【レトロモビル2025】part.2“鉄のカーテン”の向こう側で生まれたGT

「レトロなのにハイテク?」進化するクラシックカーの最新事情【レトロモビル2025】part.2

メルセデス・ベンツ・クラシックのブースで。For saleの1955年「メルセデス・ベンツ300 SLガルウィング」。レストア途上のものがオブジェのごとく展示された。
メルセデス・ベンツ・クラシックのブースで。For saleの1955年「メルセデス・ベンツ300 SLガルウィング」。レストア途上のものがオブジェのごとく展示された。
欧州を代表するヒストリックカー・ショーのひとつ、「レトロモビル」が2025年2月5日から5日間フランス・パリで開催された。リポートの第2回は、フランス系以外のブランドで気になったものをピックアップした。

原点回帰のレストモッド

最初は「AGTXツインテール」である。これは2013年にポーランドで設立されたスーパーカー専門販売店「ラ・スクアドラ」と、イタリアの名門カロッツェリア「ザガート」による新作スポーツカーである。

AGTXツインテールは1968年のスポーツ・プロトタイプ「アルピーヌ A220」を着想源としながら、現行「アルピーヌ A110」のメカニズム上にカーボンファイバー製ボディをまとわせたものだ。ザガートのいちアイコンであるダブルバブルのルーフも採り入れられている。テール部分はわずか数分で着脱可能で、ショートテールに変身させることができる。取り外した部分は、ガレージにオブジェとして飾るに値するたたずまい、と彼らは胸を張る。

2024年初夏、コモのフォーリ・コンコルソにプロトタイプが展示されたあと、同年夏のグッドウッド・フォスティバル・オブ・スピードでは走行シーンが展開された。いっぽう今回のレトロモビルでは、晴れて顧客にデリバリーされる第1号車の披露となった。19台が生産される。会場において価格応談と表示されていたが、欧州メディアが報じるところによると約65万ポンド(約1億2500万円)が目安である。ベースモデルとして「A110S」を選択することも可能だ。

ベースは「フェラーリ 550マラネッロ」

いっぽうザガートと同じくミラノ郊外に本拠とする「トゥーリング・スーペルレッジェーラ」が展示して衆目を集めていたのは「ヴェローチェ12」である。

2024年の米国モンレリー・カーウィークで初公開したもので、1996年から2002年まで生産された「フェラーリ 550マラネッロ」をベースに、トゥーリングのチーフデザイナー、マッテオ・ジェンティーレが新たな解釈を反映させたものである。

内装は手作業で仕上げられたレザーで覆われている。製作予定台数は30台。オーナーとなるには、まず550マラネッロの費用を確保する必要がある。参考までに本稿を執筆している2025年2月現在、欧州の代表的ユーズドカー検索サイト「オートスカウト24」を参照すると、11万9900ユーロ(約1924万円)から15万ユーロ(約2400万円)まで37台が掲載されている。そこに69万ユーロ(約1億1000万円)をプラスすることで、このヴェローチェ12を実現できる。

なお、こうしたモディファイは近年、レストモッド(Restomod)と呼ばれる。Restoration(修復)と「Modification(改造)」を組み合わせた造語だ。オリジナルのデザインや雰囲気を保ちつつ、最新技術やパーツを取り入るとともに、性能や快適性を向上させるカスタマイズ手法である。

昨今イタリアのカロッツェリアというと、メーカー向けのデザイン開発支援や、富裕層向けのワンオフを想像する。しかし、かつては中・小規模なカスタマイズも頻繁に行っていた。そうした意味でレストモッドは古いビジネスであり、成功すればカロッツェリアが生き残る手段になるだろう。

メルセデス・ベンツ・ヘリテージのFor sale

メルセデス・ベンツのヘリティッジ部門ブース。1970年「C111-Ⅱ」は、さすがに販売ではなく、展示車だったが……。
メルセデス・ベンツのヘリテージ部門ブース。1970年「C111-Ⅱ」は、さすがに販売ではなく、展示車だったが……。

メルセデス・ベンツ・ヘリテージ部門のアイキャッチは、1970年の4ローター・ロータリーエンジン実験車「C111-Ⅱ」だった。同社が丹念にレストアを施し、2024年8月のペブルビーチ・コンクール・デレガンスで走行を披露して話題を呼んだ車両である。

いっぽう1955年の「300SLクーペ(W198)」は、新車当時ニューヨークに輸出された米国仕様である。オーナー数名の手を経て2011年にドイツに里帰りした際、オリジナルコンディションではあったが不動状態だった。それをメルセデス・ベンツ・ヘリテージが引き取ったのは2023年だった。目下ボディは修復作業を終え、シルバーグレイの塗装を待つばかりだ。並行して内装やドライブトレインのレストアも進められているという。

他にも伝説のオペラ歌手マリア・カラスの1971年「600ショートホイールベース(W100)」や、きわめて珍しい塗色「サーフブルー」で、走行僅か3587kmの1988年「300SL(R107)」も展示された。

ところで前述のC111はこのような伝説がある。同車にはコンセプトカーにもかかわらず公開直後から「個人的に購入したい」という顧客が相次いだ。ある熱心なコレクターは、白紙の小切手をダイムラー・ベンツ(当時)に提示したという。「お望みの値段で購入します」という意思表示だった。それでもメーカーはC111を売らなかった。「最善か無か」を標榜する同社にとって、完成の域に達していない車両を販売することはできなかったのだ。

