117年前の今日、ダイハツが誕生。現存する最も古い自動車メーカー【今日は何の日?3月1日】

一年365日。毎日が何かの記念日である。本日3月1日は、現存する自動車メーカーでは最古参であるダイハツの前身、発動機製造株式会社が設立された日だ。

発動機(内燃機関)製造会社から始まったダイハツ

1907(明治40)年3月1日、ダイハツの前身である「発動機製造株式会社」は、大阪高等工業高校(現 大阪大学工学部)の教授陣や技術者が中心となって設立。発動機(エンジン)製造に始まり、3輪から4輪自動車事業へ進み、現在は軽自動車メーカーとしての地位を確立している。

発動機の開発から3輪車開発へステップアップ

ダイハツの前身である発動機製造株式会社は、大阪高等工業高校(現 大阪大学工学部)の校長である安永義章博士や機械科長の鶴見征四郎氏らによって設立された。ダイハツという社名は、‘大’阪の‘発’動機の略称として使われたことが起源だ。

会社設立から9カ月後に、国産初の6PSの吸入ガス発動機、翌1908年に発電用100PS吸入ガス機関、1917年には850PSの船舶用蒸気機関を開発した。
1920年には、本格的にディーゼルエンジンとガソリンエンジンの開発に取り組み、1930年に自社製エンジンを搭載した3輪自動車の「HA型」を発売して、自動車事業に参入。当時まだ4輪車は高価で、3輪車なら荷台に2つの車輪をつけてバイクでけん引でき、操舵や駆動システムは2輪車用が使えるため、価格が抑えられたのだ。

人気の3輪トラックから、いよいよ4輪事業に進出

戦時中、ダイハツは軍需会社に指定されて自動車の開発は停滞したが、戦後になって3輪車の開発を再開。小回りが利いて人や生活用品を輸送するのに便利ということで戦後の混乱期に3輪車の需要が急速に高まり、これに応えて成長したのが、ダイハツとマツダ(当時は、東洋工業)だった。

1957年にデビューして大ヒットした初代「ミゼット」

1951年には社名を「ダイハツ」に変更し、1957年に“街のヘリコプター”というユニークなキャッチコピーとともに小型3輪トラック「ミゼット」を発売。街中の荷物の運送や農家の手足として重宝されて爆発的なヒットを記録し、ダイハツの名を一般市民にも知らしめた。
3輪トラックで成功して技術ノウハウを得たダイハツは、1960年代に入ると満を持して小型乗用車の開発に着手。1963年に「コンパーノ・ベルリーナ」、1964年「ベルリーナ800」、1965年「コンパーノ・スパイダー」、1966年には軽自動車「フェロー」をデビューさせ、着々と乗用車メーカーへの階段を駆け上がった。

1964年にデビューした「コンパーノ・スパイダー」

そして、1967年にダイハツにとって大きな転機が訪れた。それは、トヨタ自動車との業務提携だった。

トヨタと提携して小型車、軽自動車の開発の注力

ダイハツは、トヨタとの提携のメリットを活かして、1969年にトヨタ「パブリカ」のボディを流用した「コンソルテ」、1974年にカローラをベースにした「シャルマン」、1977年にはダイハツオリジナルの1.0L 3気筒エンジンを搭載したリッターカーの先駆となった「シャレード」を投入。シャレードは、サファリ・ラリーでクラス優勝を飾り、1983年に当時世界最小の1.0Lディーゼルターボエンジンを搭載したことでも高い評価を得た。

1980年にデビューした「ミラクオーレ」

その後は、軽自動車を主力としてスズキと熾烈なトップ争いを繰り広げることに。1980年にデビューしたロングセラーの「ミラ」は、長きにわたりスズキの「アルト」と熾烈なトップ争いをして、1991年には当時の国内通年最多販売記録を達成。1995年、スズキの「ワゴンR」に対抗してハイトワゴンの「ムーブ」を発売、その後もスーパーハイトワゴン「タント」、スズキの「ハスラー」に対抗した「タント」などでスズキと真っ向勝負を続けている。

2002年にデビューした初代コペン、ラウンディングなスタイルが特徴のオープンスポーツ
2003年にデビューしたスーパーハイトワゴン「タント」

また、2002年に2シーターオープン「コペン」、2019年にはハイブリッド小型SUV「ロッキー」など個性的なモデルも市場投入して存在感をアピールしている。

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現在、ダイハツは品質に関する不正問題を乗り越え、生まれ変わろうとしている。一日も早く立て直して再出発してほしいものだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…