当時モノの新車が6000万円はお買い得!? 戦前に四輪独立懸架と世界初のフルシンクロメッシュ・トランスミッションを採用したFFレイアウトの高級クラシックカー「Alvis」を見よ!【アルヴィス・ヒストリー:前編】

オートモビル・カウンシル2023でアルヴィス・ジャパンが目玉として展示した1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カー。
半世紀の眠りから覚めて2012年に復活した新生「アルヴィス」。日本には1950年代に同車の輸入販売を手掛けていた明治産業がアルヴィス・ジャパンを設立してあたっている。2023年4月14日(金)〜4月16日(日)に開催された「オートモビル・カウンシル2023」の会場には、戦前のGPマシン・1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーのほかに、入念なレストアが施された2台と、コンティニュエーションシリーズとして往時の設計に基づき新規製造された2台が並んだ。今回はアルヴィスの歴史とともにこれらのマシンを紹介する。

オートモビルカウンシル会場の一等地を陣取るイギリスの名門・アルヴィス

2023年4月14~16日にかけて幕張メッセで開催された『オートモビル・カウンシル2023』。会場の入り口近くの一等地に陣を張ったのがアルヴィス・ジャパンのブースだ。アルヴィスの社名を聞いてパッとブランドがイメージできる人はベテランの英国車ファンだけだろう。もしくは陸戦兵器を守備範囲とするミリタリーファンか。いずれにしても一般のエンスージアストからは半ば忘れられつつあるメイクスだ。

幕張メッセ9・10ホールを会場に開催されたオートモビル・カウンシル2023の会場の様子。会場の入り口に近い場所にアルヴィス・ジャパンはブースを構えた。

FWD・四輪独立懸架・世界初のシンクロメッシュ・トランスミッションなど
新技術を意欲的に取り込んだ戦前のアルヴィス 

アルヴィスの前身となるTGジョン&カンパニーが創業したのは1919年のことだ。創業者のトーマス・G・ジョンがコベントリーにあったキャブレターメーカーのホーリーブラザーズを買収し、据え置き式の産業用エンジンやキャブレター、スクーターなどを生産を開始したことから同社の歴史は始まる。

そして、創業とほぼ同時にエンジニアのジェフリー・ド・フレヴィルに、アルミ製ピストンを採用した画期的な設計の1.5L直列4気筒SV(サイドバルブ)エンジンの製作を依頼し、1920年にこのエンジンを搭載した同社初の乗用車10/30を発表。性能と品質の高さから瞬く間に評判となった。


これによって地歩を確実なものにすると、1921年に社名をアルヴィス・カー&エンジニアリング・カンパニー・リミテッドへと改名し、生産工場をコベントリーのホーリーヘッドロードへと移した。

アルヴィス初の乗用車10/30。ジェフリー・ド・フレヴィル開発の水冷1.5L直4SVエンジンを搭載していたが、一部にOHVエンジンを搭載した車両も存在した。デビュー1年後に排気量を1.6Lに拡大した11/40、その翌年にギアボックスとリアアクスルを改良した12/40へとモデルチェンジを受ける(PHOTO: ALVIS JAPAN)

こうして自動車メーカーとして歩み出したアルヴィスは、1923年にディムラーからG・T・スミス=クラークを主任技術者兼工場長へと引き抜き、主任設計者にはともに移籍したウィリアム・Mが就任した。

このふたりのコンビは、その後四半世紀以上にわたって続き、12/40や12/50などの10/30の改良型にはじまり、12/75などのFWD車、同社初の直列6気筒エンジンを搭載した14.75、SA~SDまでのシリーズが作られた高級スポーツサルーンのスポーツ20などはすべて彼らの作品である。

創業間もない時期からFWDの可能性に着目していたアルヴィスはレースカーで技術を磨き、1928年にFWD市販車の12/75をリリースした。ほかにもインボードブレーキ、OHVエンジン、さらにオプションとしてルーツ式スーパーチャージャーを用意した革新的なモデルであった。

