スズキ「X-90」とは?

1995年、スズキは「X-90」という新しいタイプのコンパクトSUVを発売。当時のSUVといえば、大きなボディに広い室内、荷物をたくさん積める実用性が魅力とされていた。しかしX-90はその常識を覆し、あえて2人乗り専用の小さなボディで登場した。
デザインは丸みを帯びた未来的なフォルムで、フロントからリアにかけて流れるような造形が特徴的だった。また、屋根の一部を取り外せる「Tバールーフ」が採用され、天気の良い日はオープンカーのように走ることも可能だった。さらにエスクード譲りの頑丈なフレームと四輪駆動システムを備え、本格的な悪路走破性も持ち合わせていた。
一見すると「SUVとスポーツカーを組み合わせた遊び心のある車」であったが、実際にはシートが2つしかなく、荷室も非常に小さいため、日常の使い勝手には大きな制約があった。
アウトドア人気が高まる中で、スズキは「個性を重視する若者層」を狙ったものの、市場ではなかなか理解されず1999年に販売を終了し、日本国内の総販売台数はわずか1,348台にとどまった。
1995年前後の時代背景

X-90が登場した1995年は、日本の自動車市場が大きな変化を迎えていた。90年代に入ると「RVブーム」と呼ばれる現象が起き、アウトドアやレジャーを楽しむ人々の増加に伴って、SUVが次々と人気を集めるようになった。
1994年にはトヨタの「RAV4」が発売され、都会的なデザインと手頃なサイズ感で若者から支持を得て大ヒットを記録した。
翌年にはホンダ「CR-V」が登場し、ファミリー層を中心に爆発的な人気を博した。さらに三菱「パジェロ」や日産「テラノ」といった大型SUVも根強い人気を持ち、街中ではRV車が急速に増えていった。多くの人々がSUVに求めていたのは、広い室内や大きな荷室、アウトドアでの頼もしさ、そして都会的なファッション性との両立であった。
社会全体を見ても、当時はバブル崩壊後の不況期に入り、人々の消費行動は「派手さ」よりも「堅実さ」へと傾いていた。車に対しても、奇抜さより実用性を重視する傾向が強まっていたのである。
一方で若者文化は多様化しており、音楽ではMr.ChildrenやGLAY、安室奈美恵といったアーティストが社会現象を巻き起こし、ファッションでは渋谷系や裏原宿系のスタイルが台頭した。さらに1995年には「Windows95」が発売され、パソコンやインターネットが一般家庭に広がり始めたのもこの頃である。
こうした「実用性を重視する社会の流れ」と「新しいカルチャーが次々と生まれる空気感」の狭間で、スズキはX-90を市場に投入した。しかし結果的に、その大胆すぎる発想は世の中の主流から大きく外れることとなった。
なぜ販売不振に終わったのか
X-90は決して作りが悪いわけではなかった。四輪駆動を備え、ボディも頑丈で、スズキらしい確かな技術が盛り込まれていた。しかし販売が伸び悩んだのは、いくつかの要因が重なったためである。
第一の理由は実用性の欠如である。当時のSUVは「家族で出かけるための車」として幅広い層に受け入れられていた。広い室内と大きな荷室を備え、キャンプや旅行に使えることが人気の大きな要因であった。ところがX-90は二人乗りしかできず、荷物もほとんど積めなかった。SUVに期待される役割から大きく外れていたため、ユーザーにとっては使い勝手の悪い車に映ったのである。
第二の理由はデザインの独特さである。丸みを帯びたフォルムは「未来的でユニーク」と捉える人もいたが、多くの消費者には「奇抜で扱いづらい印象」を与えた。当時の主流はRAV4やCR-Vのように、カジュアルで親しみやすいデザインだった。X-90の外観はその流れに馴染まず、一般ユーザーの共感を得ることができなかったのである。
第三の理由は強力すぎるライバルの存在である。同時期に登場したRAV4やCR-Vは、実用性とおしゃれさを兼ね備え、爆発的なヒットを記録した。価格も手頃で、若者からファミリーまで幅広く支持を集めた。その陰で、X-90は好奇心旺盛な一部のユーザーにしか届かず、販売台数は伸び悩む結果となった。
つまりX-90は、技術的には面白い挑戦であったものの、人々が求めていたSUV像とはあまりにもかけ離れていたため、短命に終わらざるを得なかったのである。
海外での展開とその後

スズキは国内だけでなく、海外市場にもX-90を投入した。特にアメリカでは「ユニークでコンパクトなSUV」として売り出した。当時のアメリカではフルサイズの大型SUVが主流であったが、一方で「人とは違う個性的な車に乗りたい」というニッチな需要も存在していた。X-90はそこに活路を見出そうとしたのだ。
しかし結果は日本と同じであった。二人乗りのSUVという中途半端な立ち位置は、車を生活必需品として使うアメリカ人にとっても不便であり、サイズが小さいのに実用性に欠けるという矛盾は受け入れられなかった。販売台数は伸びず、市場での存在感を示すことはできなかったのである。
それでもX-90は完全に忘れ去られることはなかった。その独特な見た目が注目を集め、2000年代にはエナジードリンクで知られる「レッドブル」が宣伝カーとして採用した。巨大な缶を背負ったX-90が街を走る姿は多くの人の目を引き、再び話題になった。
こうしてX-90は、商業的には失敗作でありながらも“ネタとして語り継がれる存在”へと変貌した。現在では一部のマニアが探し求めるコレクターズアイテムとなり、中古市場では希少性ゆえに「珍しいから欲しい」という理由で取引されることも増えている。
現代から見たX-90の価値
発売当時は市場に受け入れられず短命に終わったX-90であるが、時代が進んだ今となっては別の評価を得つつある。現在の自動車市場ではコンパクトSUVやクロスオーバー車が人気を集めており、「SUVの実用性」と「遊び心のあるデザイン」を兼ね備えたモデルが当たり前のように存在している。そう考えると、X-90はむしろ時代を先取りしすぎた存在だったといえるだろう。
また、X-90のような迷車は、失敗作だからこそ強烈な印象を残す。ありふれた車はやがて街から姿を消してしまうが、X-90は奇抜すぎたがゆえに記憶に残り続け、マニアにとってはコレクション欲を刺激する価値につながっている。
短命でも記憶に残るX-90の価値
スズキ「X-90」は、1995年というSUVブームの最中に登場したにもかかわらず、世の中の主流から外れてしまったことで「迷車」と呼ばれる存在となった。
二人しか乗れないSUVという矛盾や、奇抜すぎるデザイン、さらに強力なライバルの登場が重なり、販売は伸び悩み、短命で終わったのだ。
しかし一方で、X-90は単なる失敗作にはとどまらなかった。時代を先取りした発想や、今では見られない大胆なデザインは独自の魅力を放ち、むしろ「語り継がれる車」となった。特にレッドブルの宣伝カーとして再注目を浴びたように、この車は忘れ去られるどころか、むしろ人々の記憶に残り続けている。
自動車に特別な関心がない人にとっても、X-90の物語は「時代と感覚のずれが生んだユニークな現象」として興味深いだろう。名車にはない特異な輝きを放つ迷車X-90は、今後も自動車史の異端児として語り継がれていくに違いない。
