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第31回目となる軽井沢ミーティングは、快晴の空の下、久々に参加者の笑顔溢れるイベントとなった。コロナ禍では開催時期の変更や徹底した感染対策の実施など、実行員会の努力と参加者の協力によりイベントの継続こそ叶ったが、もちろん、マスク着用は必須。対面とはいえ、互いの笑顔を見ることができない状況が続いていた。
しかし、今回は、政府の新型コロナウイルス感染症緊急事態解除宣言を受け、ようやくマスクを外してのイベント参加が可能に。その喜びを示すように、参加人数も、なんと過去最高となる2530人を記録した。
NA、NB、NC、ND……参加台数は全世代合わせて1157台!
一方で、全国各地から集ったロードスターは1157台に留まった。これは近年の参加台数の増加から、近隣への配慮のため、2017年以降は参加台数に制限が設けられたためだ。それでも日本最大かつ世界有数のロードスターオーナーズイベントにあることには、変わりはない。
今年のモデル別割合を見てみると、初代NA型が25%、二代目NB型が11%、三代目NCが10%、四代目NDが54%(内、11%がロードスターRF)という結果に。現行型NDも、登場より8年を迎えたこともあり、過半数を占めるまでになった。これは既存のロードスターユーザーの乗り換えや買い増しだけでなく、若い世代のユーザーが増えたことも要因のひとつだ。
それを示すように、マツダによれば、2022年の販売データでは、50代が最多の33%となっているものの、30代以下も28%を占めている。そのうち、なんと17%が20代までのオーナーなのだ。このため、ファミリーだけでなく、若いカップルの姿も多く見られるように。開催初期を知る初代オーナーたちにとっては、当時を彷彿させる光景に映ってることだろう。
会場を散策して回ると、今や貴重な二桁ナンバー車や伝説的な純正コンプリートカーである「M2 1001」などの稀少車に加え、オーナーの拘りが随所に感じられるカスタムカーたちにも出会えた。そのなかには、なんとロータリーエンジンに換装した高性能なものがあり、ロードスターのカスタムの奥深さを実感。そんな自慢の愛車たちを前に、オーナー同士がロードスター談義に花を咲かせる、いつもの光景が会場で散見された。
トークショーはロードスターのマル秘エピソードが満載!
ステージのお楽しみコンテンツであるトークショーでは、現行型NDの開発主査を務める齋藤茂樹さんを始めとした現行ND開発チームメンバーらが参加。
さらに今年2月に定年を迎え、マツダを退職されたばかりのND開発主査を務めた後、ロードスターアンバサダーとして活躍された山本修弘さんやNAの開発初期から携わり、NAの改良からNCまでの開発主査を務められた貴島孝雄さんなども参加された。
トークショーでは、サプライズとして、今秋の大幅改良の予告やロードスター誕生35周年に向けたオリジナルグッズ開発計画なども明かされ、大いに盛り上がりみせた。
そんなマル秘エピソード満載のトークショーから、貴島さんを中心に語られた初代開発主査である平井敏彦さんによるロードスター誕生物語の一部をご紹介したい。平井さんは、残念ながら2023年4月11日、87歳でお亡くなりになられた。
貴島さんは「1983年頃、将来のモデルを探る先行開発案のひとつに、ライトウェイトスポーツがあった。経営陣は、既存モデルをベースとした2シーターやFFベースのスポーティセダンを想定。その開発に携わっていた平井さんは、要求を満たす試作車を作り企画の実現を目指したが、その商品化には興味はなく当初よりFRのオープンカーとすることを決めていた」と当時を振り返る。
平井さんが目指したのは、開発側と顧客の両方が幸せになれるクルマ。その想いは、初代カタログに掲げられた「だれもが、しあわせになる」というコピーにも通じるものだ。その幸せの実現には、楽しいカーライフを提供できるクルマでなくてはならない。そこで重視したのが、ドライバーの思い通りに動くことと、お財布に優しいことだった。
当時のスポーツカーは、エンジン性能重視。ただ性能が良すぎると、アクセル操作にも加減が求められる。しかし、それでは、ドライバーが満足感や達成感を得られない。だから、アクセルを目一杯踏んでも、気持ちよい加速レベルで良いのだ。もちろん運動性能に妥協はなく、前後の重量配分は50:50とし、ニュートラルステアのクルマに仕上げることに拘った。これが“人馬一体”というロードスターの魂となっている。
価格面でも、シンプルなクルマの方が抑えやすい。実際に、量産化には、専用部品も多いが、できる限り、他のマツダ車からの流用も行なわれている。
その「ライトウェイトスポーツを世に送り出したい」という社内の有志が集ったのが、「リバーサイドホテル」と呼ばれた開発施設ビルの一室だ。研究車両を観察するための簡素な作りの部屋であったが、そこに図面を書くドラフターなどの機器を持ち込み、エンジニアたちがロードスターの基礎を作り上げた。
貴島さんは「今ならば、考えられないこと」と前置きしつつ、参加する技術者たちは自身の抱える仕事を終えた後にリバーサイドホテルに集結し、ライトウェイトスポーツの製品化という夢に向けて開発に没頭したという。そのため、徹夜して朝を迎える人も多かったことから、洒落で平井さんが「リバーサイドホテル」と名付けたそうだ。
話のなかでは、ロードスター開発に情熱を傾けた平井さんのエピソードも語られた。
運動性能を高めるためにクルマの鼻先を軽くすべく、平井さんはバンパー内にある鉄製の衝撃吸収部品をなくすために、ブロー成形の樹脂バンパーを提案する。しかし、当時のマツダには製造実績がなかったため、製造側から難色が示された。そこで平井さんは、担当役員の元にバットを持って訪ねたという。
貴島さんは「当時は、冗談で“平井がバットを持って殴り込みに来た”なんて言われましたが、平井さんは、先端とグリップを持ち換えてバットを振ることで慣性モーメントの違いを肌で理解してもらい、担当役員に開発の承諾を貰ったんです。そういう工夫を大切にし、確信を持って物事を勧められる方でした」と振り返った。
マツダを退職されてからも、平井さんのロードスターへの熱い想いは変わらず、ロードスター開発の役に立てばと、NDの開発当時に、自身の愛車であったNA初期型1.6LのVスペシャルをマツダに寄贈している。現在も、同車は、動態保存されており、活躍中だ。当日も会場に展示され、多くのファンが平井さんの愛車を前にその別れを惜しんだ。
2024年の第32回開催に期待
今年も大いに盛り上がり魅せた軽井沢ミーティングだが、遠方からの参加も多いため例年は午後になると帰路に着く参加者も現れるのだが、今年はエンディングを見届けた参加者が多いように感じられた。やはり、コロナ禍で外出を自粛していた人や仲間で集うことを控えていた人が多く、別れが名残惜しかったのだろう。来年の開催時も、今年同様、笑顔で集えるロードスターファンの集いであることを願いたい。