日産GT-R NISMO LMから遡ること88年、サーキットを駆け抜けたFFレイアウトのレーシングカー「Alvis FWDストレート8」【アルヴィス・ヒストリー:後編】

96年ぶりに一般公開されたアルヴィスFWDストレート8グランプリ・カー。最高出力は125bhpを発揮し、1927年のJCC200マイルレースでは190km/hを超える速度でトラックを周回した。
コンティニュエーションモデルにより往年の名車を再び生産する「アルヴィス・カー・カンパニー(Alvis Car Company)」が、「オートモビル・カウンシル2023に展示したのが伝説のFWDストレート8グランプリ・カーだ。「前輪駆動のパイオニア」のアルヴィス が開発した特異なレーシングマシンの魅力に迫る!!
日産が2015年のル・マン24時間レースとFIA世界耐久選手権のLMP1-Hybridクラス参戦用に開発したレーシングカー。VRX30Aニスモ 3.0L60度V6ツインターボ直噴エンジンをフロントミッドシップに縦置きしフロントタイヤを駆動するFFミッドシップレイアウトを採用して話題となったが、実際はプロペラシャフトでリヤタイヤにも限定的に駆動配分するパートタイム4WDであった点がアルヴィスFWDストレート8とは異なる。

96年ぶりに日の目を見たアルヴィスのFFレーシングカー

オートモビルカウンシル2023のアルヴィスブースに出展された車両は5台。そのうちブースの目玉であり、本邦初公開となるのが、1927年10月1日にブルックランズ・サーキットで行われた「英国グランプリ」(世界マニファクチュアラー選手権)への参戦を目標に開発され、完成の遅延から出走は叶わなかったものの、翌々週の「JCC200マイルレース」に参戦した1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーである。

オートモビル・カウンシル2023でアルヴィス・ジャパンが目玉として展示した1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カー。

展示車両はモーリス・ハーベイの1号車に続き、2位で予選を通過したジョージ・ダラーがドライブした2号車で、決勝レースでは52周目でエンジントラブルでリタイアしている(優勝はマルコム・キャンベルのブガッティ・タイプ39) 。

JCC200マイルレースにエントリーした2台のアルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーであったが、予選では圧倒的な速さを示したものの、決勝ではエンジントラブルで2台ともリタイアしている。

レース後はコヴェントリーの廃車置き場で長年放置され、その間にボンネットやリアサスペンション、ラジエターなどは失われたが、それ以外のほぼオリジナルのパーツが残っていたという。
その後は複数の好事家の手を経たのちに、21世紀になってからアルヴィスFWDの研究家であるトニー・コックス氏とアルヴィス社のアラン・ストレート会長が共同でコレクターから購入し、困難なレストア作業を経て、ある程度形になったところで、96年ぶりにオートモビル・カウンシルの会場にてお披露目となった。

レース終了後、車体からエンジンを取り外し、故障箇所の特定を行うとコンロッドが粉々に砕け散っていることが発見される。その後、このエンジンは車体に戻されず、車両は工場の片隅で放置されることになる。1930年代に工場敷地内の整理で放出され、一時は解体されそうになるが、実業家のビル・ピッチャーの手に渡り、1929年型アルヴィスFWDのパワートレインが載せられた。その際にFR化しての修復が検討されたが実現せず、1955年に彼が事業に失敗したことから再び人手に渡ることになった。

この車両はその名の通り、珍しいFWDのレースマシンで、縦置きされたギアボックスの直後には最高出力125bhpを発揮する1.5L直列8気筒DOHCエンジン+ルーツ式スーパーチャージャーのパワーユニットが備わり、一般的なフロントアクスルの代わりに4つの独立したリーフを横置きしたフロントサスが与えられた、当時としても大変ユニークな設計となっている。
この独特の構造のため、当時のライバルたちに比べてノーズは際立って長く、空力安定性を狙ってのことなのか、リアのポインテッドテールも長大だ。その結果、全長は4370mmとこの時代の1.5Lクラスのレーシングカーとしては大柄な車体となっている(参考までに同時期にライバルだったブガッティ・タイプ39の全長は3700mm)。

比較のため同世代のレースカーであるブガッティ・タイプ35Cの写真をピックアップしてみた。1927年のJCC200マイルレースでアルヴィスのライバルだったのが、同車から派生したタイプ39で、心臓部をショートストローク化して排気量を1.5Lに縮小した以外はほぼ変更点はない。FWDストレート8グランプリ・カーはブガッティよりも全長が610mm長く、ライバル車よりもかなり大柄な車両であったことがわかる。

特異なFFレイアウトは軽量化と低重心化に狙いがあった

アルヴィスがレーシングカーの駆動方式にFFを選んだ理由は、プロペラシャフトを排することによる軽量化と低重心化にあったとされる。
FFレイアウトレーシングカーの元祖は1905年のヴァンダービルドカップに参加したJ・ウォルター・クリスティー(のちに旧ソ連のBT-5軽戦車やT-34中戦車に多大な影響を与えたクリスティー式戦車を開発したことで知られる発明家)のフロント・ドライブ・レーサーが史上初とされているが、1925年にFWDグランプリカーのプロジェクトを始動したアルヴィスはそれに続くものであった。