戦前のアルヴィスを総括すると、創業間もない1920年代は小排気量の高性能車、1930年代以降は直6エンジン搭載車を主力とした高性能サルーンを製造し、前輪駆動レーシングカーのパイオニアとして1925年のインディ500や1928年のル・マン24時間レースなどを含む内外のモータースポーツで活躍。

さらには技術志向の強いメーカーとして、独立懸架や前輪駆動などの当時としては先進的なメカニズムを採用し、さらにはイナーシャーロック式のフルシンクロメッシュ・トランスミッションを世界に先駆けて採用(コンスタントロード式のシンクロメッシュは1928年にアール・A・トンプソンが開発し、翌1929年にキャデラックが採用。こちらが世界初のシンクロメッシュ となる)するなどしてその名声に磨きをかけて行った。

1923年にディムラーからアルヴィスへと移籍したG・T・スミス=クラーク。同社で主任技術者兼工場長の地位を得た彼は、一緒に転籍したウィリアム・Mとともに四半世紀以上に渡って数々の名車を生み出した。
フロントグリルに輝くアルヴィスのエンブレムとオーナメント(後期のもの)。戦前にはロールス・ロイスやベントレー、ディムラーに次ぐ高級車としてセレブリティから人気を博した。なお、初期は羽の生えた緑色の三角形のロゴを使用していたが、航空機メーカーであり小型車を製造していたアブロのロゴに似ていたためクレームが入り、赤い三角形のエンブレムに変更された。

第二次世界大戦によって狂う運命の歯車
高級車市場の縮小によるローバーとの合併から1967年に自動車生産から撤退

しかし、順風満帆に見えたアルヴィスの運命を狂わす出来事が1939年に発生する。そう第二次世界大戦の勃発だ。イギリスは開戦とともに乗用車の生産を禁止し(解禁は戦争終結後の1946年)、さらに1940年11月のドイツ空軍のコヴェントリー爆撃で自動車工場は半壊した(同社の兵器工場と航空エンジン製造工場は難を免れた)。

英独航空戦「バトル・オブ・ブリテン」の最中となる1940年11月のドイツ空軍のコヴェントリー爆撃により、同地の自動車メーカーは少なからぬ被害を受けた。その中でもアルヴィスは自動車工場が半壊するなど、その被害は甚大なものだった。
アルヴィスは自動車だけでなく兵器や航空エンジンの製造も手掛けていた。戦時中、民間向け乗用車の生産が禁止された際には、ロールス・ロイスの下請けとして航空機エンジンを製造した。写真は1947年にアルヴィスが開発・製造したブリストル・タイプ171シカモアヘリコプターMK.2用のMK.173空冷星型エンジン。

戦後になって、戦前のモデルである12/70をベースにしたTA14で自動車の生産を再開したアルヴィスであったが、戦後の社会情勢のもとでは高級車市場は極めて低調で、さらには大型車に対する重課税により厳しい再出発となった。ようやく戦後モデルが発表したのは1950年のTA21からとなる。だが、すっかり企業としての体力を失っていた同社は、以後このモデルをベースに1966年誕生のTF21まで改良を加えながら生産を続けた。

戦後初のアルヴィス車となったTA14。基本メカニズムは戦前の12/70を踏襲している。写真の車両はダンカンがボディを架装したフィックスヘッドクーペ。この時代の高級車の例に漏れず、アルヴィスはシャシー状態で販売され、専門のコーチビルダーが内外装を手掛けた。

1965年にローバーがアルヴィスの資本を握ると、ローバー製V型8気筒エンジンを搭載したミッドシップスポーツカーのP6BSが開発が進められたが、ローバーがレイランドと合併し、国営企業のブリティッシュ ・レイランドが成立したことにより、プロトタイプが1台製作されただけでこの話は立ち消えとなった。