今回も、展示されたC111-Ⅱにプライスタグは付けられていなかった。いっぽう、カラスの600、そして1988年300SLいずれも「For sale」のステイタスで公開された。未完成状態の1955年SLもしかりである。

「ポルシェ・クラシック・パートナーズ」のコーナーでは、レストア中の「964RS」を展示していた。
「ポルシェ・クラシック・パートナーズ」のコーナーでは、レストア中の「964RS」を展示していた。

こうしたドイツ系ブランドのヘリティッジ部門では近年さらにサービスの充実が図られている。会場でメルセデスの隣に陣取ったポルシェでも、レストア中の「964RS」を確認することができた。「ポルシェ・クラシックパートナーズ」は、パリ郊外ヴェリジーにクラシック・サービスの拠点を稼働させて早くも10年になる。あるスタッフは「この世界には車体製作をはじめ、たいへん腕の良い職人がいることはたしかです」と認めると同時に、「いっぽうで私たちは純正パーツを用い、メーカー本社のアーカイブに基づいて修復を行えます」と彼らを選ぶメリットを強調した。

吸血GTあらわる

1971年/1981年「シュコダ・スポーツ110フェラート」。
1971年/1981年「シュコダ スポーツ110フェラート」。

ポルシェと同じくフォルクスワーゲングループの1ブランドで、チェコを本拠とする「シュコダ」も、実はレトロモビルの常連である。今回彼らのブースで筆者の目を釘付けにしたのは、奇妙なクーペであった。

エクステリアデザインは、アメリカンともユーロピアンともいえぬものだ。漂う仰々しさは、車体色は違うが、どこか映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「デロリアンDMC12」を彷彿とさせる。

その名を「シュコダ 110スーパースポーツ」という。社会主義時代だった1971年のチェコ=スロバキアで開発されたものだった。自国での展示のあと、1971年にはロンドン・モーターショーにも展示されている。一部の資料には西側諸国への輸出を目論んでいたと記されているが、コンセプトカーにとどまった。

後年その外観は、映画『アマデウス』でオスカーを受賞した衣装デザイナー、テオドール・ピシュテックの目に止まる。そして1982年、同国のホラーSF映画『FERAT VAMPIRE(邦題:高速ヴァンパイア)』の劇中車として選ばれた。

撮影のためピシュテックは、110スーパースポーツの車体色をオリジナルの白から黒へと変更。前後灯火類も変更し、巨大なリヤスポイラーを付加した。

映画のあらすじは、こうだ。医師のマレク博士は、フェラート社が開発した高性能スポーツカーに関連した不可解な死亡事故を調査する。やがて、彼はレース好きの看護師ミマが、フェラートのラリードライバーとして契約したことを知り不安を抱く。調べを進めるうち、マレクは衝撃的な事実を発見する。クルマが燃料ではなくドライバーの血液を吸って動いているのではないかということだった。フェラート社の関係者は彼の主張を荒唐無稽なものとして一蹴するが……というものだ。

この110スーパースポーツ、現在はチェコのムラダー・ボレスラフ市にあるメーカーの博物館が所蔵している。怪しげな見た目と恐ろしい映画のストーリーとは対称的なのはそのスペックだ。後輪車軸上に縦置きミドシップされたエンジンは量産車シュコダ「110R」から流用した1107cc4気筒OHVで、出力は75PSにすぎない。変速機も4速MTである。いっぽうで重量は898kgにとどまり、最高速は190km/hに達した。事実だとすれば、それなりに高効率だったといえる。

一部資料には、110スーパースポーツは西側諸国への輸出を目標にしていたと記されている。それにしても冷戦時代、鉄のカーテンの向こうで、このようなGTがつくられていたとは……。

オーストリア=ハンガリー二重帝国時代には欧州屈指の工業先進国だったチェコの威信が感じられる。第二次大戦前のアウトウニオンの流れをくむ2サイクル車「トラバント」「ヴァルトブルク」をひたすら造っていた隣国・旧東ドイツと対照的だ。こうした好奇心をくすぐるクルマが突如現れるから、レトロモビルは何度も訪れたくなるのである。

Report/大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)
Photo/Akio Lorenzo OYA、La Squadra、Carrozzeria Touring Superleggera、Mercedes-Benz Heritage、Škoda Auto)

レトロモビル2025のルノー・ブース。左に歴史車両、右に市販モデルやコンセプトカーを展示した。

「単なる懐古趣味ではない」シトロエンDSの70周年とルノー新流星号【レトロモビル2025】part.1

ヨーロッパを代表するヒストリックカー・ショーのひとつ「レトロモビル」が2025年2月5日から9日までフランス・パリの見本市会場で開催された。第49回の今回は、前年を1万6000人も上回る約14万6000人が来場。古典車ショーの草分けとしての威信を保った。そうしたなかフランス系2ブランドは、それぞれ特色あるアプローチでビジターたちの注目を集めていた。

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著者プロフィール

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA) 近影

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA)

在イタリア・ジャーナリスト。国立音大ヴァイオリン専攻卒業。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)大学院 …