【ランボルギーニ ヒストリー】創設者、フェルッチオ・ランボルギーニ

スーパーカー界の伝説「ランボルギーニ」その誕生前夜から1号車が完成するまで 【ランボルギーニ ヒストリー】

スーパーカーメーカーとして名実ともにトップブランドのひとつであるランボルギーニ。他に類を見ないエキゾチックなスタイリングとパフォーマンスは、いつの時代もカーエンスージアストを魅了してきた。果たしてランボルギーニはいかにして生まれたのか? 稀代のスーパーカーメーカーの成り立ちを、創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニにスポットをあてて解説する。

Ferruccio Lamborghini

自動車メーカー設立の前に事業で成功

自動車メーカーとしてのランボルギーニは、トラクターの製造・販売で成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニにより設立された。

創立からその歴史が半世紀を超えたランボルギーニの創始者、フェルッチオ・ランボルギーニは、イタリアのエミリア地方にあるレナッツォという田舎町に1916年に生まれた。現在でもその生家は残り、彼が特に機械というものに強い興味を抱いていた証明ともいえる小さなガレージは、ほぼ当時のままの姿で大切に保管されている。

フェルッチオが実業家としての道を歩み始めるのは、イタリアが第二次世界大戦から復興を遂げた頃と時代的には重なる。さまざまな事業へと進出したフェルッチオに最も大きな成功を与えてくれたのは、1949年に設立したトラクターメーカーの「ランボルギーニ・トラットリーチ」社だ。続いて1960年にはボイラーやエアコンを開発・生産する「ランボルギーニ・ブルシアトーリ」社を創立するに至っていた。フェルッチオ・ランボルギーニの名前は、実業界ではすでに広く名を知られる存在だった。

そのフェルッチオがなぜ自動車メーカーを設立するに至ったのか? それに関する逸話はいくつも伝わっているが、確かであるのは、自動車、とりわけ彼が望んだ高性能なGT=グランツーリスモがビジネスとして大きな成功を収める可能性があるという確信があったからだろう。そしてフェルッチオは、サンタアガタ・ボロネーゼの地に本社と生産工場を建設するべく土地を購入した。

ライバルはフェラーリ

創設当時からランボルギーニがターゲットにしていたのはフェラーリ。従ってフェラーリと同様にパワートレインにはV型12気筒を搭載するのが既定路線だった。

先日惜しまれつつも他界した、ランボルギーニ創業時からの、いや最初はトラットリーチ社でトラクターの設計も行っていたパオロ・スタンツァーニによれば、フェルッチオが最初に行ったのは、この巨大な土地の四方を中が見えないように、ランボルギーニのロゴが描かれた高いフェンスで取り囲むことだったと語っている。そのスケール感の大きさ、そしてフェルッチオの実業家としての実績を背景に、多くの銀行はランボルギーニ、正確には「アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ」社への融資を拒まなかったという。

現在ではスーパースポーツカーをコア・プロダクトとするランボルギーニだが、フェルッチオが創業時に考えた自社製品は、先にも触れたように高性能GTだった。直接のライバルはやはりフェラーリであったようで、したがって搭載エンジンは最初からV型12気筒と決められていたようだ。

その開発を委ねられたのは、フェラーリで250 GTOの開発などに従事したジョット・ビッザリーニだ。ただし、ビッザリーニはランボルギーニの従業員となることはなかった。必要最低限の最高出力を発揮させるが、それを超えた分に関しては、さらにボーナスを得るというフェルッチオとの特別な契約で、V型12気筒エンジンの開発をスタートさせている。

ビッザリーニ、スタンツァーニ、ダラーラと共に

ランボルギーニの処女作となる350 GTVのプロトタイプ。V12エンジンの開発はジョット・ビッザリーニが、ボディスタイリングはフランコ・スカリオーネが手掛けた。

実際にビッザリーニが設計したV型12気筒エンジンは、60度のバンク角を持つもので、ボア×ストロークは77×62mmで総排気量は3.5リッターとなった。ヘッドはDOHCで、これに3基のダウンドラフト型ウエーバー製キャブレターを組み合わせて、9.5という圧縮比から360psの最高出力を得たものだった。その製作はランボルギーニにやや先行してイタリアに誕生していたATSに委ねられた。しかし、性能的にはフェルッチオの条件をクリアしていたものの、創業直後にランボルギーニに加わったパオロ・スタンツァーニ、そしてジャン・パオロ・ダラーラには、そのピーキーなパワー特性はGTとしては非常に扱いにくいものに感じられたという。

その後、ビッザリーニ設計のV型12気筒はこの両者によって再チューニングされ、1963年のトリノ・ショーで発表するプロトタイプ「350 GTV」に搭載される予定だった。350 GTVのデザインはフランコ・スカリオーネに、そして基本骨格となるスペースフレームやサスペンションなどのシャシー一式の設計はネリ・エ・ボナチーニに。350 GTVの仕様はすぐに決定された。しかし・・・。(続く)

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…