FINAって知ってる? トヨタ・セリカGT-FOURのレプリカは1991年WRCツール・ド・コルス仕様! ST162とST165を4台乗り継ぐオーナーの選択は!?

2023年10月25日(水)〜11月5日(土)の会期で開催された『東京モーターショー』改め『ジャパンモビリティショー2023』(以下、JMS)。その、特別招待日/プレビューデーの10月27日(金)と一般公開初日の10月28日(土)に場外で開催された「CONSORSO DI REPLICA CAR(コンソルソ・ディ・レプリカカー)」。そこには実に様々なレプリカマシンが展示されていたが、世界ラリー選手権(WRC)マシンが特に多く、トヨタ・セリカGT-FOURはST165、ST185、ST205と三世代が揃った。その中から希少かつマニアックな仕様のST165をピックアップしてみよう。
PHOTO:井上 誠(INOUE Makoto)

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WRCで活躍したトヨタ・セリカGT-FOUR

古くからWRCに参戦していたトヨタは1980年代前半をグループBマシンであるセリカツインカムターボ(TA64)で戦い、サファリラリーでは四連覇(1983年〜1986年)するなど、耐久色の強いラリーで成果を上げてきた。
しかし、1986年いっぱいでのグループB廃止により1987年からトップカテゴリーがグループAに移行されることには、他の参戦メーカー同様に準備ができていなかった。

1984年のサファリラリーに勝利したTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のグループBマシン、セリカツインカムターボ。ドライバーはサファリスペシャリストとして名を馳せるビョルン・ワルデガルド。(PHOTO:トヨタ)

グループAといえどこれからのラリーに4WDターボは必須条件であることは変わらず、1986年にデビューした4WDターボカーであるセリカGT-FOURを開発・投入するまでの繋ぎとして、トヨタは得意の耐久色の強いラリーをメインターゲットにハイパワーFR車で凌ぐ決定を下し、スープラ(MA70)が実戦投入された。

スープラは1987年からWRCに投入され、サファリラリーではセリカGT-FOUR(ST165)デビュー後も1989年までワークスチームで使用された。(PHOTO:トヨタ)

グループAホモロゲーションの5000台という生産台数クリアと車両開発に時間がかかり、セリカGT-FOUR(ST165)がWRCに投入されたのが1988年。以降も素性の良さを見せはするものの熟成に手間取り、初優勝は1989年のオーストラリアラリーまで掛かっている。しかし、熟成が進んだ1990年はカルロス・サインツがシーズン4勝を挙げてドライバーズチャンピオンを獲得。トヨタは日本メーカーとして初の栄冠を手にすることになった。

1990年のWRC最終戦RACラリー(イギリス)でも勝利し、ドライバーズチャンピオンを獲得したカルロス・サインツ。トヨタは日本メーカー初のWRCタイトルを獲得し、サインツはスペイン人初のチャンピオンとなった。(PHOTO:トヨタ)

とはいえ、1989年にはセリカは五代目(T180系)にモデルチェンジしており、WRC参戦車も1992年からST185型セリカGT-FOURにスイッチ。同年はカルロス・サインツが再びドライバーズチャンピオンに、1993年はユハ・カンクネンがドライバーズチャンピオン、トヨタが初のマニュファクチャラーズチャンピオンのダブルタイトルを獲得。1994年は追い縋るスバルを振り切り2年連続ダブルタイトル(ドライバーズチャンピオンはフランス人初のディディエ・オリオール)を手にした。

トヨタグループAマシンとして輝かしい成績を残したセリカGT-FOUR(ST185)。写真は1994年サンレモラリーウィナーのディディエ・オリオール。(PHOTO:トヨタ)

1994年シーズン中に1993年にフルモデルチェンジした六代目(T200系)セリカのGT-FOUR(ST205)が投入された(チャンピオンを争うオリオールはST185を継続使用)が、大きくなったボディと軽量化が進まない車重がネックになり、加えて新しいスーパーストラットサスペンションがラリーではモノにならず苦戦。1995年はレギュレーション違反事件によりポイント剥奪と出場停止という幕切れを迎えてしまった。

1995年のツール・ド・コルスがセリカGT-FOUR(ST205)の唯一の勝利。ウィナーはターマックラリーを得意とするディディエ・オリオール。

1991年ツール・ド・コルス仕様レプリカの「FINA」って何?

