WRCの主役になれなかった2台のグループBポルシェ

ポルシェがWRCに送り込んだグループBは「959」? いや「911 SC RS」と「953」なんです【ラリー名車列伝 SS4】

1985年のツール・ド・コルスを走る、ポルシェ 911 SC RS。
鮮やかなロスマンズ・カラーを纏い、グループB時代のWRCを戦ったポルシェ 911 SC RS。
2022年11月10~13日、愛知県と岐阜県を舞台に、世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが開催される。日本におけるWRC実施は2010年以来、実に12年ぶり。今シーズンから導入されたハイブリッドパワートレインを搭載する「ラリー1」が、日本のターマックステージを疾走することになる。そのラリージャパンスタートまで約半月、WRCの歴史において忘れることのできない名車を紹介する短期連載。第4回はモンスターマシンが跋扈したグループB時代に活躍した「ポルシェ 911 SC RS」、そしてWRCを走れなかった幻のグループB「959」を紹介しよう。

Porsche 911 SC RS

プライベーターの手で勝利した911 SC

1978年にデビューした911 SCは、散発的なワークス活動にとどまったが、1980年のツール・ド・コルスではプライベーターとして参戦したジャン-リュック・テリエが勝利を飾った。
1978年にデビューした911 SCは、散発的なワークス活動にとどまったが、1980年のツール・ド・コルスではプライベーターとして参戦したジャン-リュック・テリエが勝利を飾った。

1978年シーズンから、ポルシェはグループ4規定で開発された「911 SC」で、散発的ながらもWRCへの参戦をスタート。1978年のWRC第3戦サファリラリーには、ビヨルン・ワルデガルドとビック・プレストンJr.の2台体制でワークス参戦し、プジョーや日産ワークスを相手に圧倒的なスピードを披露する。この年、ワルデガルドがポルシェ悲願のサファリ優勝まであと一歩にまで迫るが、リタイア。それでも、プレストンJr.が2位表彰台を得た。

その後、ポルシェはWRCへ消極的な関与に留まったが、パワフルな3.0リッター水平対向6気筒エンジンを搭載し、抜群のトラクション性能を誇る911 SCは、多くのプライベーターに愛されることになる。そして、ポルシェ系プライベーターの筆頭株だったフランスのアルメラスがプリペアし、ジャン-リュック・テリエがドライブしたエッソ・カラーの911 SCが、1980年のツール・ド・コルスで見事総合優勝を手にする。

その後、WRCは1983年から、より改造範囲が拡大されたグループB規定を導入。ランチア、アウディ、プジョー、フォード、ルノー、MG、トヨタ、日産といったビッグメーカーが、様々なグループBマシンを送り込むなか、英国を拠点にオペルでラリー活動を行なっていたデイビッド・リチャーズは、ポルシェとタッグを組んでWRCへの本格参戦を模索する。

911SCベースのグループBマシン「911 SC RS」

1985年のツール・ド・コルスを走る、ポルシェ 911 SC RS。
デイビッド・リチャーズの主導で、1984年に911 SCをベースにグループB化された「911 SC RS」を投入。中東選手権でタイトルを獲得したものの、WRCでは85年ツール・ド・コルスでの3位が最上位となった。

後年、プロドライブを設立し、スバルやMINIでのWRCプログラム、さらにはF1のBARにも携わることになるリチャーズは、期を見る才覚に優れた人物だ。ポルシェがグループBラリーカー(のちの959)を開発していると聞きつけた彼は、ポルシェのワークス活動を自分たちが担おうと考えたわけだ。

しかし、959の開発プログラムは遅々として進まない。そこで、リチャーズは959の完成を待つ間、911 SCのグループB仕様でのラリー活動をポルシェに提案する。911SCをベースに、改良型3.0リッター水平対向6気筒自然吸気エンジンを搭載、大幅な軽量化が施された「911 SC RS」は、ポルシェにより20台が製造され、無事グループBホモロゲーションを取得する。

リチャーズが懇意にしていたロスマンズ・タバコのカラーリングを纏った911 SC RSは、1984年の中東ラリー選手権開幕戦カタール・ラリーに参戦。サイード・アル-ハジリのドライブで、デビューウインを飾る。さらに、この年の中東選手権で3勝を挙げて、タイトルも獲得した。

WRCでは85年のツール・ド・コルスでベルナール・ベギンが3位表彰台、ビリー・コールマンが4位に入賞。また、アル-ハジリが85年のアクロポリスで5位、86年の同ラリーで4位も得ている。リチャーズが目論んだようなビッグプロジェクトにこそならなかったが、WRCプログラムにピリオドが打たれた後も、911 SC RSは中東選手権や欧州の国内選手権で長らく愛されることになる。

1986年を最後にグループB廃止、959の道断たれる

1986年に人命を失うアクシデントが続き、WRCはハイパワー競争が過激化していたグループの廃止を決定。1986年に生産がスタートした959は、WRC参戦の道を断たれてしまった。
パリ・ダカール・ラリーを走る959。1986年に人命を失うアクシデントが続き、WRCはハイパワー競争が過激化していたグループの廃止を決定。1986年に生産がスタートした959は、WRC参戦の道を断たれてしまった。

911 SC RSの参戦が行われていた一方、ポルシェでは本命とも言えるグループBラリーカー「959」の開発が続いていた。

ミッドシップ4WDという、当時のトレンドを押さえた959は、911のボディシェルを纏ったプロトタイプ仕様の「953(911 SC RS 4×4)」が1984年のパリ・ダカール・ラリーに参戦。参戦初年度にレネ・メッジが総合優勝を果たした。1985年は959の暫定仕様を投入するも全車がリタイア。ツインターボエンジンを搭載車両を送り込んだ1986年はメッジが再び優勝。2位にもジャッキー・イクスが入り、ポルシェは1-2フィニッシュを果たした。

いよいよ1986年には、959の市販仕様が発売。グループBに課された200台の生産台数を揃えようとしたタイミングで、WRCに激震が走った。ポルトガルにおけるヨアキム・サントスによる観客を巻き込んだ死亡事故、ツール・ド・コルスでは、クラッシュしたヘンリ・トイボネンとセルジオ・クレストが帰らぬ人となったのである。

数百馬力を超えるモンスターマシンによる饗宴は、このシーズンを最後にピリオドが打たれた。1987年からは4座の市販モデルをベースとする、より穏やかなグループA規定が導入。当初からポルシェはWRCフル参戦の意志はなかったと言われている。しかし、959はデビュー前に戦う場を失ってしまった。

その後、ポルシェは後輪駆動の「968」や、2011年からWRCに導入されたR-GT規定用に、タイプ997の「911 GT3 RS」や「ケイマン GT4ラリー」を開発。しかし、それはあくまでもプライベーター向けラリーカーであり、現在に至るまで911SC RS、そして959が目指したような本格的なラリー活動は行われていない。

当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。

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2022年11月10~13日、愛知県と岐阜県を舞台に、世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが開催される。日本におけるWRC実施は2010年以来、実に12年ぶり。今シーズンから導入されたハイブリッドパワートレインを搭載する「ラリー1」が、日本のターマックステージを疾走することになる。そのラリージャパンスタートまで約1ヵ月、WRCの歴史において忘れることのできない名車を紹介する短期連載。第3回はオープンカーベースのラリーカー「プジョー 307 WRC」を紹介しよう。

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ゲンロクWeb編集部

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