目次
Marcello Gandini
1960〜70年代イタリアを象徴する計画に参画
![1976年、ヌッチオ・ベルトーネ(左)と当時38歳のガンディーニ(右)<photo:Museo Nazionale Automobile Torino>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-01b-BERTONE-Nuccio-GANDINI_ARCHIVIO-POPPER1976.jpg)
![2019年トリノ自動車博物館のガンディーニ企画展で。ランボルギーニ・マルツァル(手前)、同ミウラ(奥左)、そしてアルファ・ロメオ・カラボ(奥右)。<photo: Akio Lorenzo OYA>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-02.jpeg)
![1970年ランチア・ストラトス・ゼロ。2019年、トリノ自動車博物館企画展。<photo:Akio Lorenzo OYA>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-03.jpg)
ガンディーニは1938年8月26日トリノ生まれ。第二次世界大戦後に普通高校を卒業後、オーケストラ指揮者だった父の意向に逆らって大学進学を拒否。デザイナーとして幼稚園の備品やナイトクラブの内装などを手掛けた。
自動車に関する初めての仕事はミラノのカロッツェリア「マラッツィ」で経験。約2年後の1965年、トリノ「ベルトーネ」社の2代目社主ヌッチオ・ベルトーネの目にとまり、同社に採用される。チーフデザイナーとなったガンディーニは、1960〜70年代イタリアを象徴するスポーツモデル計画に参画。
最初の仕事は、前任者ジョルジェット・ジウジアーロの仕事を引き継ぐかたちで着手した1966年「ミウラ」だった。他にも1968年「エスパーダ」、1972年「ウラッコ」、1974年「カウンタック」などのランボルギーニや、1970年「アルファロメオ モントリオール」、1973年「ランチア ストラトス」、1972年「フィアット X1/9」、1974年「フェラーリ ディーノGT4」などを手掛けた。
スポーツカーだけでなく量産車のデザインも
![](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-04-BX.jpg)
![1970年BMWガーミッシュ。2019年復刻<photo:Akio Lorenzo OYA>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-06.jpg)
また、1967年ランボルギーニ「マルツァル」、1968年「アルファロルオ カラボ」、1969年「アウトビアンキ ラナバウト」、1970年「ランチア ストラトス・ゼロ」など、前衛的なコンセプトカーでも自動車界に衝撃を与えた。それらは当時、イタリアンデザインの優秀性を世界に誇示する力になるとともに、後進のカーデザイナー志望者を生み出すきっかけにもなった。
加えて、1974年「インノチェンティ・ミニ90/120」、1982年「シトロエンBX」など量産車のデザイン開発にも携わった。
その後1979年に独立。自身のデザイン事務所を開設してルノーとの独占契約を結んだ。1984年「ルノー5」では、ルノー社内案、古巣であるベルトーネ案とともにコンペティションに掛けられ、最終的にガンディーニ案が選ばれた。後年ルノーとの契約が終了すると、ランボルギーニ、マセラティ、トヨタ、三菱などを相手にコンサルティング業務を展開した。その傍らでベルトーネ出身のスタッフと別会社も設立。日産を含むさまざまなブランドのコンセプトカー開発をサポートした。
自動車以外でも多才な活動
![1991年CH7エンジェル単座ヘリコプター。2019年、トリノ自動車博物館企画展。<photo:Akio Lorenzo OYA>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-05-1991.jpg)
![2024年1月12日、トリノ工科大学名誉学位授与式で。(左から)カロッツェリアのアルフレード&マリアパオラ・ストーラ夫妻、マルチェッロ・ガンディーニ、ジャンニ・トンティ元ランチア競技部門技術部長<提供:Maria Paola Stola Ariusso>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-07.jpg)
![マルチェッロ・ガンディーニ。2019年5月、コンコルソ・ヴィラ・デステで。<photo:Akio Lorenzo OYA>](https://motor-fan.jp/genroq/wp-content/uploads/sites/2/2024/03/2403grqw-marcello-gandini-08-M-Gandini.jpg)
2019年にはトリノ自動車博物館(MAUTO)で、彼の業績を振り返る企画展「マルチェロ・ガンディーニ──隠れた天才」が開催された。会場には自動車以外も公開され、彼の多才な活動が浮き彫りにされた。展示品のひとつ、1991年のヘリコプター「エンジェル(Angel)」は、前年に彼が手掛けたランボルギーニ「ディアブロ(Diablo、悪魔)」と対比させたネーミングだったという。
さらに同年5月にコモで開催されたコンクールデレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」では、彼が1970年ジュネーブ・モーターショー用に手掛けたコンセプトカー「BMW ガーミッシュ」がメーカーによって復刻公開された。ウォーキングポール(杖)を用いながらも元気な姿を見せたガンディーニは、「従来からのBMWとの関係を強固なものにしたかったヌッチオ・ベルトーネの意向で、サプライズのショーカーをデザインした」と開発秘話を語った。
ガンディーニ死去のニュースはイタリアで自動車メディアにとどまらず、一般媒体でも広く報道された。2ヵ月前の2024年1月12日、トリノ工科大学から機械工学の名誉学位から授与されたばかりだった。
REPORT/大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)