自動車づくりは簡単じゃない! やっぱり「アップルカー」は無理だった

アップルのCEO ティム・クック氏 PHOTO:Apple
米IT大手のアップルが自動車への参入を断念したことを米メディアが2月27日に報じた。日本でも翌日に伝えられた。完全自動運転のBEV(バッテリー・エレクトリック・ビークル)を開発しアップル・ブランドとして発売するという計画は消滅した。アップルはいま話題の生成AIに資金と人材を注ぎ込む、という。米メディアは「関係者の話」としていろいろと報じているが、最大の撤退理由は「どこで作るか」「何台売れるか」「利益率はどれくらいか」について、アップルが望む将来ビジョンを描けなかったことと筆者は推測する。
TEXT:牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

「BEV断念」報道でアップル株はどうなった?

開発コードネーム「タイタン」として2014年ごろに「アップルカー」のプロジェクトは始まった。この年、アップルは車載ソフトウェア「Apple CarPlay」を発表し、自動車産業との接点を持った。その3年後には公道で自動運転試験車の走行を開始、そのころから「スティーブ・ジョブスの夢、復活か」といった報道が目に付くようになった。

2020年末にはアップルカーの生産委託先として韓国・ヒョンデ(現代自動車)や日産の名前が取り沙汰されるようになり、電池は「東芝のSCiBを使う」とのウワサも流れた。米国では「ヒョンデに決まった」とのテレビ報道もあった。しかし、アップルからの正式発表はなかった。

今回の「アップルがBEV参入を断念」も、正式発表ではなく非公式コメントが多い。米・オートモーティブニュースは「アップルは2月26日にBEV参入中止を社内で公表した。この決定はBEV領域担当副社長のケビン・リンチ氏とジェフ・ウィリアムズCOO(最高執行責任者)が下した」「BEV関連の人員はジョン・ジャナンドレア氏が率いる人工知能部門に異動する」と報じた。日本経済新聞は28日に「アップルとしては珍しくレイオフ(一時解雇)も計画しているという」と報じた。

クパチーノにあるアップル本社のApple Parkのvisitor center(PHOTO:Apple)

興味深い点は、こうした「BEV断念」報道によりアップルの株価がニューヨーク株式市場で1%上昇したことだ。「アップルはBEVという収益源を失った」と考える株主が多ければ、事業断念で株価は下がる。しかし、本当に微妙な1%の上昇になった背景には「BEVは成功しない」という判断と「これからアップルが生成AIで先行するライバルに追いつけるか」という疑念とが混在しているように思える。

実際、ことしのBEV市場は欧州でも米国でも「様子見」になるとの判断が圧倒的に多い。アップルはICE(内燃機関)搭載車は作らずBEV専業を目指していた。じつは、皮肉にも「この点がアップルBEV断念でも株価が落ちなかった理由だ」と、米証券筋は筆者に語った。「メディアのBEV礼讃は極端だ。どんなクルマを買うかは消費者が決めることだ。GMもフォードも、ことしのBEV販売計画を当初予定の半分に減らした。これが現実だ」と。

それに、まだだれもアップルカーの試作車を見ていない。ソニーのBEVはちゃんと公道で試験走行していた。ソニーはBEV参入を発表した当初、オーストリアのマグナ・シュタイヤー(Magna Steyr)に開発・設計を委託していた。公道走行中の写真も公開された。ソニーには「自動車」の設計はできなかったからマグナ・シュタイヤーに委託した。

マグナ・シュタイヤーは軍需産業と自動車の老舗だったシュタイヤー・ダイムラー・プッフから自動車部門が独立し、カナダの自動車部品大手であるマグナ・インターナショナル傘下に置かれたESP(エンジニアリング・サービス・プロバイダー)兼生産請負企業である。メルセデスベンツGヴァーゲンも同社が生産している。BEV分野ではジャガー・ランドローバーなど50以上の企業から開発を請け負い、ジャガーについては生産まで担当している。

