スーパーカーの始祖となった250シリーズの派生モデル 【フェラーリ名鑑:08】

ストラダーレとコンペティツィオーネの分岐点(1962-1967)【フェラーリ名鑑】

フェラーリ名鑑、275 GTB/4のフロントスタイル
フェラーリ名鑑、275 GTB/4のフロントスタイル
フェラーリにとってロードカー=ストラダーレの生産は、レース活動を続ける手段のひとつと言われる。しかしストラダーレをレースでも勝てる仕様に仕立てたコンペティツィオーネもカスタマーの求めに応じて生み出し、250シリーズから派生した275 GTBはその代表例だ。そしてこの250シリーズこそ、フェラーリのストラダーレとコンペティツィオーネが明らかに分岐する経緯となっており、様々な名車を後世に伝えることになった。

250 GTシリーズ、最も美しい1台

シリーズ屈指の美しさを誇る250 GT ベルリネッタ ルッソ。車名に「豪華」を意味する“ルッソ”を掲げ、その伝統はGTC 4 ルッソに引き継がれた。

1960年代、フェラーリが250 GTOでGTを、そして250 テスタロッサを始めとするさまざまなモデルをスポーツ・プロトタイプ・クラスでレースに参戦させていた頃、現在でも最も美しいベルリネッタ(クーペ)と評されることも多い1台のロードモデルが誕生する。

それが「250 GT ベルリネッタ ルッソ」である。最近4シーターのGTC 4 ルッソで復活した“ルッソ”のサブネームは、豪華であることの意味をもつもの。実際にこのモデルを見ると、速さとともに優雅なグランツーリズモとしての性格を強く感じる。流麗なルーフラインを描きながらテールエンドへと至る造形は、数ある250 GTシリーズの中でも特筆すべきものといえるだろう。

250 GTOの後継車「250 LM」

ミッドシップモデルの250 Pをベースに、250 GTOの後継車として企画された250 LM。

その一方で開発が進んでいた「250 LM」は、250 GTOの後継モデルとなるべく企画されたものだった。それは1963年に製作され、この年のル・マン24時間レースにも出場した、ミッドシップの250 Pをベースに改良を施したもので、まず250 Pではタルガトップだったルーフをシンプルなクローズタイプに変更している。同時にエンジンは車名の数字が物語るとおり、気筒あたりの排気量が250ccの3285cc。最高出力は320psを誇った。

250 Pではタルガトップだったルーフはクローズド化され、ミッドシップボディがベースだったがゆえに250 LMのリヤクォーターは独特のアピアランスとなった。

ウインドウスクリーンの高さなどには当時のGTカーには車両規定があったが、なぜPの文字が表すようなプロトタイプがGTで競われるはずのル・マン24時間などのレースに参加できたのかといえば、それはGTのオーガナイザーが将来1台でも生産する可能性があればGTプロトタイプとして公認するとし、生産台数の規定を撤廃したからだった。

1963年のル・マン24時間レースで1位から6位まで独占

1962年式330 LM。1963年のル・マン24時間レースで歴史に残る快挙を成し遂げたフェラーリ製コンペティツィオーネモデルの一翼を担った。

かくしてフェラーリは、ミッドシップの250 Pに、250 テスタロッサ用のエンジンをさらにチューニングして310psユニットを縦置き搭載したほか、フレームやサスペンションの強化など、さまざまな改良を実行。1963年のル・マン24時間レースでは、3台の250 Pのほかに、3台の250 GTO、4台の330 LMプロトタイプという布陣で臨み、1位から6位までを独占するという偉業を達成してみせた。

オンロードGTとして生を受けた「275 GTB」

1964年式275 GTB。フェラーリのオンロードモデル=ストラダーレを代表する名車だ。ロングノーズの伸びやかなボディデザインはハイパフォーマンスGTとしてのポテンシャルを存分に感じさせる。

それでは、これらのコンペティツィオーネの後継車とは別の道を歩むことになったストラダーレの「275 GTB」はどのようなモデルだったのだろうか。

もちろん、それはフェラーリ自身が描いた理想的なストーリーだった。しかし実際には275 GTBは1965年のル・マン24時間レースを始め、いくつかのレースでそのパフォーマンスを披露している。だがフェラーリにはレース参戦の意思はなく、それは運命の悪戯だったのだとすれば、250 GTOの後継車たるオンロードGT、275 GTBをスーパーカーの始祖と考えることは十分に可能だろう。

搭載するパワートレインは3.3リッターV12。最高出力は280psとされ、最高速度は258km/hを標榜する。

275 GTBが初めて公開されたのは、1964年のパリ・サロンでのことだった。1960年代に流行するロングノーズデザインをいち早く採用し、気筒あたりの排気量が275ccとなる3285cc仕様のV型12気筒エンジンを搭載した。最高出力は280ps。ウェーバー製のキャブレターを3基組み合わせ、ギヤボックスは5速MTが使用され、当時発表された最高速度は258km/hだった。

その他の275シリーズ

1965年式の275 GTB/C(コンペティツィオーネ)。ワイドフェンダーと強化エンジンを積んだ競技専用車両は12台が販売された。

そして、ここからさまざまなバリエーションが誕生していく。

まず、1965年にはフェラーリが計画していた250 LMのGTカテゴリーのホモロゲーションが叶わなかったため、ワイドなタイヤやフェンダー、そしてエンジンの最高出力を300psにまで強化した12台の「275 GTB/C」をレース参戦を計画するプライベーターに売却している。

1966年式275 GTB/4。これまでのSOHCからDOHCへと4バルブ化された3.3リッターV12を搭載する。

1966年には、遂にV型12気筒エンジンをDOHC(4バルブ)化し、さらに潤滑方式をドライサンプとした「275 GTB/4」へのモデルチェンジを行っている。その結果、最高出力は300psに到達、最高速度は268km/hへとパフォーマンスは向上した。

1966年式275 GTB/4 S スパイダー(N.A.R.T.スパイダー)。オープンカーが人気の北米向けに生産された。

また、アメリカでフェラーリの輸入代理店を営んでいたルイジ・キネッティからのオーダーで10台のみが製作された250 GTスパイダー・カリフォルニア以来となった「275 GTB/4 S スパイダー(N.A.R.T.スパイダー)」もデビューしている。

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

SPECIFICATIONS

フェラーリ 250 GT ベルリネッタ ルッソ

年式:1962年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:2953cc
最高出力:176kW(240hp)/7500rpm
乾燥重量:1020kg
最高速度:240km/h

フェラーリ 250 LM

年式:1963年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:3285cc
最高出力:235kW(320hp)/7500rpm
乾燥重量:820kg
最高速度:287km/h

フェラーリ 330 LM

年式:1962年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:3967cc
最高出力:287kW(390hp)/7500rpm
乾燥重量:950kg
最高速度:280km/h

フェラーリ 275 GTB

年式:1964年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:3285cc
最高出力:206kW(280hp)/7600rpm
乾燥重量:1100kg
最高速度:258km/h

フェラーリ 275 GTB コンペティツィオーネ

年式:1965年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:3285cc
最高出力:221kW(300hp)/7600rpm
乾燥重量:980kg
最高速度:282km/h

フェラーリ 275 GTB/4

年式:1966年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
排気量:3285cc
最高出力:221kW(300hp)/8000rpm
乾燥重量:1100kg
最高速度:268km/h

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…