RX-7オーナーが叔父から託されたのは“史上最強のスカイライン”と呼ばれたDR30? その不思議なストーリー❘ 80-90年代車再発見 1983年式・日産スカイライン2000ターボRS(1983/NISSAN SKYLINE 2000TURBO RS)

排ガス規制への適合に明け暮れた70年代を終え、
ターボとともに“走りの日産”が帰ってきた80年代。
さらに4バルブDOHCのスカイラインが戻ってくる。

売られたケンカを受け4バルブターボで倍返しだ!

「名ばかりのGTたちは、道を開ける」とセリカから露骨な挑戦を受けたスカイライン・ジャパン。起死回生の策として日産はセドリック・グロリアで先行デビューしたL型6気筒ターボエンジンをジャパンに搭載して迎撃する。

だが、L型ターボが決定打ではなかった。81年になってモデルチェンジした通称ニューマン・スカイラインことR30型は、発売2カ月後にとんでもない飛び道具を用意していた。それこそがケンメリGT-R以来となる4気筒DOHC4バルブであるFJ20型エンジンを搭載するRSの登場だ。

RSは4気筒ゆえGT-Rを名乗ることが許されずレーシング・スポーツの頭文字をグレード名にした。2リッターNAながら150psを発生するスポーティなエンジンは1年半後にターボを追加したFJ20ET型へ発展。190psの最高出力を実現して“史上最強のスカイライン”を名乗る。

さらに半年後、マイナーチェンジによりRSは鉄仮面と呼ばれるグリルレス風のスタイルへ変更。さらに半年後、インタークーラーを装備して205psを発生するターボCへ進化して止めを刺す。

外観

1981年8月のフルモデルチェンジでR30系へ進化したスカイライン。同年10月に4バルブDOHCのRSが追加され、83年2月にターボ化した2000ターボ RSを追加。同年8月にマイナーチェンジして後期型へ移行すると、RS系は3本グリルから鉄仮面へスタイルを変更。同年10月にはATを採用するRS-Xが追加され、84年2月にはインタークーラーターボとしたターボCを発売。
カバー!

丸形4灯テールは上にカバーがかぶさる。補修用部品だと色が違うこともある。
ターボC!

ターボCはインタークーラー用ダクトが前バンパー左下に装備している。

エンジンルーム

FJ20ET型は205ps

リッター当たり100psを超える205psを達成したターボインタークーラー。当時2リッタークラスに敵はいなかった。

「興味ないから」と一度は断った叔父の愛車

“史上最強のスカイライン”と呼ばれただけあり、4バルブターボのRS、さらにはインタークーラーを備えるターボCの多くはチューニングベースに最適。次世代のR31が走りの良さより快適性を訴求したからなおさら、DR30は長らく走り屋に愛された。

ところがこの時代、マツダディーラーに勤めながらロータリーチューンを追い求めたのが今回のオーナー。歴代RX-7でチューニングを楽しんできたのでスカイライン、特に4気筒のDR30には興味がない。ではなぜ極上フルノーマルのDR30に乗っているかといえば、このDR30はオーナーの叔父が新車から大切に乗り続けてきたクルマだから。

叔父が70歳を過ぎ、そろそろ断捨離を始める。長年大切に維持してきたDR30もその対象となったが、子供たちは興味がない。そこで今では独立して整備工場を営むオーナーに託されることに…。しかし当のオーナーも当初「いらない」と断った。興味がないからと返したのだが、エアコン・パワステもないDR30だから 「お前しかいないから」と半ば押し付けられてしまったのだ。

見方によってはラッキーだが、ここまでノーマルだとおそれ多くて部品一つ変えられない。そこでオーナーは現状のまま維持することにした。売れば良い値段がつくのは百も承知だが、叔父の思いを無下にはできない。人間味のあるオーナーらしい乗り方なのだ。

室内

新車時から車庫保管だったため、ダッシュボードに傷や浮きはない。全パーツが新車時のものだ。
水平ゼロ指針メーターは色抜けなく極上。走行距離は驚きの5.8万キロ。

このスカイライン2000ターボRSの記事は、令和に残るクルマ改造雑誌『G-ワークス』(毎月21日発売)2023年10月号に掲載されたものを再構成したものです。 

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