目次
実績のあるマシンのコンポーネンツをよりコンパクトなボディに
三菱ランサーエボリューションシリーズ、通称“ランエボ”は、WRCのグループA時代にトヨタ・セリカGT-FOUR、スバル・インプレッサWRXと共に日本車黄金時代を作り上げた名車だ。その誕生は1980年代末に遡る。
ランチアがデルタシリーズで席巻した1980年代末のグループAにおいて、マツダ・ファミリア(BFMR)やセリカGT-FOUR(ST165)と共にランチアに土を付けたのが三菱ギャランVR-4だった。優れた4WDがもたらす安定性と抜群のトルクでランチアに対抗したギャランであったが、いかんせんWRCで戦うには大きく重かった。
そこで、このギャランVR-4のコンポーネンツをよりコンパクトなボディのランサーに搭載した、ランサーエボリューションが誕生したのが1992年。大柄なセダンからそのコンポーネンツをコンパクトなボディに搭載するという手法で作られたマシンは、フォード(シエラコスワース4×4→エスコートRSコスワース)とスバル(レガシィRS→インプレッサWRX)と期を同じくしている。
グループAの“ランエボ”は2世代6モデル
1992年に登場したランサーエボリューション(I)、通称“エボI”は、1993年からWRCデビュー。その後、ランエボはほぼ毎年改良を施したエボリューションモデルをリリース。1994年のエボII、1995年のエボIIIまでがその第一世代となる。
WRCではエボI、エボIIでは熟成に苦心するが、第一世代の決定版エボIIIが1995年シーズン途中にデビュー。1995年はケネス・エリクソンが2勝(1勝はエボII)、1996年はトミ・マキネンが5勝を挙げてドライバーズチャンピオンに輝き、三菱に初となるWRCタイトルをもたらした。
1996年にはランサーのフルモデルチェンジにより、ベースから大きな変更を受けたエボIVが登場。エンジン搭載位置の逆転やツインスクロールターボの採用。リヤのマルチリンクサスペンションやAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)システムなどが採用された。1998年にはついにワイドボディとなったエボV、1999年にはエボVIと進化を重ねる。
WRCでは、1997年から実戦に投入され、エースのマキネンは1999年までドライバーズタイトルを四連覇を達成。1998年は念願のマニュファクチャラーズタイトルも獲得している。
WRCでは参戦メーカーを増やすため、4WD+ターボの市販車を持たないメーカーへの呼び水として1997年よりベース車への大幅な改造を認めた「ワールドラリーカー(WRカー)」規定がスタート。グループAと併存するレギュレーションだったが、スバルがWRカー規定に乗ったため純粋なグループAはランエボのみとなった。
改造範囲が広くWRカー有利に見られていたが、トミ・マキネンのドライビングとランエボのポテンシャルがマッチしてWRカーを向こう回しに純グループAのランエボは大活躍を見せるが、熟成が進むWRカーに対しての不利が次第に明らかになってくる。
三菱は2001年からのWRカーを投入することを条件に、グループAのランエボ(VI)の改造範囲を広げた特例措置モデルを投入したのが2000年。そのベースとなったのが「トミ・マキネンエディション」と称する通称“エボ6.5”。これが第二世代の最後の市販モデルであり、今のところ三菱の最後のWRCウィナーカーとなっている。
エボIVにエボIIIのカラーリング……ちょっとマイナーな1995年1000湖ラリー
ここまで長々と三菱のWRCマシンを解説してきたのは、これから紹介するエボIVのオーナーであるナカムラさんが大の三菱ファンでもあるため、そしてこのエボIVのカラーの特異さを解説するために必要だったから。
というのも、ナカムラさんは1980年代にはランサーターボ(A175)やミラージュに乗り、その後はギャランVR-4(E39A)に7年乗った三菱党。このランサーエボリューションIVは1996年に新車で購入。エボIIIも気になってはいたがあえて見送り、発売前から実車も見ずに予約するほどの熱の入れようだったとか。