その最後こそ画竜点睛を欠いたものの、三世代7年に渡ってトヨタのワークスラリーマシンとして活躍したセリカGT-FOUR。その嚆矢がST165であることは間違いない。1988年のデビューから1991年まで使用されたST165は、モータースポーツではお馴染みのタバコブランド「マールボロ」がメインスポンサーとなり、ワークスマシンはやはり例の紅白に彩られていた。
しかし、今回取材したレプリカはマールボロカラーではなく大きく「FINA」の文字が入ったトリコロールのカラーリングだ。

セリカGTFOUR(ST165)後期のFINAカラーレプリカ。

このFINAカラーのセリカGT-FOURのモデルは1991年のWRC第5戦ツール・ド・コルスに参戦したトヨタのサテライトチーム「TOYOTA FINA TEAM」のもの。FINAはベルギーの石油会社でモータースポーツ、特に市販車系のカテゴリーには積極的に露出しており、WRCに加えDTMやスーパーツーリング、ルマン24時間でチームやドライバーをサポートしていた。現在はTOTAL(トタル)傘下になっている。

1991年WRC第5戦の第35回ツール・ド・コルス(=ラリー・ド・フランス)のゼッケン。15番はベルギー人ドライバーのマルク・デュエツ。

このラリーではターマックスペシャリストのベルギー人ドライバー、マルク・デュエツがドライブしてカルロス・サインツ(TTE=トヨタワークス/セリカGT-FOUR)、ディディエ・オリオール(ジョリークラブ=ランチア/デルタインテグラーレ16V)、ジャンフランコ・クニコ(フォードイタリア/シエラRSコスワース4×4)に次ぐ4位でフィニッシュしている。

マルク・デュエツはターマックラリーを得意としており、WRCではツール・ド・コルスを中心にヨーロッパのターマックラリーにスポット参戦することが多かった。また、ラリーだけでなくサーキットレースにも参戦し、1988年と1989年のル・マン24時間レースではマツダ767を駆りGTPでクラス2位・3位(総合17位・12位)に入っている。

とはいえ、このTOYOTA FINA TEAMがWRCでセリカGT-FOURを走らせたのは1991年の1年のみで、参戦ラリーもモンテカルロ、ポルトガル、ツール・ド・コルス、RAC(イギリス)の4戦のみ。日本では決してメジャーな存在とは言えない。ではなぜ、オーナーはこのマニアックな仕様を選んだのだろうか?

WRCとは関係なくST160系セリカが好きだった

このセリカのオーナーであるオギハラさんは大学時代にST162のセリカを購入。当時は特にWRCは意識しておらず、とにかくこのT160系のセリカがカッコいいと思ったそうだ。

トヨタ・セリカ(四代目/T160)。1985年にフルモデルチェンジした4代目セリカはコロナ/カリーナとプラットフォームを共用するFFに。「流面形、発見さる。」のキャッチコピーでその先進的なスタイルをアピールした。 2.0Lの3S-Gエンジン搭載車がST162で、2.0Lインタークーラーターボの3S-GTEエンジンを搭載した4WDモデル「GT-FOUR」(ST165)は1986年に追加。写真は前期型のST162。

FFのST162を2台乗り継いだのち、初めてセリカを買った時には手が出せなかったGT-FOURが忘れられず、大人になってからようやく購入することができたという。
しかしそれがこの個体ではなく、最初のGT-FOURを10年乗ったのちに今のGT-FOURに乗り換えて11年乗っている。ST162を2台、ST165を2台、合わせて4台のT160系セリカを乗り継ぐほど惚れ込んでいるのだ。

オギハラさんのセリカGT-FOURは1988年式の後期型。

T160系セリカは1985年から1989年まで生産され、GT-FOURの追加が1986年。1987年にマイナーチェンジが実施され、フロントグリルなどの意匠が変更されたほかGT-FOURの4WDシステムも改められたが、オギワラさんは後期型が好きとのこと。ちなみに、前期型GT-FOURは生産期間が短い上に、さらに後期型との間に中期型が存在するというマニアックな話をしてくれた。

どうしてFINAカラーを選んだのか?