筆者がマグナのCEO(最高経営責任者)にインタビューした際には「ソニーから打診があれば、生産も我われが請け負う用意がある」と聞かされた。少なくともマグナ側は乗り気だった。ただし、いくらで請け負うのかは交渉次第であり、ここでソニーとマグナが折り合えなければオーストリアでの生産はできない。

いっぽうアップルは、フォードからスカウトされたダグ・フィールド氏が在籍したころにはOEM(自動車メーカー)との交渉が実際に行なわれていた。ヒョンデ・起亜グループとの交渉も実際に存在した。生産するとなればヒョンデの米国工場だろうとメディアも予測した。

筆者は米国サイドで「本当は交渉について口外しないという約束だった」と聞いた。「ヒョンデがうれしくなって口を滑らせた」とも聞いたが、この経緯は確認が取れていない。

自動車の生産委託はスマートフォンのようにはいかない。設備投資は膨大であり、関連する素材・部品産業も幅広い。綿密な連携が必須である。だからソニーは意思疎通しやすい日本企業で知名度も高いホンダを選んだのだろう。地元生産がいちばんいい。

自動車の販売価格の中身から考える

動車の販売価格の中身は複雑だ。開発費、製造設備への投資、原材料購入、部品購入、直接の組み立てコスト、販売ネットワークの費用、宣伝費、そしてOEMと販売店の利益が含まれる。OEMは「本業である自動車の製造・販売で挙げた利益」を営業利益として発表しているが、10%を達成するのは極めて難しい。

ところが、スマートフォンやコンピューターのソフトウェアでは10%の営業利益率は「簡単に出せる」と聞く。そもそも、IT業界と自動車業界の「利益の常識」が何倍も違うのだ。この点でアップルがためらった可能性がある。しかも、この利益は「何台を作るか」で変わる。

アップルカーは、米国での販売価格10万ドル(現在の為替レートで約1500万円)という想定だったと聞いている。これを年産約1万5000台で7年間、合計10万台作ったとして、開発費と製造委託費にいくらかかるだろうか。

ごく普通のICE(内燃機関)を搭載したCセグメント車、トヨタ・プリウスくらいのサイズの場合は、新規に工場を立てると1500億円、開発費もほぼ同額が必要になる。1台の新量産型車には、少なくとも3000億円ほどの投資が要る。人件費などは別だ。

製造を外部に委託すれば自前の工場を持つ必要はないが、委託先の工場には人件費や設備償却費を含めた委託料を支払わなければならない。これを1000億円で抑えれば、開発費1500億円と合わせて2500億円で済む。

1台10万ドルで売ってアップルに1万ドルの利益を残すためには、1台当たりの全コストは9万ドル。10万台作るとして、1500億円(つまり15億ドル)の開発費がかかれば1台当たり150万円。製造委託費は人件費と水道光熱費を含めて100万円、資材・部品の調達コストを500万円とすると、ここまでで750万円。販売店利益を150万円とすれば、アップルに100万円の利益が残るし、実店舗を持たないでネット販売に専念すれば販売店マージンは必要ない。テスラはこの方式だ。

PHOTO:Apple

おそらくアップルカーはすでに相当な開発費および外部への開発委託費がかかっていたのではないかと思われる。それと、近年言われるようになった「自動運転AI」搭載の車載コンピューターが「一声1万ドル」になるという試算。これを150万円と計算すれば、従来の自動車の投資モデルケースでは利益が出ない。

それ以前に、自動運転AIはまだ完成していない。アップル社内では「タイタン・プロジェクトの市販開始は2028年、自動運転レベルは当面レベル2」と決まっていたとの報道があるが、レベル2といえば普通のADAS(先進運転支援)と変わらない。そういうBEVに顧客は10万ドルを払うだろうか。

1台10万ドルのクルマは、日本とは比べ物にならないくらい給与水準が高い米国でも高級車だ。ライバルは地元米国勢のGMキャデラックをはじめトヨタのレクサス、ドイツ御三家のアウディ/BMW/メルセデスベンツなどだ。話題で売れるのはせいぜい1年。実力が伴わなければすぐに売れなくなる。

