1984年に発売されたトヨタMR2は国産車として初めてエンジンを車体中央に搭載するミッドシップレイアウトを採用していた。このことから誰しも本格スポーツカーの誕生に色めきたったが、当時はお役所がスポーツカー=悪と捉える傾向が強くMR2に与えられたのは「ミッドシップ・ランナバウト」という曖昧な表現だった。だがエンジン・トランスミッションを車体中央に搭載する2シータースポーツカーであることに変わりはなく、この年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。
採用されたパワートレーンはFF化された5代目カローラ・スプリンターのものであり、FRが継続されたAE86レビン・トレノの縦置きではなくFF用の横置きユニットがそのまま転用されていた。ラインナップは1.5リッターSOHCの3A-LU型と1.6リッターDOHCノ4A-GEU型でスタート。全長4メートルを切る小さなボディは車重が1トン前後でしかなく十分なパワーだったが、やはりスポーツカーらしく走らせるならモアパワーが求められた。
そこで1986年のマイナーチェンジで4A-GEU型にスーパーチャージャーが新設定された。これによりDOHCエンジンのパワーは130psから145psへと向上。何よりアクセルレスポンスに優れるスーパーチャージャーは、どの回転域からでもトルクが引き出せるためスポーティそのもの。またこのマイナーチェンジによりルーフが脱着可能なTバールーフ仕様も新設定された。
マイナーチェンジ後はスーパーチャージャー・Tバールーフ仕様が人気となるわけだが、2人しか乗れないスポーツカーでありAE86やAE92レビン・トレノのような販売台数には達しなかった。また小さなミッドシップ車ということでジムカーナなどの競技ベース車になることも多く、中古車として流通する台数は多くない。ところが2年前にスーパーチャージャー・Tバールーフでなおかつ5速MTという最も人気の高い仕様を手に入れたのが今回紹介する佐田明美さんだ。
10月7,8日と2日間にわたって開催された「第19回まつどクラシックカーフェスティバル2023」の会場に、前回紹介したAE86スプリンタートレノと並んで展示されていたのが佐田さんのMR2。お名前を見ればわかるように、AE86パンダトレノに乗る佐田圭民さんの奥様がオーナーなのだ。ご夫婦でスポーツカーをそれぞれ所有しているのだから、二人とも大変なマニアなのだろう。そう伺うと「親がダルマセリカに乗っていたんです」という。旦那さんのお父さんとおじさんがサバンナに乗られていたのと同じように、奥様も幼い頃からスポーツカーを見ながら育ってきた。だから自然と愛車に選ぶのもスポーツカーになったのだろう。
佐田さんご夫婦はハチロクの記事でも紹介したように都内の江戸川区にお住まいなため、意外にもクルマを購入するのは24歳になってからと遅かった。普段の移動は公共交通機関で事足りてしまう環境だったためだが、3人目のお子さんが生まれたことで初愛車を手に入れる。その後、ファミリーカーとしてハチロクのパンダトレノが大活躍するわけで、現在でも乗り続けられている。その間、乗り換えるチャンスはあったはずなのに、長年乗るうち愛着が生まれてしまったのだろう。すると佐田さん夫婦はあろうことか、ファミリーカーであるハチロクを維持しつつ奥様用として増車することにされたのだ。
そのため奥様は20代後半になって運転免許を取得。しかもパワステのないハチロクで仮免許時に練習していたというから驚かされる。こうして免許を取得後、EG5シビックが新たに加わった。旦那さんの知り合いから手に入れたシビックだが、所有者である奥様がシビックを好きになれない。そこでAE86レビンを皮切りにR32スカイラインGT-R、FD3S・RX-7と後輪駆動のスポーツカーを乗り継ぐことになった。
過給機付きのエンジンばかり乗り継いだことでスピードに対する免疫ができてしまったのだろう。ただ、RX-7はロータリーターボという特性上、年数が経つにつれメンテナンス費用がかさんでくる。そこで維持費のかからないカプチーノへ乗り換えることとなった。ここでもFRターボを選んでいるあたり、筋金入りと言えるだろう。そして2年前にカプチーノからの買い換えでAW11MR2がやってきたというわけなのだ。
すでに子育ても終わり、今はご夫婦揃ってスポーツカーのある生活を楽しまれている。東松戸にある「昭和の杜博物館」でボランティアスタッフを務めつつ、「まつどクラシックカーフェスティバル」でも車両を展示する傍ら運営側として関わっている。旦那さんが旧車趣味を続けていても家族一緒に楽しむケースは多くない。ところが佐田さん夫婦のようにそれぞれがスポーツカーを所有して同じイベントを楽しむ場合もある。微笑ましくも羨ましくもあるのだった。