これ以降、アルヴィスは乗用車生産から撤退して軍用車の開発・製造に活路を見出す。FV601サラディン6輪装甲車やFV101スコーピオン軽戦車、FV430トロージャン装甲兵員輸送車など、現在でも各国で運用が続けられているこれらの装甲車両はすべてアルヴィスが開発したものだ。
2002年にはロールス・ロイスから兵器メーカーのヴィッカースを買収したが、2004年にBAEシステムズの傘下に入り、BAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツへと改組されたことにより歴史あるアルヴィスの社名は一時消滅した。

写真のFV601サラディン装甲車は、英陸軍だけでなく各国で採用された6WD装輪装甲車のベストセラー。1990年8月のイラク軍によるクウェート侵攻では、突然の奇襲で味方が総崩れとなる中、たった2両で首都を守らんと奮戦するクウェート陸軍のサラディン装甲車の勇姿がドイツ人観光客によって撮影された。日本を含む全世界に映像が配信されたのでご覧になった方も多いはずだ。
FV101スコーピオン偵察戦闘車(軽戦車)。緊急展開能力を重視して軽量・小型で設計されており空輸も可能。心臓部にはジャガー製4 .2L直6エンジンを搭載し、主砲にはサラディン装甲車と同じ76mmカノン砲を装備する。英陸軍をはじめ世界23カ国で採用される軽戦車のベストセラー。装軌式車両としては極めて快速で、最高速度は82km/hは「最速の量産戦車」としてギネス記録だ。

オートモービルカウンシルの会場に並ぶ戦前・戦後のアルヴィスの名車

アルヴィスの歴史をざっと紹介したところで、話を再びオートモビル・カウンシル会場へと戻す。
今回ブースに並べられたアルヴィスは全部で5台。そのうち目玉となるのは、1927年10月15日の「JCC200マイルレース」に2台が参戦した1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーだ(このクルマについては次回詳しく解説する)。

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コンティニュエーションモデルにより往年の名車を再び生産する「アルヴィス・カー・カンパニー(A…

コンティニュエーションシリーズとして新規製造されたアルヴィス4.3バンデン・プラ・ツアラー。アルヴィス4.3は、加速と最高速度の両面でラゴンダやベントレーなどのライバル車を凌駕し、当時のエンスージアストたちを熱狂させた伝説のスポーツツアラー&サルーンだ。ブースに展示された車両は2020年に製造され、外観は1937年型に準じているが、電子式燃料噴射やディスクブレーキの採用など近代化改修が施され、現在の交通環境でも痛痒なくドライブが楽しめる仕様となっている。

それ以外の展示車両は、1950年型アルヴィス1.9L TB14ロードスターと1964年型アルヴィス3.0L TE21パークウッド・ドロップヘッドクーペ、そして、2020年型アルヴィス4.3バンデン・プラ・ツアラー、2022年型アルヴィス3.0Lグラバー・スーパークーペだ。

オプションでエアコン装着も可能。違和感なく1930年代設計のインテリアに収まっているのはさすがだ。

いずれも往年のアルヴィスを代表する名車である。だが、ちょっと待ってほしい。
4.3バンデン・プラ・ツアラーと3.0Lグラバー・スーパークーペの製造年は2020年と2021年と説明書きがされている。本来の製造年は前者が1937~40年、後者は1964~66年になるはずだ。いったいこれはどうしたことだろうか?