前述のとおり、ST165型のセリカGT-FOURがWRCで活躍した際のワークスカラーはマールボロの紅白である。オギワラさんはなぜマニアックなFINAカラーにレプリカすることを選んだのだろうか?
実はこの個体は元々ガンメタだったものを2年乗ったのちにブルーに全塗装。ブルーで8年乗って今度はホワイトに色変え。その際にホワイトベースでレプリカ化することにしたそうだ。

ダイヤモンドキーパーのガラスコーティングを施し、ボディは新車のようなコンディション。

「東北セリカday」という歴代セリカのミーティングイベントに参加してみると、グループAセリカはST165、ST185、ST205とレプリカ仕様がちらほら見受けられるもののやはりマールボロやカストロールが主流。それとは違ったカラーにレプリカしたいと思って候補に上がったのがこのFINAカラーと、1989年にヨーロッパラリー選手権を中心に戦ったBASTOS TOYOTA TEAMのBASTOSカラーだったが、最終的にFINAカラーをセレクトした。

レプリカ化のモデルはオットー社の1/18ダイキャストカー。このカラーの模型も極めて少ない。

ちなみにBATOSはスペインのタバコブランドで、ヨーロッパを中心としたレーシングシーンで広くスポンサー展開をしており、1987年のスパ24時間にはBASTOS TOYOTA TEAMがスープラ(MA70)をアンデルス・オロフソンのドライブで走らせている。ラリーでもヨーロッパの有力チームを支援しており、特にベルギー人ドライバー、パトリック・スナイヤーズが有力なコンテンダーとして挙げられる。

専門店「寿自動車」のメンテナンスでコンディションは抜群

カラーをFINAカラーにレプリカしているだけでなく、ルーフにはベンチレーター、ボンネットには熱抜きのダクトを追加するなど手を加えている。ルーフもボンネットもカットして加工しているが、その仕上がりは実に綺麗だ。
他にも、サイドマーカーをヨーロッパ仕様にするなど細かいところにも手を加えている。

ラリーカーの定番、ルーフベンチレーター。
開閉機構やその周囲の仕上がりはまるで純正のよう。

そしてやはりST165型セリカGT-FOURのラリーレプリカに欠かせないのがOZレーシングのホイール。復刻したRally Racingの17インチはもちろんホワイトに赤文字。ターマック仕様らしく17インチに215/451R17サイズのピレリPOWERGYを装着する。

グループAセリカファンならOZレーシングのRally Racingホイールにピレリタイヤの組み合わせが鉄板。

一方でエンジンまわりは基本的にノーマルを維持しており、先々やや不満なブレーキ性能をアップデートした上でリフレッシュを考えているそうだ。
これまで大きなトラブルといえばパワーステアリングホース破損によるオイル漏れ程度でコンディションは良好。というのも秋田県にあるグループA時代のセリカに強い寿自動車整備工場にメンテナンスを依頼しており、トラブルにつながりそうな部分を未然に対策しているから。

オギハラさんのセリカGT-FOURのエンジンルーム。基本的にはノーマルだが、ラジエーターコアはアルミ製2層のモノを装着。以前は銅製2層だったが、今は手に入る部品はアルミ製2層しかないとか。

前述のルーフベンチレーターやボンネットの加工、現在装着しているST205のものを加工したマフラーなども寿自動車による施工だ。

オリジナルコンディションがよく保たれているインストゥルメントパネル。

またインテリアも概ねオリジナルが維持されており、ステアリングはMOMOのRACEを装着。ホーンボタンに「GT-FOUR」のロゴを仕込むなど凝った演出だ。
さらに社外品のノブを装着しているシフトレバーは寿自動車の施工で短縮加工を施し、球状のノブを上から握るポジションにしている。

上から握るポジションのためにショート加工したシフトレバー。元はかなり高い位置まで伸びている。
純正8WAYスポーツシートは状態も良好。サイドサポートやヘッドレストは本革だ。

今や貴重なST165型セリカGT-FOURが、抜群のコンディションで維持されているのはとても素晴らしい。さらにそれがFINAカラーレプリカだというのだから、そのマニアックなセレクトに喝采の拍手を贈りたい。オーナーのオギハラさんには末長くこのセリカを楽しんで欲しい。

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