2023年3月5日の日曜日、埼玉県羽生市にある農林公園「キャッセ羽生」で「第6回昭和平成クラシックカーフェスティバルinキャッセ羽生」が開催された。朝方は冷え込んだものの、開会時間となる午前10時を過ぎると気温はグングン上昇して過ごしやすい日和となった。今回は行動制限がなくなったこともあり、過去最高の260台がエントリー。会場を埋め尽くす旧車は内外問わず、平成登録のクルマでも参加可能になったことが過去最高台数となった要因だろう。
イベントを主催した日本軽旧車会代表の吉崎 勝さんは、制限のない2023年中に20近いイベントを企画している。精力的な活動をバックアップするため、全日本ダットサン会が全面的に協力。そのため会場の入口付近は日産車が数多く並ぶことになった。参加規定では国やメーカーを問わず幅広い車種を対象としているため、日産車ばかりでなく内外の名車たちが数多く展示されていた。まずは展示された車両を写真とともに紹介していこう。
劇的な再会を果たした過去のオーナーたち
ここからは国産旧車を取材していて、改めて人の縁を感じるエピソードを紹介したい。2022年12月に開催された「昭和・平成クラシックカーフェスティバル」の模様を2023年1月に何本かの記事として公開した。そのうち「納屋物件から奇跡の生還!」と題して、20年の眠りから覚めたコロナマークⅡHT1900GSSを紹介した。
この記事をご覧になった方から、モーターファン編集部へ一本のメールが届く。そこには「1900GSSの前所有者です。知人に譲った後消息不明、もうすでにこの世には存在していないだろうと思っていた愛車が現存していることに驚いたとともに是非現社を見てみたいと思う次第です」と書かれている。さらに前オーナーである証として、記事で紹介していない細かな装備や特徴が列記されていた。
これは間違いなく以前の所有者さんだろうと確信が持てたため、現オーナーである儘田一也さんに連絡をする。儘田さんからは3月に開催されるイベント会場でお目にかかれたらとの返事だったことを前オーナーである水上和彦さんに伝え、この日を迎えたのだった。するとそこには水上さんと儘田さんの間に2人いたオーナーの1人である髙橋寿さんも加わり、過去の2人のオーナーが現オーナーと対面するという劇的な展開になったのだ。
連絡をいただいた水上さんがマークⅡを所有していたのは20代の頃のことで、現在61歳ということだから40年近く前のこと。当時アルバイトをしていた先の先輩が新車で購入されたそうで、ソアラ・エアロキャビンに乗り換えるからと譲り受けることになったのだ。当時は1年車検の時代で手がかかっただろうに、水上さんは熱心にメンテナンスを繰り返された。一度は「修理にいくらかかってもいいから」とディーラーへ預け、1か月以上経った頃マークⅡとともに届いた請求書には100万円ほどの請求額が記されていたという。
そこまで手を入れてきたからこそ、マークⅡは令和の今でも生き残ることができたのだろう。当時はガソリンが無鉛ばかりとなり、バルブシートを打ち替えていなったことから有鉛ガソリンを求めて埼玉県の自宅から静岡県御殿場市のガソリンスタンドまで携行缶を備えて往復していた。実はこの時、携行缶がトランク内で移動してしまい、左リヤフェンダーを押し出すように傷がついてしまった。それが上写真の個所で、以前に記事にある写真を見て自分のクルマであることを確信されたポイントにもなった。
現オーナーの儘田さんが探すと、マークⅡに関する整備記録簿が何枚も出てきた。そこには確かに水上さんの名前が記されたものが複数あり「熱心に整備されていたことが伝わります」と感謝の言葉さえ飛び出した。クルマを囲んでの談笑は長らく続いたが、印象的だったのは前オーナーの水上さんが運転席に座った時のこと。見る見る目が潤んで涙を流されそうになり、見ているこちらも感動のあまり涙が出そうになる瞬間だった。
水上さんは新婚当時、このマークⅡで九州を1周する新婚旅行までされていた思い出のクルマ。さらにはマークⅡが縁でトヨタディーラーへ就職して整備を続けたが、自動車税が重課税となるタイミングで手放している。重課税制度は2002年から始まっているので、21年前のことであり、まさかの対面となったことだろう。改めて国産旧車は人の縁で成り立っているのだなと思う出来事だった。