思いを馳せる。経験豊富なレーシングエンジニアだった彼は、1998年のル・マン24時間レースにおいて、ポルシェ 911 GT1 ‘98で1-2フィニッシュを達成している。

「ヴァイザッハでは、翌年以降、GT1とLMPのどちらで参戦するかを検討していました」とジンガー。ポルシェはタイヤが摩耗しにくい上に燃費がよく、ダブルスティントではなくトリプルスティントが可能なLMPを選択することになった。

「ただ、1999年シーズンには開発期間が短すぎたので、2000年にLMPを走らせる計画を立てました。私たちはターボチャージャーではなく、V型10気筒自然吸気エンジンを選択し、空力的な理由からダウンフォースをより効かせられるオープントップを選びました」と、ジンガー。

しかし、チームがル・マンでの勝利を強く意識していたにもかかわらず、1999年8月にプロジェクトはキャンセルされた。24時間レースへの参加は、予算上の理由で断たれたのである。それでも当時のヴェンデリン・ヴィーデキングCEOはマシンの完成を承認し、LMP 2000にシェイクダウンの機会を与えた。

「最初のロールアウトは、歓喜と同時に別れの瞬間でもありました。私たちは喜びでいっぱいでしたが、そこには深い悲しみと、いくばくかの後悔もありました」と、シンガーは目を伏せた。

LMP 2000に対するそれぞれの想い

1999年11月以来、ヴァイザッハのテスコースを疾走する、「ポルシェ LMP 2000」。
当時、モータースポーツ責任者のヘルベルト・アンプフェラーは、LMP 2000のシェイクダウンに立ち会えず、25年越しにその走行シーンを目の当たりにすることになった。

当時、ポルシェのモータースポーツ責任者を務めていたヘルベルト・アンプフェラーにとっても、この記念イベントは特別な意味を持っていた。1999年のロールアウト当日、彼は現場にいなかったのだ。

「このプロジェクトは、私にとって非常に思い入れの深いものでした。25年前、出張先で受けた電話を今でもはっきりと覚えています。『LMP 2000が走っている!』と……。私たちは、LMP 2000で何ができるかを示したかったのです。開発には14ヵ月近くを要しました。25年後の今日、初めて自分の目でLMP 2000の走りを見ることができて、感動しています」

現在、モータースポーツ部門の責任者を務めるトーマス・ローデンバッハは、当時アプリケーションエンジニアとして働いており、1999年のシェイクダウンでも作業を行っていた。

 「アラン(マクニッシュ)がマシンから降りてきて、こう言ったのを今でもはっきりと覚えています。 『このクルマには大きなポテンシャルがある』と……ね」

LMP 2000の25周年記念走行は、レストアチームの技術的な成功だけでなく、マシン開発に時間、エネルギー、情熱を注いだすべての人々を称える時間になった。LMP 2000の再生に向けたプロセス、そして記念走行の様子は、ポルシェの公式YouTubeチャンネルにドキュメンタリー動画として公開されている。

「ポルシェ LMP 2000」を動画でチェック!

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ゲンロクWeb編集部

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