元々のボディカラーはスティールシルバー(前述の写真参照)。それにストライプカラーを入れていたが、2001年に意を決してフルレプリカ化を敢行した。
ランエボのレプリカとなると、やはり白と赤をベースにした三菱ワークスカラーのイメージが強い。しかし、ナカムラさんがセレクトしたのは雑誌の片隅に掲載された小さな写真で一目惚れしたシェルカラー。実はこのシェルカラーは、1995年の1000湖ラリーでトミ・マキネン(コドライバー:セッポ・ハルヤンネ)が優勝した際のもの。
この年の1000湖ラリーは当時のWRCローテーション開催制によりWRCからは外れていた(W2Lカップ戦だった)ため、メディアでの露出も少なく比較的マイナーなカラーリングであると言えるだろう。
しかも、この1995年1000湖ラリーで優勝したランエボはIVではなくIII。つまり、ナカムラさんはこのカラーリングに惚れ込んで、エボIVをエボIIIのカラーでレプリカしたというわけだ。
レプリカ化にあたっては元々あったサンルーフを撤去。ルーフを交換するほど力を入れている。インテリアもロールケージはボディに溶接し、OMPのフルバケットシートを装着した2名乗車仕様。ステアリングもOMPのバックスキン、剥き出しのシフトレバー、サイン入りのヘルメットにインターコムとかなり本格的だ。
■主要諸元(GSR) 全長×全幅×全高:4330mm×1690mm×1415mm ホイールベース:2510mm トレッド(前/後):1470mm/1470mm 最低地上高:150mm 車両重量:1350kg エンジン型式:4G63型水冷直列4気筒DOHCインタークーラーターボ 総排気量:1997cc ボア×ストローク:85mm×88mm 圧縮比:8.8:1 最高出力:280ps/6500rpm 最大トルク:36.0kgm/3000rpm 燃料タンク容量:50L 駆動レイアウト:4WD サスペンション 前:ストラット サスペンション 後:マルチリンク ブレーキ(前・後):ベンチレーテッドディスク タイヤサイズ:205/50R15 価格(当時):299万8000円
ライトチューンで機関良好! ……計算ラリーってナニ?
エンジン周りはあまり手は入れていないが、サイバーエボのECUとブリッツのメタルエアクリーナーを装着。ラジエーターホースがサムコ製とし、ドライバッテリー化しているくらい。マフラーはタクミクラフト(埼玉県さいたま市岩槻区)のステン製ワンオフだ。また、ハブやブッシュ類は全交換している。
インパネには以前、サーキット走行をしていた際にオイルコンディション管理のために追加した油温計と油圧計を設置しているほか、ダッシュボードの助手席側には国産ラリーコンピューターの名品「JX555」が装着されていた。ナカムラさん、10年くらい前まで計算ラリーに出場していたとか。
・計算ラリーとは? 一般的なラリーはSS(スペシャルステージ)のタイムを競うスピード競技だが、計算ラリーは“決められた区間を決められた時間”で走り、その時間の正確さを競う競技だ。競技者にはコースと区間ごとの速度が指定され、正解の走行時間に対して速くても遅くても減点(ペナルティ)となり、最終的にその減点が最も少ない競技者が勝ちというもの。正解の時間は主催だけが知っているが、区間距離と指定速度から計算は可能。この計算や、車種ごとに生じる誤差を計算して補正するのがナビゲーターの役目である。ラリーコンピューターはその作業をやりやすくする計算機の一種。 計算ラリーは公道を封鎖せずに開催でき、クルマの性能による優劣もつかず、参加できる人数が多い(ドライバーとナビゲーターの他に、計算担当のカリキュレーターを乗せることもできる)ことから、かつては学生ラリーやクルマに無理をさせにくいクラシックカーラリーを中心に流行したが、近年ではすっかりマイナーな競技になっている。
レプリカライフを楽しみつつプロショップで腕を振るう
サーキット走行や計算ラリーからは遠のいてしまったナカムラさんだが、今はその技術を買われてプロショップ「Prototype(プロトタイプ)」でレプリカの腕を振るっている。同社の手がけた多くのレプリカがナカムラさんの手によるものだ。その縁から、レプリカ化を担当したお客さんに誘われてレプリカマシンのツーリングに参加するなど、レプリカライフを堪能している。