かといって、10万ドルのクルマを年に3万台売るのは、さらに難しい。昨年の米市場での販売台数は、BMW7シリーズが1.1万台、メルセデスベンツSクラスは1.2万台だった。想像するに、10万ドルのアップルカーはモデルライフを通してせいぜい年間平均8000台、7年作って約4万台。このあたりではなかったかと想像する。生涯生産台数が少なくなると、1台当たりの開発費負担は大きくなる。

さらに、米国はモデルイヤー制であり、2024年モデルのクルマが売れ残ってしまうと、次のモデルイヤーで在庫処分するには大幅な値引きがないと売れない。日本は初度登録制であり、最初にナンバープレートが取り付けられた年が、そのクルマの「年式」になる。

ソフトウェアはバグが当たり前だが、クルマはそうはいかない

もう一点、自動車産業とIT産業の大きな違いはバグの存在率だ。ソフトウェアは「バグが当たり前」であり、自動車はバグを極力抑える開発体制を敷く。現在のクルマはコンピューターとソフトウェアで動くが、誤動作を抑えるためあまり冒険はしない。個人が扱うコンピューターの場合、誤動作を起こしても、それが直接の原因となって人が死ぬことはない。

コンピューターのハードウェアは、せいぜい持って10年。7年も経てば最新のソフトウェアはインストールできなくなる。米国での自動車の平均車齢は12年。20年使われるクルマもある。その寿命を全うするまで、きちんと機能しなければならない。機能低下は許されない。

「いや、自動車はソフトウェアで動く時代だ」と近年は喧伝されるが、ソフトをアップデートしてハードがそれについてこられるかどうかは「インストールできるかできないか」とは別の話だ。物理的な機械は劣化する。ソフトウェアを作動させる半導体も所詮は機械であり、クルマの「走る/曲がる/止まる」はすべて機械が行なう。

アップルはカーOSを開発していた。クルマ1台の機能をコントロールするソフトウェアだ。これを搭載する場合、モーターの制御部、電池とモーターの統合制御部、ブレーキ制御部およびスタビリティコントロール、ステアリング制御部などを統合しないとならない。これらのハードウェアは別々の企業が担当している。

カーOSは中央集権型のソフトウェアであり、部分ごと(ローカル)での独自動作は基本的にさせない。そのため部分すべての統合と連携、万一の故障の場合のバックアップコマンド整備に時間とコストがかかる。さらに自動運転を行なうとなれば3倍から4倍の作業量になる。ここでも目処が立たなかったのではないかと推測する。

アップルカーについては「現在の退屈なクルマを再定義する存在になる」「iPhoneでガラケーを駆逐したアップルだから、既存のOEMはガラケーと同じ道を辿る」など、いくつもの期待が語られた。筆者は「おそらくアップルは自動車を作れない」「自動車ではなく自動車用のソフトウェアをまるごと担当し、ソフトウェアで自動車業界を牛耳るのであれば可能」と考え、そんな内容の記事を過去に書いた。そして「おそらくソニーも同じだろう」と思った。

アップルカー評としては、豊田章男氏がJAMA(日本自動車工業会)会長時代にコメントした「クルマは作ったあと30年から40年使われる。その覚悟はあるか」が、まさに的を射ていた。一時期「BEVには面倒なエンジンがないから排ガス規制とは無縁。電池とモーターを買ってくればだれでも新規参入できる」と言われた。

しかし、参入に成功した企業はテスラとBYDオートだけだ。メディアと金融業界が絶賛したバイトン(拜騰)は量産を開始する前に破綻し、NIO(蔚来汽車)やリヴィアンは車両を販売しているものの、いまだに累積赤字を抱えている。赤字のフィスカーは日産に支援を求めている。

自動車を作ることは、けして簡単ではない。もしソフトウェアが暴走して事故が起き、死者が出たら、世の中から袋叩きにあう。大変だから新規参入が少ない。こういう解釈も成り立つ。

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…