JCC200マイルレースでの一葉。隣には失われたモーリス・ハーベイの1号車の姿も見える。2号車のドライバーズシートに座っているのがジョージ・ダラーだ。ダラーは1910年代に騎手として名を馳せた人物で、1920年代初頭に馬からレーシングマシンへと乗り換え、戦前のイギリスレース界で活躍した人物だ。ダラックやブガッティでレースを戦い、1927年のブルックランズ6時間レースでサンビームに乗り初優勝を飾っている。また、1925~27年にかけて「ベントレーボーイズ」のひとりとしてル・マン24時間耐久レースに参戦しているが、いずれの年も完走は果たしていない。1937年のブルックランズ500マイルレースを最後にレーサーを引退した。1962年没。

実験的な性格が強く、エントリーしたレースを完走することなく途中リタイアしたクリスティーに対し、同社の前輪駆動車は1928年のル・マン24時間耐久レースを制し、ある程度まとまった台数を生産したことから、まさしく同社は「前輪駆動のパイオニア」と呼ぶべき存在である。

アルヴィスの主任技術者兼工場長として、主任設計者のウィリアム・Mとともに数々の名車を手掛けたジョージ・トーマス・スミス=クラーク。アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーももちろん彼の作品だ。

しかしながら、もともとはレースに勝つために作られたメカニズムであり、高性能化を狙ったロングホイールベースのスポーツサルーンなどの市販車にも転用されたが、本来の用途とは使用目的が大きく異なることもあって、信頼性やメンテナンス性の面で問題があり、アマチュアドライバーには手にあまるクルマであったことから、1928~1931年の4年間にレーシングカーやプロトタイプを含めてわずか155台(生産台数については諸説あり)がラインオフしたに留まった。
それ故にアルヴィスFWD車の現存数は少なく、現在のところ確認されるグランプリマシンは、オートモビル・カウンシル2023に展示されたこの車両が唯一とされている。

資料によってはアルヴィスが「FFレーシングカーの元祖」と紹介するものもあるがそれは誤り。世界最初のFFレーシングカーは、1905年にアメリカのJ・ウォルター・クリスティーによって製作されている。わが国では画期的な戦車用懸架装置の「クリスティー式サスペンション」の開発者として、ミリタリーファンの間ではつとに有名だが、彼が1900年代にFWD自動車の可能性を追求していたことはあまり知られていない。
ただし、クリスティーの作ったフロント・ドライブ・レーサーは、トランスミッションを持たず、横置きしたエンジンの両端にクラッチを取り付けて直接左右輪を駆動させるという「ダイレクト・ドライブ方式」を採用している。コーナリング時には左右輪の回転差を吸収できないため、内輪側のクラッチを切るというかなり乱暴な設計で、実験車の範疇を超えるものではなかった。だが、1925年にハリー・ミラーが製造したFFレーシングカーにも影響を与えた(登場時期はアルヴィスFWDよりも若干遅い)。1920年代中頃は奇しくも米欧でFFレーシングカーが強さを見せていた時代でもあるのだ。

誕生から100周年を迎える2027年
ブルックランズ・サーキットへカムバック!

今回はレストア途中での出展ということもあって、今後もコヴェントリーの南西10kmにあるケニルワースにあるアルヴィス・カーカンパニーにて、子会社のレッド・トライアングル社の協力のもと引き続き修復作業が進められるという。現状ではカムシャフトやドライブシャフトの修理が完了しておらずエンジンに組み込まれていないが、2023年後半にはエンジンの修理を完了させる予定だそうだ。順調に作業が進めば、誕生から100年を迎える2027年に、このクルマがかつて戦ったブルックランズ・サーキットでのデモランを計画しているそうだ。それを聞くと今からアルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーの完成が待ち遠しくなる。

アルヴィスFWDは軽量かつ低重心、さらにハンドリング性能に優れていたことからル・マン24時間レースなどの欧州のモータースポーツで活躍を見せる。しかし、そのロードゴーイングモデルは、 出自が複雑な機構を持つレースカーであったことから信頼性やメンテナンス性の面で問題があり、おまけにエンジンより前にトランスミッションが突き出した構造のためトラクションが不足がちで、トリッキーな操縦性と重い操舵力が災いして、アマチュアドライバーには手にあまるシロモノだった。そうしたことから生産台数は4年間で155台と非常に少ない。
【Specifications】
ボディサイズ:全長4370mm×全幅1550mm×全高910mm
ホイールベース:2435mm
エンジン:直列8気筒DOHCルーツ式スーパーチャージャー
排気量:1479cc
最高出力:125bhp
トランスミッション:4速MT
駆動方式:FF
最高速度:約200km/h
サスペンション形式(前/後):横置きリーフスプリング/縦置きリーフスプリング
ブレーキ:前後ドラム式

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