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国際レースにかけるフェラーリ
1953年、新たにワールド・スポーツカー・チャンピオンシップがFIAによって制定された時、そのレギュレーションには排気量に関する規定がなかった。その制限が設けられたのは1958年からだ。フェラーリもそれに従い、気筒あたりの排気量で記すと、166に始まり、195、212、250、255、275、340、342と、さまざまなサイズのV型12気筒エンジンを搭載したモデルを開発し、レースを戦った。
ちなみに1958年シーズンからの排気量制限は3000cc以下というものだったが、フェラーリにとって3000cc=250は未知ではなく、すでに十分な経験値をもつものであった。マラネロのファクトリーでは250 GT SWBの生産も行われていたタイミングであり、フェラーリは急遽、アウレリオ・ランプレディを中心に、1958年用のレーシング・スポーツの設計をスタートすることになった。
赤いヘッドカバーをもつ「テスタロッサ」誕生
ここで完成したのが、それまでの250系のエンジンをさらにチューニングし、ホイールベースを2350mmにまで短縮した「250 テスタロッサ」だった。サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン、リヤにはダブル・トレーリングアームのリジッドアクスルを組み合わせた(ただしワークスカーにはドディオン・アクスルと横置きリーフスプリングが採用されていた)。
テスタロッサとは、イタリア語で“赤い頭”を意味する。それはフロントに搭載される2953ccのV型12気筒エンジンのシリンダーヘッドが赤く塗装されていたことに由来するもの。6基のウェーバー製キャブレターが組み合わされるこのエンジンは、最高出力で290psとも、あるいは300psともされるほどハイパフォーマンスなもので、その最高速度は実に270km/hに達した。
さらに「250 TR 59/60」では、306psまでエンジンが強化されると同時にトランスミッションは4速MTから5速MTに改良された。最終進化型となった「250 TR/LM」では360psを発揮するという。
戦績こそフェラーリの宣伝
この時代のレースには、多くの4気筒モデルもエントリーしている。気筒あたり625ccとなる2498cc直列4気筒エンジンを搭載した「625 TF」(車名の由来と思われるツール・ド・フランスに出場した記録はない)や「735 S」、「500 モンディアール」、「750 モンツァ」などは、その代表的なところだ。これらの中にはカスタマーに販売され、カスタマーチームからエントリーし、好成績を収めることが多かった。そのリザルトはフェラーリにとって有効な宣伝材料となったが、それがレースのレギュレーション変更という事態を招した。圧倒的な強さというものには、いつも羨望の眼差しと同時に反感の視線が注がれていることが分かる。
それでもフェラーリは、サーキットから去ることはなかった。レギュレーションが厳しくなればなるほど、優秀な戦績を残すフェラーリに多くのカスタマーやファンが熱狂することにエンツォは誇りを感じていたからだ。この頃、販売の主力となる市場は、すでにヨーロッパからアメリカへと移っていた。タフでスパルタンなスポーツモデルだけではなく、速くて快適なドライブが楽しめるGTを同時に造らなければならない・・・。そのようなエンツォの考えを現実のものとしたモデルが続々とマラネッロから出荷されていくようになるのは、あの250 GTシリーズ以降のことになる。
SPECIFICATIONS
フェラーリ 250 GT SWB
年式:1957年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:2953cc
最高出力:221kW(300hp)/7200rpm
乾燥重量:800kg
最高速度:270km/h
フェラーリ 750 モンツァ
年式:1954年
エンジン:直列4気筒SOHC
排気量:2999cc
最高出力:187kW(250hp)/6000rpm
車両重量:760kg
最高速度:260km/h
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)