歴史から紐解くブランドの本質【アストンマーティン編】

ボンドカーで確立した「アストンマーティン」ブランド【歴史に見るブランドの本質 Vol.25】

映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でスタントを務めたレプリカ「アストンマーティン DB5」。映画『007』シリーズ60周年を記念したチャリティオークションにかけられ、292万2000ポンド(当時約4億6700万円)で落札されたという。
映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でスタントを務めたレプリカ「アストンマーティン DB5」。映画『007』シリーズ60周年を記念したチャリティオークションにかけられ、292万2000ポンド(当時約4億6700万円)で落札されたという。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

ヒルクライムの名前から

アストンマーティンといえば、イギリスの高貴さとワイルドさを兼ね備えるスポーツカーあるいはGTのメーカーというブランドイメージを思い浮かべる人が多いだろう。

1913年、ライオネル・マーティンとロバート・バムフォードがシンガーを販売するために会社「バムフォード&マーティン」を設立したのがアストンマーティンの始まりである。マーティンがシンガーを改造した車をドライブしてアストン・ヒルで行われたヒルクライムに参加し、その車をアストンマーティンと名付けたのである。

その後彼等はより高性能を目指して様々なメーカーのパーツをより集めて独自の車を作り始める。様々なイベントで好成績をあげたアストンマーティンは、1922年に1.5リッターモデルを市販化する。しかし会社の経営はうまくいかず、最大の株主でサポーターだったズボロウスキー伯爵が1925年に事故死すると倒産の憂き目に遭う。

高級車メーカー「ラゴンダ」の買収

デイビッド・ブラウンが経営に参画して最初のクルマ「DB1」。今も続く“DB”シリーズの始まりとされるが、DB2が誕生してからこの2リッタースポーツがDB1と呼ばれるようになった。

1927年、アストンマーティンの商標権をイタリア人ベルテリが買い取り、アストンマーティンは再興する。再び1.5リッターモデルが開発されるが、全くの新設計で設計者はベルテリ自身だった。このモデルを改良して1928年に生まれたのがインターナショナルで、その後ル・マン、アルスターといった名車を産むことになる。ベルテリはレースに自らドライバーとして参戦し好成績を残したが、その費用も徒となって再び経営難に陥り、ベルテリは会社を去る。

その後、第二次世界大戦に突入、経営はさらに苦しくなり、戦後の1947年に資本家のデイビッド・ブラウンが買収する。その後の車名には彼のイニシャル、DBが付けられるようになる。最初のモデルDB1は2.0リッターのスポーツモデルだった。デイビッド・ブラウンは同じく経営危機に陥っていた高級車メーカー、ラゴンダも買収、アストンマーティンと合体させてアストンマーティン・ラゴンダ社となった。

ラゴンダは当時3.0リッター直6エンジンを開発中で、その設計はなんとW.O.ベントレーだった。デイビッド・ブラウンはアストンマーティンにこのエンジンを採用することを決め、DB2以降のアストンマーティンは大型高級GT路線を進むこととなる。デイビッド・ブラウンもモータースポーツに積極的で、DB2をベースとしたレーシングカー、DB3を開発、その改良型DB3Sは各地のレースで大活躍する。後継車DBR1は1959年にルマンで優勝、ワールドスポーツカー選手権でも総合優勝する。

DB5で作られたイメージ

映画「007/ゴールドフィンガー」でボンドカーとして採用された「DB5」が現在のアストンマーティンブランドの象徴である。

市販車はDB4/DB5/DB6と高性能でありながらエレガントで高貴なイメージのGTとして成長していった。アストンマーティンの名を一般レベルにまで浸透させる結果となったのが、映画「007/ゴールドフィンガー」でDB5がボンドカーとして採用されたことだ。DB5はジェームス・ボンドのイメージにぴったりであり、ボンドカー初の様々な特殊装備などの演出もあって、大変な人気となった。DB5は次作「007/サンダーボール作戦」でも採用された。

現在のアストンマーティンのブランドイメージのほとんどは、このボンドカーとしての強烈なイメージに基づいているといっても過言ではないだろう。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…