安全装備が不十分な当時の車。若きジェームズ・ディーンの悲劇

ジェームス・ディーンとポルシェ550スパイダー

生前、ジェームズ・ディーンが主演を務めた映画は、わずか3本だったにもかかわらず、その演技と生き方で世界中の若者の心を捉えた。

1955年9月、彼は新しく購入したポルシェ550スパイダーを「リトル・バスタード(小さな厄介者)」と名付け、カリフォルニア州サリナスで開催されるレースに向かう途中だった。午後5時45分頃、カリフォルニア州チョラメ近郊の交差点で、対向車のフォード チューダーと衝突。ディーンは首の骨折や内臓損傷などの致命的な怪我を負い、病院に搬送される前に亡くなった。

この事故は単なる有名人の死として報じられるだけでなく、その詳細なメディア報道により、当時の自動車の安全性に対する問題点が浮き彫りになった。1950年代前半の自動車には、シートベルトや衝撃吸収材などの基本的な安全装備が標準装備されておらず、事故時の生存率は現代と比較して著しく低かったのだ。

決して軽視してはいけない。悲惨な事故をきっかけに、米国内で見直された自動車の安全性

米国では、1968年1月よりすべての新車にシートベルト装着が義務付けられた。

ディーンの死をはじめとした痛ましい事故をきっかけに、アメリカ社会では自動車の安全に対する意識は急速に高まり、安全対策の必要性を強く訴える象徴的な出来事となった。

当時の自動車メーカーの安全対策として、有名なのが1956年に行われた業界初となる、フォードの安全キャンペーンだ。ロバート・マクナマラ氏が率いるフォードは安全パッケージとして、パディングダッシュボード、クラッシャブルステアリングコラム、シートベルトなどの安全機能を宣伝し始めた。

また同時期、ベルギー系エンジニアのベラ・バレニやGM(ゼネラルモーターズ)のエンジニアらの貢献により「クラッシュワージネス(衝突安全性)」という概念を生み出し、自動車設計における安全性の重要性を科学的に証明した。

大きな転機となったのは、1965年に消費者運動家のラルフ・ネーダー氏が出版した「どんなスピードでも安全ではない(Unsafe at Any Speed)」という著書だ。この本はGMのコルベアの安全問題を鋭く指摘し、自動車メーカーの安全軽視を厳しく批判。大きな社会的反響を呼び、自動車安全に関する公的議論を活発化させた。

これらの動きは1966年に連邦政府によって制定された「国家交通・自動車安全法」へとつながる。この法律により、1968年1月よりすべての新車にシートベルト装着が義務付けられ、自動車安全基準の基礎が確立された。まさにディーンの事故から11年、自動車安全に関する法的枠組みが整ったのだ。

日本でも欧米でのシートベルト設置義務化の動きを受け、道路運送車両の保安基準を改正。1969年4月以降に国内で生産された普通乗用車に、運転席にシートベルトの設置が義務付けられた。

現代まで道のりと、これからの安全技術

ディーンの時代から70年近くが経過した現在、自動車の安全技術は飛躍的に進化した。

1970年代にはエアバッグの開発が進み、1980年代には衝突安全ボディ構造が標準化されるなど、シートベルトから始まった自動車安全装備の発展には目を見張るものがある。1990年代に入ると電子制御による安全技術が台頭。アンチロックブレーキシステム(ABS)や電子制御式スタビリティコントロール(ESC)が普及し始めた。

そして、2000年代に入ると、自動ブレーキや車線維持支援システムなど、先進的な運転支援技術が登場。現在では、電気自動車(EV)の普及とともに、AI技術を活用した自動運転システムの開発が加速している。

トヨタやテスラなどの自動車メーカーは、事故そのものを防ぐ予防安全技術に注力しており、「ビジョン・ゼロ」(交通事故死者ゼロ)を目標に掲げている企業も多い。こうした安全技術の進化により、先進国における自動車事故による死亡率は1950年代と比較して約80%減少したというデータもある。ディーンが生きていた時代から想像もできないほどの進化を遂げたのだ。

そして現在、自動車の安全技術はさらなる発展を続けている。特に注目されているのは自動運転技術だ。レベル3の条件付き自動運転が実用化され、レベル4・5の完全自動運転の実現に向けた開発も進んでいる。しかし、技術の進化とともに新たな課題が生まれているのも事実だ。自動運転車が事故を起こした際の責任の所在や、プライバシーに関する問題、さらには「運転する楽しさ」と安全性のバランスをどう取るかという議論だ。

ディーンが愛したのは、まさに運転する自由と興奮だった。現在、自動車の安全技術は、その自由を奪うことなく、安全をいかに確保するかという難問に直面している。現代における自動車の技術発展と安全は、切っても切れない関係なのだ。