1950年型アルヴィスTB14ロードスター。戦後初の生産モデルとなったTA14サルーンをベースにしたスポーツモデルで、アメリカ市場を重視して1948年のアールズコートモーターショーでデビューを飾った。エンジンはTA14の1.9L直4をそのまま使用しているが、スポーツモデルらしくツインキャブレターにアップグレードされている。ボディの架装はAPメタルクラフトが担当した。
しかし、同時代のジャガーXK120がより安価で、高性能だったことから商業的には振るわず、生産台数はわずか100台にとどまる。
なお、この車両はコンティニュエーションシリーズではなく、入念なレストアが施された1950年の生産車。

レプリカではない? 新生アルヴィスの「コンティニュエーション」シリーズ

これらの車両は2012年に復活した新生アルヴィスで製造された車両だ。と言ってもレプリカではない。
じつはアルヴィス4.3は150台の製造認証を受けていたが、戦争の影響で1940年までにラインオフした車両は73台に留まった。残りの77台に関してはシャシーナンバーが割り振られたまま生産されずに宙に浮いていたわけである。
そこで残りのシャシーナンバーをあらためて製造しようというのが、新生アルヴィスのコンティニュエーションシリーズなのだ(アルヴィス3.0Lについても同様)。

2022年のオートモービル。カウンシルで発表された3.0Lグラバー・スーパークーペ。1964~66年に製造されたアルヴィス後期の車両で、3.0L直6OHVの心臓を持つ流麗な高級スポーツクーペ&カブリオレである。当時の作業図面を使用し、オリジナルデザインを忠実に守って製造しながら、同時に現代の排出ガス規制にも適合させている。なお、コンティニュエーションシリーズは今回展示された2台のほかに4台を選ぶことができる。

そうなると気になるのが、現在の厳しい法規対応に合致しない古い設計のモデルが公道を走れるのか、走れたとしても余計な安全装備が付くことでオリジナルの美しさが損なわれてしまわないか、という点だ。


しかし、現在のイギリスの法律では生産が年間300台を超えないメーカーに関しては、現代の安全装備や排気ガス規制をクリアさせる必要がなく、ナンバー取得を可能としているとのこと。また、日本でも割り振られた車体番号を根拠に、当時作られた年式での登録が可能になるため、エアバッグや衝突被害軽減ブレーキ、シートベルトなどの装備を取り付けなくともナンバー取得が可能となる。
すなわち、展示車両のアルヴィス4.3バンデン・プラ・ツアラーは製造は2020年だが、登録上は1937年製となるのだ。

現代の交通環境に合わせて見えない部分を近代化
だが、エクステリアとインテリアは生産当時のまま

また、コンティニュエーションシリーズは現代の交通環境に合わせるため、当時の姿そのままというわけではなく、SUキャブを電子式燃料噴射に、ドラムブレーキをディスクブレーキに、ウォーム&ローラーのステアリングをラック&ピニオンに置き換えるなどの近代化が図られている(顧客が望めば当時のスペックでの注文も可能らしい)。これにより排気ガス規制もクリアし、合法的にドライブを楽しめるわけである。

1964年型アルヴィス3.0L TE21パークウッド・ドロップヘッドクーペ。アルヴィスが自動車生産を終了する最後から2番目のクルマで352台が生産された(うちドロップヘッドクーペは95台)。ドロップヘッドクーペとは英国流のカブリオレの言い回しで、その名の通り「頭が取れるクーペ」の意味。ロードスターとの違いは、幌をかけた状態でもスタイリングに破綻がなく、美しい状態を保った車両に限りこの名称が与えられた。ちなみに金属ルーフの通常のクーペはフィックスヘッドクーペと呼ぶ。

気になるお値段は6000~7000万円ほどと絶対的には高価だが、公道走行ができない車両も少なくない他社のリプロダクションモデルが1億円以上することを考えると相対的にはリーズナブルと言える。
アルヴィスの輸入販売元は1950年代に同社の正規販売店を務めていた明治産業(アルヴィス・ジャパン)だ。コンティニュエーションシリーズ以外にもレストア済みの車両の販売、整備・レストア、パーツ供給などを手掛けているので、アルヴィスの購入を考えている人は1度ショールームを訪れてみると良いだろう。

読者の方のご指摘により一部修正させて頂きました。謹んでお詫びを申し上げるとともに、訂正させて頂きます。
2023年4月27日更新

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